物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

また夢の話

2011-05-18 13:32:13 | 日記・エッセイ・コラム

ほとんど毎晩夢を見ているらしいが、記憶に残るものは少ない。昨晩の夢は変な夢である。以下は夢の話である。

私はどうもCIA要員の一人であるらしい。それで、どうも私の知っているところでは京都の鴨川沿いのカフェか何かでそのカフェーの透明なガラスの室内から川べりを人が散策するのを眺めていた。そのうちにCIAが組織が肥大していて、無駄な費用を使っているというので、FBIから捜索を受けるらしい。

ということになって、そのカフェから本庁の建物に逃れるのだが、そこにFBIの捜査官が立ち入るというような話だったらしい。それがもし私がアメリカのCIAの要員ならば、英語で話をしてもいいはずなのだが、全く英語で話をしているという意識がないから、日本語で話をしていたのだろう。

それになぜCIAの出先の機関が京都の鴨川ベリにあったかも、夢が醒めて考えるとまったく理にあわない。そういう突っ込みを入れられると困ってしまうのだが、夢のことであるからお許しを願いたい。

情報関係のことに関心があるわけでもないので、脈絡を欠いている。京都の鴨川ベリが出てきたのは今年の1月に前進座の新春公演を南座に見に行ったときに鴨川べりの宿に泊まったことを反映しているのであろう。

CIAが多額の無駄な費用を使っていることで捜索を受けるからといって、それほど私自身はびくびくしていたようには思えない。そこらへんもまったく理にあわないことであった。


不等式と連分数

2011-05-17 12:03:26 | 数学

不等式といっても簡単な高校数学で現れるくらいのものならどうってことはないが、「数学とは不等式の証明ですね」とは友人の数学者Nさんの言である。

それが数学の本質なのかどうかは私にはわからないが、Nさんがそういう理由はそれなりに確かにあるのだろうと思っている。

不等式についての数学書は日本語で出ているのは10冊以下だろう。もちろんこれは受験参考書は除いての話である。

だが、頭のいい人はなんでも本などには頼らなくて自分で必要なものは考案してしまうが、私は直ぐ文献に頼る方である。しかし、結局それらの書が理解できないで放り出してしまうことが多い。

これはNさんの論文の不等式の証明が素朴なアイディアでうまくできないせいである。それで仕方なく明日その点をNさんに聞きに行くことにした。

数学・物理通信に仙台在住のTさんが連分数のテーマについて投稿されたので、連分数に少しだけ関心が生じている。昨日だったかインターネットで連分数について検索してみたら、結構たくさんのサイトがあった。

連分数についてはかなり多くの人が関心をもっていると思われる。私が関心を持った理由は平方根の近似値の求め方として、連分数で表す方法があるらしいからである。

平方根の近似値の求め方はレビューしてみたいと思っている。すでにニュートン法での平方根の近似値の求め方とバビロニアの算法についてはすでにエッセイを書いたが、平方根の近似値の求め方はまだまだたくさんある。多分6,7通りくらいはあるのではないだろうか。

森口繁一先生の「数値工学」(岩波書店)には連分数は重要なテーマだのに数学において十分にとり上げられていないのは残念だと書いてあった。もっとも私は連分数について詳しく書いた本はもっていない。


石手川ダムの貯水率2

2011-05-16 14:54:00 | 日記・エッセイ・コラム

石手川ダムの貯水率が最近問題だったせいか、私の同名のブログに少しアクセスがあった。だが、先週の2,3日の雨で石手川ダムの貯水率が90%を越えて渇水対策協議会は直ぐに解散してしまった。

このことは雨が少し降れば、石手川ダムの貯水率が直ぐ上がるくらいにダム自身の容量が小さいことを示している。だが、その改修とかに話が進まないのは土木関係の市の予算が大きい方が土建業者が潤うからだと言われている。それで、石手川ダムの下にもう一つ小型の第2ダムをつくるとかいうような細かな手直しは考えられるにしても話にはでない。

西條市の黒瀬ダムの分水も工事が必要でそれに伴う工事費が多額になるからだと言われている。それが面河ダムからだと水利権の問題はあるが、それをなんとか政治的に解決さえすれば、大した工事もいらず松山市の負担する費用は大した額ではないとか。

