一人の人が亡くなるとその遺したものをどう始末するかが問題になる。いや人のことをいっているのではない。私自身のことである。
もっていた蔵書も問題だが、それ以外に膨大な書類やノートが問題となる。これらは個人的に何十年というその人の生きてきた証でもあるが、それでも他人にはゴミ以外のものではない。
湯川秀樹などという偉大な学者なら、その遺したデータのArchiveをつくる作業をしてくれる人も出てくるだろうが、私などはそんな人が出てくることはまったく考えられない。
妻がさきほど言っていたのは子どもとその連れあいに来てもらって、すべての書類を紐で縛って、市の焼却場まで運ぶという。それをしてもらうことも恐縮だが、結局はそういう手順になろうか。
それまでに自分の体の利くうちに、なんとか意味のあることを残してまとめておかねばならない。
ところで、私などはまだ現在でも計算ノートをつくっている。これなどはさしづめエントロピー増大の法則に則って世の混乱を増すものだろう。
さて、どうしたものか。