ときどき、記憶欠落に悩んでいる。歳をとって来ているのだから、当然ともいえるが、昨日もナチの強制収容所だったアウシュウィッツを忘れてしまって妻に教えてもらって、ようやく思い出した。
我々のもっているすばらしいモーツアルト、べートーベン、バッハの音楽もトルストイやゲーテの文学も、はたまた相対論も量子力学も、アウシュウィッツや南京の虐殺を防げなかったので、文化としてみたときにはまだまだ不十分なのではないかというような問題提起が羽仁五郎によってなされている。
その大事なアウシュウィッツを忘れてしまって思い出せないということが私に起こった。
それだけではなく、先週の金曜日のドイツセミナー日の行事に参加した後で、パーティ会場に知り合いと行くときに私がよく知っているはずの温厚な感じの紳士が少し前を歩いているのを見た。ところがこの人が誰であったのか思い出せなかった。
後で、家に帰って妻と話していて、それは愛媛大学教育学部の音楽の声楽教授であった、Sさんだったろうということになった。彼は愛媛日独協会の会長を数年前までされた方で、合唱のグループの指導をされたり、愛媛県の合唱連盟の会長をされている。
そういう重要な人なのに私の頭の回路から欠落をしてしまっていた。歳はとりたくないものだ。しかし、こういう記憶の欠落とこれから闘わなくてはならない。