毎年のことであるが、この季節になると
「年々歳々花相似たり、年々歳々人同じからず」
という漢詩を思い出す。もっともこれを漢詩として本当に正しく覚えているのかどうかももうわからない。なにせ高校で漢文を2年間学んでから、もう50年以上も経つのだから。
国語の古文の先生とか、漢文の先生のもっていた感性をやはり幾分かは私も日本人として受け継いできただろうと思う。それがいいことだったかどうかはわからない。文学などにはまったく縁のない輩としてはそういう50年昔の国語の古文や漢文の時間を懐かしく思うのみである。
中学校のころはまだ人間としての感性がまだ十分ではなかったと考えられるが、高校生ともなればもう少しいろいろなことが感じ取れるようになってきていたのだろう。
高校でいい教育を受けたとは思ってもいなかったのだが、古文とか漢文等を通じて、日本の古来の思想とか古代中国の思想の片鱗を学んだということだろうか。
特に数学では私は悪い方の典型のような教育を受けたと思っている。これは学校全体が悪かったというわけではなく、たまたま私が教わった先生がよくなかったということであろう。だが、それでもそういうあまりよくない教育環境でもなんとか生き残って来れて、理系の人間としてなんとかやって来られた。
だから、教育なんてできることは多寡が知れているという感慨がまったくないわけではない。結局はその人のもった性分とか性質にそった人生を送ることになるのだろう。
とか、くだらないことを書きながら、今日も「因数分解公式を忘れたら2」のエッセイの続きを書こうとしている。