物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

日本の不思議さ

2012-06-22 12:56:46 | 社会・経済

今の日本は八方塞がりだと私などもこのブログで書いたが、その一方では日本は非常な不思議さをもっている。

私は「演習形式で学ぶリー群・リー環」(サイエンス社)という題の書に触発されて、キーポイントシリーズ「行列と変換群」(岩波書店)を読んでいる。

しかし、このような二つの書が英語ではなく日本語で出されるような日本社会というのは不思議な活性のある、社会であると思える。英語でならいろいろなテーマの本が出てもそれを関心をもって読んでくれる読者は多いと思う。

私なども英語で読むのは嫌いだというが、それでもほどほどには英語を読む。だから、ぺーパーバックでかつての名著の復刻版を出す、Dover社のような出版社が成り立つ理由はわかる。ところが世界では日本語を解する人は多分1億5千万人よりは少ないであろう。

だが、そこで上の2書のようなある種の啓蒙書が出版されるというか、出版できるというのは本当は大きな驚きである。そして、上のような書は広い意味の数学書である。

もちろん専門書ではないであろうが、そのような需要が日本の社会にあるというのは日本という社会の不思議さといってよいであろう。

まことにいろいろな数学書や物理書も出されている。それだけではない、大抵の世界的に有名な本ならば、しばらく待っていれば、その翻訳が手に入ることはほとんど間違いがない。そういう国が世界中を探してそこいらにごろごろ転がっているとは思えない。

日本のマンガやアニメが世界を席巻しているらしいことはときどき耳にするところである。日本に留学する中国の若者まで日本のマンガの影響を受けていると聞く。もちろんこの分野では韓国の追撃を受けて最近は苦戦しているとか聞くが、そのもとはやはり日本であろう。

スミルノフ「高等数学教程」(日本語訳)のシリーズを韓国人の物理学者がもっていたのを知っている。

彼は日本語は話さなかったが、数学を学ぶためだけに日本語の数学書を読むことだけはできるようになったと言っていた。それはドイツの大学で私と同室だったK. J. Kimさんだった。

もちろん、社会の将来の展望が難しく、希望が持てなくなっているのは事実である。だが、これは世界中のことであって、日本だけのことではない。別に日本は自分の国のことを世界に威張り散らす必要はないが、むやみに悲観的になることもない。

それくらい特異な文化なり、学問的な雰囲気をもった日本である。これは世界の中でエリート意識をもつことではなくて、自分たちの文化の特性を見極めるということだと思う。


数学・物理通信2巻2号発行

2012-06-22 11:38:23 | 数学

数学・物理通信2巻2号発行の発行の準備が整った。すぐに発行してもいいのだが、私はあわてものだから、思わぬミスをするので週明けに発行しよう。

今回は私の原稿をつくるのに大分苦労した。それで、発行が遅れたが、それでも発行予定月内に発行できそうだから、まあ許してもらえるだろう。別の手持ちの原稿がなかったわけではないが、新しい原稿を書くことに執着をした。

数学者のNさんが集合論の一連の論文を書始めたところが従来とは大きく異なっている。今回も投稿が多くて、まだ処理されていない論文も残っているが、それは次号として今月中または来月の初旬までに発行できると考えている。

これで、私もなかなか忙しいのである。

話は突如変るが、パスカルのパンセに死のことが書かれているらしい。が、生きている間はなかなか死のことを考えることなどできないから、死んでからゆっくりと考えたのでよかろう。

一番大切なことは要するに創造的な生活ができなくなったときにどうするか。このことがこれからの人生にとって大切なことであろうか。

気晴らしをすれば、死を暫時忘れるというのがパスカルの論点らしいが、気晴らし(divertissement)など気晴らしにしかすぎない。

気晴らしのまた気晴らしが必要になるなどということになるのがオチであろう。

(2012.7.5付記) 実際の発行は6月25日にしたが、その後原稿からの字落ちが見つかって訂正版が発行になったのは6月28日だったと思う。googoleで「数学・物理通信」と入力して検索をすると、名古屋大学の谷村さんのサイトにたどり着く。そこに最新号を含めたすべてのバックナンバーがあるので、PDFの文書をダウンロードできる。