「人生は退屈か」と聞かれたら、退屈だという人は少ないに違いない。しかし、歳を取ってくると健康上の理由もあって意欲が減ってくるのはしかたがない。そして人は最後には昏睡状態に陥って亡くなるのが常である。
私の父なども最後に昏睡状態に陥ってなくなったが、それでも比較的最後まで意識がしっかりしていたと思う。亡くなる直前にも血圧が下がって、心配した看護師さんが病室にやって来たら、自分はほとんど意識がなくなっているのに「そこにいるのは誰か」と尋ねた。
そのときは妻と私がもう最後らしいというので病室につめていたが、いつ亡くなるかは予測がつかないので、私は起きて父を見守り、妻には一眠りするようにいって、私は父の様子を見守っていた。そして私の目の前で息をひきとった。
私の母と妻の母の死に目には両方とも会えなかったが、妻の父と私の父の死に目には立ち会うことができて幸せだった。妻の父と私の父との息を引き取る前には奇しくも私と妻が病室に居合わせた。
人間は自分の死ぬときを自分で選ぶことはできない。これは病気で死ぬときの話であって、自殺とかは別である。
ともかく、「人生は退屈か」という設問であったが、私自身は退屈と感じたことはいままでのところない。もっともいろいろな意欲が序々に落ちて行くということは私もそのうちに経験することであろう。
だが、いまのところまだ体もそこそこであって、意欲は衰えてはいない。幸いなことに。だから、このブログも書き続けられている。