その話が進まないのは政治家とそれに結びついた土建業者の思惑の関係があるからだともっぱらのうわさであることはほとんど誰でも知っているらしい。また、海水の淡水化も考えられるし、いろいろ方策はあるにしても水不足の根本対策が実行される見込みはしばらく起こりそうにない。


移項と同類項の簡約

2011-05-16 10:49:37 | 数学

愛媛県の数学教育協議会の委員長をされているS先生は学習会のお知らせにあわせて彼の思いをエッセイとして書いていつも送ってくる。

その最新のエッセイの中にこの「移項と同類項の簡約」の話が出てきた。話は来月に続くのでどういう風な結末になるのかはわからないが、それを読んで考えた。

同類項の簡約と移項という概念とがごっちゃになってしまったという中学生の例を上げておられるのだが、これは実は方程式のときの等式変形のルールと恒等式の変形のルールがごっちゃになってしまったということである。

実は私も高校1年生のときにこの区別がつかなくて変な計算をしていた時代がある。だからこの間違いはかなり普遍的な間違いである。

それで高橋一雄さんの「語りかける中学校数学」(ベレ出版)になにかいいアイディアが出ているかと思って調べてみたが、そういうアイディアは出ていなかった。「語りかける数学 数 I 」(ベレ出版)も同様である。

こういうところが高橋さんの著書にどうも不満を感じる点である。もっとも生徒が間違う例が豊富なのが、彼の書の特徴であり、それが彼の書がベストセラーとなる理由であろう。

私が昨年だったかe-Learningのコンテンツ代数をまとめたときも閲読者の一人となってくれた技術者のbreezingさんと、このことで文章の内容と表現のしかたで何度かやりとりをした。

方程式と恒等式の違いの分かっている私たちでもそれをどう教えるかとか、どう認識しているかとなるといろいろ考えが違ったりする。

私は移項は単なる便宜的な考えだから、方程式においては、これは天秤のようなイメージで同じ数とか同じ式を両辺に同時に足したり、引いたりすることができるという等式の性質の方が重要と考えている。そしてそれが移項したときに符号が変えるという結果になるということを分かってもらう必要がある。

だからS先生が指摘されているような、項を単に動かしただけで符号が変るわけではないことをわかってもらうことが大切と考える。

そのときに簡単な代数式を文字タイルで表して図示をするのがいい。だが、こういうことを文章で言っただけでは中学校の数学の先生方にもなかなかわかってもらえないだろう。

同類項の簡約は同じ因数をもつ文字タイルを縦に重ねるとよい。

符号が同じものは単に足しあげるだけである。ただし、負の係数のついたタイルは斜線を引いて区別をして、この斜線のある文字タイルと斜線なしの文字タイルは一つづつ相殺させるのである。

相殺した後に残る文字タイルが簡約された文字タイルである。


水からの伝言

2011-05-15 12:23:16 | 学問

「『水からの伝言』をめぐって」と題するエッセイが物理学会誌5月号に発表された。これらの著者は2006年春の松山での物理学会での「『水からの伝言』問題を批判した発表者とそのときの司会を務めた、天羽、菊池、田崎さんの3人である。

いわゆる『水からの伝言』を巡る話で、要約すると『水からの伝言』という写真集のいうところは科学的にはまったく根拠がないということである。ところが、この写真集の主張を取り入れた道徳教育が行われているというから驚く。

このブログでこういう話を書くと多分『水からの伝言』のCMに使われてしまうのだと思うので、それを考えるとこのブログもその一端を担ぐことになるので、気が重い。

だが、物理学会の普通の良識ある方々のレベルでは「水の伝言」の主張を支持する人はいないと思うが、物理学会はまた「水の伝言」の主張を支持する方々の講演を排除をしてはいないというから難しい。だから物理学会で発表をしたから、大部分の物理学者に支持されたなどと主張されても困るのだが、その恐れは十分にある。

そういう事情を反映してだと思うが、天羽、菊池、田崎さんたちの主張も断固としたものでありながら、それでいて控えめである。ことは、ある人たちの利益にもつながっているだろうから、一層難しい。


