昨晩、知人たちと妻の運転で伊予市双海の翠地区の蛍を見に行った。蛍は夜にならないと見えないので、近くのいちご園でイチゴをたらふく食べた後にコーヒーを飲み、おにぎりを食べながら日の暮れるのを待った。そのうちに日が暮れて辺りが暗くなったので、川端の道を少し上流へとさかのばった。
少し行くと木がたくさん繁ったところにたくさんの蛍が点滅を繰り返しながら、悠々と飛んでいた。これは人間の主観が入っているので、蛍には別に悠々と飛んでいる訳ではないかもしれない。ここ数年は毎年ここに蛍を見に来るのだが、今年は蛍祭りのときには他に差支えがあって来れなかった。
しかし、それでもさすがにここが蛍の観賞のポイントであることを知っている人々が多分松山からであろう、車でやって来て、道幅が少し広くなっているところに駐車して蛍の夢幻の光を眺めていた。
彼らとて、そんなに長時間ここに滞在する訳ではないが、それでもこの季節のしばらくの間の蛍の夢幻の光を楽しんでいると思われた。
人間はやはりパンだけで生きているわけではない。もっとも双海のこの翠地区では蛍祭りをして、それが村おこし、町おこしに寄与していることは確かであろうから、それは経済と無関係とは一言で言いかねるけれども、それでもその根底には人間はパンのみにて生きるものではないという思想があるのだと思わされる。
しかし、そのときにはそのことまでは思いが及ばなかった。