私の生家では父があまり小説とかを読まなかったせいか、小説の類はほとんどなかったが、大判の古い漱石全集だけがなぜかあった。
それで、「我輩は猫である」は小学生には退屈で読めなかったが、漱石の他の小説は読んだような気がしていたが、NHKのテレビのJ文学で昨夜「道草」がとりあげられていた。ところがそのあらすじを聞いても読んだ記憶がない。
小学生には難しくて結局は読んでいないだろう。どうもこの「道草」は自伝的な要素があるとかで、現実は小説で描かれたほど極端ではなくても金の無心に漱石自身が苦しんだところがあるのかもしれない。
そういえば、もう50年以上昔のことになるが、旺文社のラジオの大学受験講座で国語を担当しておられた塩田良平先生は森鴎外の小説は読むと歳を取ればとるほど面白いが、漱石の小説は若いときにも歳をとっても同様に面白いと批評されていた。
そういえば、物理学者の湯川秀樹先生はどうも漱石があまりお好きでなかったようにお見受けをした。もちろん本人が直接そう言われたわけではないが、「坊ちゃん」の小説の観点は中央の地方蔑視だと言われた。それを松山の人が有難がる必要はないと言われたのを確かにこの耳で聞いた。これは卓見である。
いつだったかこれはエッセイにも書いたことがあるが、彼の「本の中の世界」(岩波新書)に鴎外は取り上げられているが、漱石は取り上げれていない。それで漱石はあまりお好きではなかったのではないかと推測をしている。
文学としての鴎外は歳をとるとますます面白くなる小説を書いたとしても、医務官僚としての鴎外=森林太郎には問題点がある。それは脚気の原因を捉えることに失敗したということである。
日本から見れば、医療の先進国であったドイツに留学して医学を修めた、鴎外はヨーロッパにはない、脚気の原因の追究の障害になっている。それで原因の究明が遅れたらしい。
これはもちろん鴎外一人の責任ではないのだが、それに結果的に加担したことになる。その辺の事情は仮説実験授業で有名な、板倉聖宣氏の脚気の歴史に詳しい。