寒がりの私は冬が近づいてくると起きるのが遅くなってしまう。これは寝床が温かくて気持ちがいいので、なかなか起き難い。要するに自分が怠惰ということを告白しているに過ぎないが、日差しが居間に差し込んで暖かいところとか、コタツの暖かさとかが無性に好きである。
居間に日が差し込んで暖かいことは毎年このブログで書いているが、今年もそのことを書きたくなる季節が来た。この頃は怠け心がさらに高じている。そしてコタツで昨夜「計り方の科学史 I 」をまた10頁ほど読んだ。
この本によると、ニュートンとかその後のキャベンディシュとかは地球の質量を測るという意識がなくて、その密度を測るという意識が強かったらしい。そういえば、湯川さんの「物理講義」(講談社)にもニュートンの質量の定義は質量=密度*体積であるとか書いてあったように思う。
いまならば、質量と体積から密度を定義するというのが普通だが、昔は質量とは密度*体積という感じだったのだろう。
万有引力定数を測定したのが、キャベンディシュの業績ということに現代から見ればなるのだが、その当時の感覚とか意識とは違うのだと思う。この万有引力定数を測定は、すなわち力学から地球の質量の測定に直結することとなった。
昔、学生の頃に物理を教わったS先生は万有引力定数の測定のために黒い箱の中をいつもキャベンディシュが覗いていたので、棺おけの中をいつも覗いているという噂がたったと話されていた。
ところで、地球の質量を求めることを私のe-Learningの演習問題の一つにしてある。これは数値計算の練習という意味もあるが、地球の質量だって求められるという、思考上でもすばらしいことを人類が知ったことを少しでも多くの人に知ってほしいからである。
どうも高校数学は大学受験の影響で、大学入試の問題のような試験の問題の影響を受けた演習問題が多すぎる。それは大学にすでに入った学生とかすでに社会人になっている人々にとってはあまり生産的ではないと私は思っている。
だから、私には西條さんの「計り方の科学史 I 」はとてもいい数学の演習問題のタネ本になると思っている。しかし、私のような物の見方はあまり正統ではないので、こういう視点で西條さんの本をほめるのはどうかとは思うが、私個人にはそういう利点がこの書にはあると思われる。
いつもいうように、確かに人間若いときには学校で教育を受けるのだが、それはまったく人生のごく一部であって、その後の長い人生を一般社会で生きる。教育にもそういう視点がなくてはならない。