物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

子どもからの小包

2011-11-22 13:00:42 | 日記・エッセイ・コラム

子どもから一昨夜電話があり、借りていた本を返すという。それで気にせずに待っていたら、昨夜に届いた。開けてみたら、3冊の本が入っていた。

その中の1冊にDiracの量子力学があった。これはみすず書房から出たリプリント版でこの書は子どもにやったつもりだったが、借りていたということで返してくれたらしい。

私は35年ほど前にイギリスに行ったときに、ロンドンの書店でこのDiracの原書を買い求めていたので、実はこのみすず書房のリプリント版は子どもにやったつもりであった。昨夜子どもに電話したときにそう言ったら、、じゃあ今度帰ったときに、またもらって行くということであった。

実は今年の夏に子どもとそのパートナーがオスロに行ったのだが、そのときのお土産の品を送ってくれたのである。昨年の3月だかにパリの学会に行ったとき、買って帰った写真のお土産も送ってくれていた。

それで、昨夜パリのことを覚えているかと尋ねたが、エッフェル塔に登ったことは覚えていたが、他のことは覚えていないという。4歳ぐらいのことだから仕方がない。学会に出かけると会議に出るのが忙しくてなかなか観光は難しいらしい。

他の小物のお土産も送ってくれたが、それが何だったかはいま思い出せない。11月の始めに上京して子どもたちにほぼ一年振りに会ったのだが、そのときにお土産をもってくるのを忘れたと言っていたので、それを送ってくれたのであろう。

ノールウェイのお土産はなかなかしっかりしたビール瓶の栓抜きであった。妻はそういう小物のお土産を結構喜んでいたようである。

(一言注意) 上で原書という語を使ったが、この語は私の世代までの語であろう。洋書と和書という分類があるが、いまでは原書という語はほとんど使われない。昔は原書は英語とかドイツ語、フランス語、ロシア語の本とかを意味していたが、私は翻訳ではない元の書というつもりで使っている。言葉も変るものである。

お年の人には懐かしい語かもしれないが、ここでは洋書の意味では使っていない。