昨日の朝日新聞に「アメリカエネルギー省が福島第一原発の事故後に米軍機で空から放射線の測定をして、その詳細な汚染図を提供されていたのに、これが住民の避難に利用されなかったことがわかった」と報じられた。
文科省の担当者は「提供されたデータを住民避難にいかすという発想がなかった」と述べている。これでは何のための官僚かわからなくなる。
日本では政治家3流、官僚1流などといわれていたというが、こういう有様では官僚も3流ではないか。情報が英語で提供されたために意味がわからなかったなどという言い訳はまさかしないだろうが、それにしても原発事故をまったく想定したことがなかったようである。
担当の部署ならば自分で放射線の汚染状況を測定するか、そうでなくてもそれに関係したデータが重要であるという判断もできなかったというのだろうか。多分、内部ではこれを何とかしなければという人が一人ぐらいいて当然である。だが、上司にそれを無視されて嘆いている人がいるかもしれない。
それにしてもSPEEDIという影響予測システムの公表遅れののみならず、かさねがさねのミスであり、これは単にミスというよりは官庁の体質を表していると考えた方がいいのだろうが、これでは官庁などいらないのではないかとまで言われても返す言葉があるまい。
多分文科省の放射線の担当箇所では人員があまりいないとかしたとしても、一人でも担当者がいれば、何が緊急であり、何が重要かの判断もできないとすれば、免職ものである。だから、若い担当者がこれを何とかしたいといったとしたときにそれを上司がうまく判断できなかったのではないか。
この判断でも文科省には大分甘い評価であろうから、もしそういう人が一人もいなかったのなら、これは文科省など廃止してしまえと言いたくもなる。
このデータは経産省の原子力安全・保安院にも提供されていたという。こちらもデータを公表もせず、首相官邸にも原子力安全委員会にも伝えなかったという。
二つの担当部署にアメリカエネルギー省からデータが伝達されていたとすれば、どちらかが少なくとも政府に伝達をすべきであったろう。他の部署が伝達するであろうから、自分のところは放っておいてもよいとは、考えるべきではない。情報は重複してもいいから、念のためですがと言って、関係部署に伝達すべきものである。
そういう安全策をも考えられないようでは、難しい試験をパスして採用された、国家公務員とはなんだったのか。