「素敵な人の後ろには必ず素敵な人が数人いる」。これが妻の口癖である。確かに研究者でも一人優れた方が出るということもまれではないが、同級生とか一年上とか下とか近い学年にやはり優れた研究者が出るという風に私には思える。
別に、湯川、朝永とかPauli, Heisenbergのような偉大な方々でなくともその傾向はあると思う。これはそのようなお互いの協同的な雰囲気とかが存在するということであろう。
そういえば、WeinbergとGlashowもニューヨークのブロンクスの高校の同級生だったとか、これはGlashowの自伝で読んだ。
坂田、武谷は1911年の生まれだが、坂田が学年は一年上である。南部の場合には木庭二郎の影響をあまり受けなったかもしれないが、大学の入学は同年だと南部が書いている。木庭は病気のために卒業は南部の卒業年からは数年遅れた。
東京大学の1945年とか1946年あたりの物理の卒業生で優れた業績を上げた方が輩出したのは世界がガタガタして学問の権威が確立していなかったこともあるだろうが、それだけではなく相互の刺激が陰に陽にあった結果であろう。
京都大学の数学とか物理の優れた研究者が新制大学になってからの、はじめの数年間の卒業生から多く出ていることもやはり同じような現象であろう。
そういえば、利根川進さんがノーベル医学生理学賞をもらったときに彼と同級だった学年の方々の中には利根川がノーベル賞をもらうなら、俺もという気概をもった方が多くおられたと聞いた。
だから、利根川氏がノーベル賞をもらう陰にはそのような気概をもった方々がまわりにかなりおられたということを示すのだろうと思う。そういう雰囲気は簡単に醸成できることではないから、やはりすばらしいことである。