昨日歯の検診に一年ぶりに行った。歩いて15分ぐらいのところの歯科に行ったのだが、地下道をわたって通りの向こう側に抜けようとしたが、階段がなかなか下りられない。ああ、こういうことで老化は始まっているのだなと感じた。
自宅の2階から朝起きて階下に下りるのにも一歩一歩ゆっくりとしか下りられない。いつも車で移動して歩くことをしないので、こういうことになっている。雑談会の世話人の一人である、Nさんなんかも歩くことができなくなったというので、彼は午前中どこかのスポーツジムのプールで泳いだり、歩いたりしているという。
人生前向きに生きてきた人はそういう工夫をしているらしいが、どうも一日ほとんどパソコンの前に座っている私はどうもそういう努力が足らない。
そういえば、昨日行った歯科で待ち時間に週刊誌で原発問題の記事を読んだら、業界から買収されなかった反原発学者としての高木仁三郎氏のことが書いてあった。3億円のお金をもとにして研究会を組織してくれないかとの経済界の申し出を70年代だったかに断ったとあった。いまの額にすると百億円に相当すると書いてあった。
それはいいのだが、原子力情報調査室についてその発足時にそこを反原子力研究者のサロンとしたいという一派が調査情報室を去って、反原発一本にまとまったとその週刊誌に2,3行書かれていた。
このいきさつは高木氏の「市民科学者として生きる」(岩波新書)に「金槌と時計論争」として詳しいのだが、このサロン的な集まりの提唱者が武谷三男であるということになるとすると、どうもこの週刊誌の書いたことはあまり正しくないのではないか。
私は武谷の著作や論文リスト(素粒子論研究電子版参照)をつくっている者だが、原子力調査室のスタッフのNさんから、武谷さんが亡くなったときの、高木氏の追悼文のコピーをもらっている。
それによると、武谷氏は「私が代表でいると君が仕事がやり難いだろう」と言って代表を辞めたと高木氏は書いている。
先日、新聞を見たら、原発推進派の国会議員であった方の言として、反原発学者でも尊敬できる人は高木仁三郎氏だけだとあった。高木さんが偉大であり、その業績も優れたものであるのは間違いがないが、それ以外の人は尊敬に値しないというのは本当なのだろうか。
そこに原発推進派の方々の底の浅さを見るような気がする。