私の車はスズキのワゴンRである。小さな軽の車だが私が自転車代わりに使っているので、不足はない。
ところが、先日仕事場に行こうと車に乗ってエンジンをかけたが、エンジンがかからない。数回やってみたがどうしようもない。それで本当は妻をヒメギンホール(愛媛文化会館)へ送って行こうとしたのだが、それもだめになってしまった。
それでその日は妻が自分の車で私を送ってくれて、その車は私の仕事場の駐車場に駐車させていた。その翌日ホンダに電話をかけてバッテリーを交換してもらうように頼んでいたのだが、忙しいとかですぐには来てもらえなかった。
ところが今朝電話がかかってきて、バッテリー交換に来てくれるという。待っているとまもなく来てくれた。それでバッテリーを交換してくれてエンジンがかかるようになり、ようやく数日振りに自力で今日は仕事場に来れた。
こういうことは稀であるが、それでも車をもっている人なら、何年かに一度は経験することであろう。それが自分にも起こっただけではあるが、考えさせられることであった。
それはいまよりも歳をとって車に乗れなくなることとか、もともとの車の是非とかである。公共の交通機関の利用が便利なところなら、車を乗ることを止めることがそれほど難しくはなかろう。だが、公共の交通機関の利用が難しいところではそうも行くまい。
だからどこに住むかということは大事なことになる。コンパクトシティという構想が生まれる由縁である。
話はまったく飛ぶが、映画「タワーインフェルノ」で映画の終わりに、新築の高層のビルの火事の消火が終わって、スティーヴ・マックーインの扮する、消防士を誰かが自宅まで車で送ろうかと言うと、そのときにスティーヴ・マックーインが I (would) prefer public transportation.という(いまwouldが入っていたかなと思ってwouldを入れたが、本当はどうなんでしょうね)。
字幕では公共の交通機関の方が好きだと言う。そこがなんとも印象的で実は消火活動のすごい困難の箇所は忘れてしまったのに、そこだけは覚えているから不思議である。
ちなみにインフェルノを辞書で引いてみると「猛火、地獄」とある。昔引いたときには「炎熱地獄」とあったと思う。中島・忍足編の岩波の英和辞典では「地獄」しか載っていなかった。これはもう辞書としては古いものであるからしかたがない。
またまた余計なことだが、忍足は「おしたり」と読んだと思う。