物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ephemere

2012-06-28 13:36:44 | 外国語

'eph'em\'ere(エフィメール)はフランス語で昨夜の「テレビでフランス語」で好きな言葉をインタビューしていた中に若い女性の好きな語にあった。

「はかない」と字幕がついていたが、私にはこれは英語のephemeralに当たる語だなと見当がついた。

私の知っていたephemeralの訳としては「短命の」という意味だったが、いま辞書を引いてみると「はかない」という意味もついていた。

このephemereはフランス語なので、アクサンがついているのだが、なかなかここでは再現が難しい。それで冒頭でだけアクサンを入れてみたが、後は失礼をする。そして eの前の \' はアクサン・グラーブのつもりであり、eの前の '  はアクサン・テギュのつもりである。

どういう前後関係で英語のephemeralを知ったかといういきさつは前にも書いたが、物理学者のF.J. Dysonが彼の論文選集で数学の論文は未来永劫に真だが、物理学の論文はephemeral(短命)だと書いてあった。

そのときにもちろんephemeralなんて言葉は知らなかったから、辞書を引いて意味を知ったのであった。

美人薄命だとか天才薄命とかともいうが、はかなさは人間の感覚としては繊細なものであろう。そういう語を好きだというフランス人女性はなかなかの繊細さであると思う。

私はclarte(明晰な)という語が好きである。この語もclariteとばかり思っていたが、いま辞書を引いてみるとclarteとiは入っていなかった。simplicit'e(サンプリシテ、単純さ)も好きな語である。

「テレビでフランス語」では好きな語を一語だけみんなに言わしていたが、imaginationが好きな方だとかespritが好きな女性がいたが、ギタリストの村治香織さんはlumiere(光)を好きな語としてあげておられた。

lumiere(光)といえば、物理学者ならばド・ブロイの「物質と光」という今では岩波文庫に納められている、書を思い出すであろうし、またson et lumiereという行事を思い出すフランス通も居られるかもしれない。

son et lumiereを実際に体験したことはないが、ロワール河畔の古城かどこかで夏の夜に照明で古城をライトアップして、かつ音楽を奏でるという催しである。いまでもフランスではどこかの名所で毎夏の夕べにこういった行事があるとか聞くが、フランスは遠く、経済的にも行くことなどなかなかかなわない。

(2018.8.25付記)  NHK「まいにちフランス語」で先日C'est 'eph'em/'ere, C'est la vie.というのがでてきた。その訳は「すぐ、なくなっちゃうんだよね。しかたがないよ」であった。なかなかくだけた訳である。もし直訳すると「それははかないね。それが人生というものさ」とでもなろうか。


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100分で名著

2012-06-28 12:01:32 | テレビ番組

NHKの「100分で名著」を毎回見ているわけではないが、昨夜のパンセの最終回を見た。生物学者の福岡伸一さんが仏文学者の鹿島茂さん以外にゲストとして来られていた。

福岡さんは「人間の体は刻々一刻と変っているので、自分では同一人物と思っているが、体の組織や脳の組織はまったく入れ替わっており、それらの組織の面からいうならば、同一人物であるとは言えないほどである」という。

確かに体や脳の組織はそうであろうが、だからといって、人間の自己同一性がなくなっているわけではない。私はむしろそちらの方の観点を強く感じた。

だから、いくら福岡さんのいうことが正しくても、それにもかかわらず自己同一性をもっているという、その事実をどう考えるかを述べなくてはならないのだと思う。だが、そのことは論点がずれていくからだろうが、述べられなかった。その点に不満が残った。

デカルトとパスカルとの対比もこの時間には簡単に語られた。私は前にこのブログでも述べたようにデカルト派であり、パスカルには組しない。ただ、考え尽くした上でもどうなるかは分からないと説く、パスカルにはちょびり共感しないでもない。

だが、デカルトの考え尽くして結論が出れば、それが間違う場合もあるではないかといわんばかりの評価は間違っているだろう。間違っている場合にはそれはまだ考え尽くしていないのである。

一応の結論はデカルト的な立場で出す場合もあろうが、それはあくまで暫定的なものであり、間違っているならば、あくまで正さねばならないというのが、デカルト的な立場であろう。

ただ、自然現象がすべて解明できるとの期待はもっていない。これは宇宙の現象等での新しい現象が見つかっており、それは現在のところまだ到底解明の予想がついている訳ではない。

そして、そういう謎はもしかしたら、人類の滅亡までに解明されないかもしれないのだ。しかし、人類の滅亡があるとして(それは確実だが)それまで人間の好奇心はそのれらの謎を解明しようとし続けるであろう。そのことを私は信じて疑わない。