妻がいまの幸せをかみ締めている。こんな幸福感じを味わえるなどと思ってもいなかった。こういう幸せはいつまでも続かないのかもしれない。それは子どもと関係している。
私の妻は子どもに関して幸せと感じたことは、子どもが本当に小さかったとき以外にはないのだと思う。それでその幸せをかみしめているらしい。数日子どもが家に帰って来れて、ゆっくりしてもらえるなどと想像だにしていなかったのが、実現したのである。
これは普通の家庭には普通のことで、とりわけ、幸いだというほどのことではないのだが、そういうことができるなどとはつゆほども期待できなかったところに妻の不幸があった。その理由はここではいうことができないが、それほどたいしたことではない。
でもそれがクリアできなかった。それが現在完全にクリアできたわけではないが、一部クリアされたかの感じをもてたのであろう。小さな幸せというわけである。
そして、いま私の傍で子どもとそのパートナーと妻とが談笑している。
Gl"uck und Glass, wie leicht bricht das !
(グリュック ウント グラース、ヴィー ライヒト ブリッヒト ダス) 幸福とガラスは、なんと容易に壊れることか!