日本語を知っているか

2011-05-14 13:25:52 | 外国語

「日本語を知っているか」という題の今日のブログをあえて外国語に分類した。私たちは日本語を知っているようで、知らないでもどうってことなく過ごしている。

いつだったか海峡という言葉のドイツ語Meerengeで「海峡って海が狭くなっているところなんだな」とようやく認識した次第であった。engというのはドイツ語で「狭い」という意味で、Das Zimmer ist eng. (この部屋は狭い)などと使う。だからMeerengeというと直ぐにイメージができたが、それが日本語では海峡だというので、やっと峡の日本語の意味がわかった。

愛媛県今治市には来島海峡という潮の流れの速いので有名なところがある。だから海峡というものを知らなかったということはない。それも実物の来島海峡をそこにかかっている橋とともに何度見たことか。

だがその実物を知ってるということと概念としての海峡とは結びついていなかった。(単にこれは私が日本語に対して鈍感だということを示しているだけだろうが)。

それがこのドイツ語のMeerengeでようやく概念としてわかったわけである。日本語には山間に挟まれた山峡という語がある。そうだすると山峡にあたる、Bergengeという語もあるのではなかろうかとようやく気がついた。

それで今朝書棚のドイツ語辞典を引いてみると確かにBergengeという語があった。ちなみに言うと、これらの語は女性名詞でdie Meerenge, die Bergenge(かなで発音をつたなくつけておくとそれぞれメーア・エンゲ、ベルク・エンゲ)である。

もう一つ半島という語があるが、これをドイツ語でdie Halbinselという。読んで字の如しで、半分(halb)くらいは島(Insel)だというのであろう。そういえば、半島は島ではないが、海に突き出した陸地であるから、半分は島という捉え方はあたっている。

しかし、そういう風に考えたことはなかった。英語のpeninsulaの中にあるinsulaは島を意味するであろうから、多分この語源は知らないが、半分が島のようだという概念があるに違いない。


13日金曜日

2011-05-13 12:01:22 | 日記・エッセイ・コラム

今日は13日の金曜日である。由来は知らないが、キリスト教では13日の金曜日は忌むべき日のはずである。しかし、日本ではそんなことは気にしないと思う。それに個人的には5月13日は子ども誕生日でおめでたい日である。

ところで、13日の金曜日がどのくらいの頻度で起こるのだろうか。そんなに頻繁に起こらないとは思うが、どうなのだろう。今年のカレンダーを見てみると13日の金曜日は5月だけで他には起こっていない。

一年が365日だとかいうことを無視して、さらに毎月の始まる曜日は均等に起こると(そんなことはありえないが)仮定すると7ヶ月に一回くらいの頻度で13日の金曜日があってもよさそうだが、今年のカレンダー見る限りではどうも5月しか13日金曜日はないようだ。

昨年の2010年もカレンダーを調べたが、昨年も一年に1回の8月13日が金曜日になっている。それで来年の2012年のカレンダーを調べたら、来年は閏年のせいか3回も13日の金曜日がある。1月、4月、7月の3回である。

来年はちょっと特殊な年なのだろうが、一年に3回も13日金曜日が大安売りではかなわない。多分、私は一年に1回か、または2回くらいの頻度で13日金曜日があるのではないかと考えていたが果たしてどうなのだろうか。

一年が365日とすると365は7で割るとあまりが1となるので、つぎの年には元旦の曜日が一日だけ変る。しかし、面倒なことに4年に一回閏年があるので、この年のつぎの年には元旦の曜日が2日変る。こういうことを考慮に入れてどのくらいの頻度で13日金曜日が起こるかを考えなくてはならない。ちょっと面倒である。

しかし、13日の金曜日がどのくらいの頻度で起こるかを考察をした人は多分今までにもいると思うので、確率・統計とかの分野の書籍を調べてみたいと思っている。

(2011.5,14付記) ウイキペディアによれば、これは迷信だそうなので、これからはまったく気にする必要はない。多分に映画製作会社や出版社とかマスコミのPRのためにこの迷信が使われているのであろう。日本のウイキぺディアでは2011年から2029年までの13日の金曜日の月が出ていた。

2010年も含めて考えるとこの20年間に2月と6月に2回13日の金曜日があるが、後の月は3回起こることがわかる。統計をもっとたくさん取らなければわからないが、多分、等分に分布しているのであろう。ちなみにその20年間で年に1回だけの年が9度、2回ある年が8度、3回ある年が3度であった。さすがに年に3回の13日の金曜日は頻度は少ない。

以下は日本のウイキペディアからの引用である。

13日の金曜日(じゅうさんにちのきんようび、Friday the 13th)は、英語圏の多くとドイツフランスなどの迷信において不吉とされる日である。忌み数の13 と関係がある。

なお、現在多くの国で用いられているグレゴリオ暦では、1年の間に必ず1日以上、13日の金曜日が現れる(第1日が日曜日である月にある)。またグレゴリオ暦の置閏法は400年を周期とし、400年間の日数14万6097日はちょうど2万871 週なので、400年で同じ曜日のパターンが繰り返される。そのパターンでは、13日の曜日の中で最も多いのは金曜日である。


スプライン関数

2011-05-12 11:30:37 | 数学

スプライン関数は補間法に関係がある。

これに関心を持つようになったきっかけはもともとガウス積分法という数値積分法に関係している。

ニュートリノという粒子が陽子にあたって起こる反応の断面積を計算していたのだが、もちろん最後の段階で数値積分をしなければならなかった。ところがその数値積分がうまくいかない。

それで数値積分のしかたの検討から、その基礎になっている補間法に関心を持つようになった。その中の一つにスプライン補間があり、それでスプライン関数を知った。

スプライン関数にはいろいろなものがあるが、実際に私たちがその後使ったのは自然スプラインといわれるもので、変数の区間ごとに3次式で近似した関数であった。もちろん区間のところでつぎの区間と滑らかにつながるようになった区間3次式である(付記 参照)。

あるスプライン関数の(日本語の)本を読んで、その意味するところをようやく読み解き使った。これを使ってMilne法という古い微分方程式の固有値を求める方法に使うという数値解析的な仕事をした。

これは4編ほどComputer Physics Communicationsというオランダで発行されている雑誌に発表された。

もともとこのMilne法で固有値を求める方法は学習院大学の江沢先生たちが紹介された方法であったが、それをスプライン関数を使って少し改良した計算法となった。

シュレディンガー方程式の固有値は問題なく求まるが、それをさらに一般のSturm-Louville型微分方程式の固有値に実際に使ってみることが、私たちの目的だった。

大抵の場合に精度のいい固有値を求めることができるが、それでもすべての場合に成功という訳にはいかなかった。成功しない場合をなんとか定年までに解決するつもりだったが、まだ未解決のままとなっている。

(2013.1.18 付記) スプライン関数についてのやさしい説明を知りたい方は小著『数学散歩』(国土社)で述べてある。

これはもう出版元でも品切れであり、再版の予定はない。google bookで、もしこの該当箇所を見ることができれば、それをコピーして読んでほしい。またはciiniで所蔵図書館を調べて遠隔貸し出しで、借り出してコピーをして読んでください。

読むのにほんの数日(1週間はかからない)はかかるかもしれないが、きっと誰でもその気になれば、読みきることができるはずである。

もっともこのエッセイでスプライン関数の全貌がわかるわけではなく、自然スプライン関数の説明にしか過ぎないことをお断りしておく。


オートマトン

2011-05-11 12:02:38 | インポート

長年の工学部勤務で聞いた言葉にはオートマトン、カルマンフィルター、カオス、カタストロフィー、グラフ理論、スプライン関数、ベジェ曲線等がある。

それにこれは工学部で聞いたわけではないが、流体力学ではカルマン渦(Karman vortex)もある。これはカルマンフィルターのカルマンとは別らしい。カルマンフィルターのカルマンはKalmanと綴るらしい。

いま、広辞苑でオートマトンを引いてみると、これは出ていて

コンピュータをはじめとする種々の計算機構の数学的なモデルの総称。入力と出力を結ぶ有限個の内部状態を考え、入力により内部状態が変わり、出力は内部関数の関数として定まる。

とある。

同じ学科に属していた数学の I 先生の学生がこのオートマトンの簡単なモデルを学部生の卒論で発表したことが何回かあり、それを聞いていて、どうも数値計算の誤差の集積の様子に機構が似ているねと I 先生に言ったら、やはり数学者のノイマンか誰かは「そういう風なイメージからオートマトンを導入したらしいですよ」と言われた。

しかし、その数値計算の誤差の集積の様子をそのような数学モデルに抽出したとすれば、やはり優れた抽象感覚であろう。私のような凡人にはそういうことを思いつきそうにもない。


原子炉の運転法

2011-05-10 13:36:06 | 学問

原子炉の実際の運転法を私が知っているはずがない。しかし、原理的なことはわかっている。

原子炉を定常運転することは原子炉の中の核分裂の連鎖反応を定常的にほぼ一定にしておけばよい。

核分裂を1回すれば、その1個の核分裂の際に平均として中性子が2.43個放出される。

この2個内外の中性子がすべてつぎの核分裂反応に使用できるわけではないので、そのうちの幾分かはU238に吸収されてしまう。

その中でつぎの核分裂反応に使える中性子の数が減りもせず増えもせずになると臨界に達したいわれる。詳しいことは忘れたが、中性子有効増倍率K=1であれば、なんとか中性子が増えもしなければ減りもしない。

しかし、これでは原子炉の持続運転はできないので、普通はKを1よりも僅かに大きくしたり、また小さくしたりして、原子炉内の中性子の数をコントロールしている。

これを行うには原子炉の中にある、カドミウムでできた制御棒をコンピュータ制御で少しづつ入れたり、出したりする。これが原子炉の定常運転である。

何十年か昔大阪府の熊取にある、京都大学の原子炉実験所で原子炉を見せてもらったときには制御棒は上から吊り下げられていたように思うが、原発では制御棒は原子炉の下の部分から挿入されているようである。

そして、電源が切れたら、フェールセーフ(fail safe)となるように制御棒はすべて炉の中に挿入されるように設計をされていると聞いた。

今回の福島第一原発事故では確かにこの制御棒は直ぐに挿入されて炉の停止はされたが、問題はそこ以後で「止める、冷やす、閉じ込める」の止めるだけはできたが、冷やす、閉じ込めるには失敗した。

はじめにテレビに出ていた東京大学の原子力工学専攻の教授が原子炉は止めるができたので、原子炉としては最低のことはできたという評価をちょっと言っていたが、さすがにその後はそういうことを口に出していう人はいなくなった。

事故の大きさに気がついて話す言葉に慎重になったのだと思う。


overshooting

2011-05-10 12:54:19 | 学問

オーバーシューティング(overshooting)という語を知ったのは知り合いだった、機械専攻の大学院生が私のところに何かを聞きに来られたときであった。このときはまだ教師になって数年しかたっていなかった。

彼の質問には結局答えられなかったのだが、オーバーシューティング(overshooting)とは、行き過ぎてもとへ戻るような現象というか事実であった。

そういえば、数値計算で「狙い打ち法」というのがあって、ある計算をして、それが望みの値よりも大きいか小さいかを調べ、大きければ小さくなるように修正し、もし小さければ大きくなるように修正する。こういう操作を繰り返せは意外に早く望みの値に近づくことができる。

こんな原始的な方法がと思うのだが、コンピュータはくり返し計算を人間が数値計算を手でやるよりは計算速度が速いので、この原始的な方法が結構有効なのである。

もっとも微分を知っていれば、ニュートン法などが知られている。高次代数方程式の根を求めるときなどはこのニュートン法を使ったりする。また、ある数の平方根の近似値を求めるのに使うことができる。

ところで、実はこの方法は軍艦などが相手の軍艦を砲撃するのに実際に使われていたと聞いた。今ではそんな原始的なことはしないのだろうが、昔はこういう方法で相手の軍艦を砲撃していたのだという。

そういう工学分野のいろいろな概念で理学としての物理学を学んだ者が知らないようなものがいくつかあるのだろうと思うが、そのすべてを知っているわけではない。

ともかく、オーバーシューティング(overshooting)とかundershootingという語を工学の概念として知ったのももう何十年も前のことである。


律速段階

2011-05-09 11:32:33 | 学問

工学部に長く勤めていたので、工学部の先生とか学生にはなんてこともないことだろうが、私にははじめての用語というか概念にいくつか出会ったことがある。その一つに「律速段階」という語があった。

これは化学反応の用語だと思うが、私がそのことの意味を教えてくれたのは冶金工学者のDさんだった。Dさんはそんなことも知らないのかともいわずに丁寧に教えてくれた。

先ほど、念のために広辞苑で律速という語があるか調べたのだが、難しい言葉でもなんでも収録されている広辞苑でもさすがにこの語は出ていなかった。それで、岩波「理化学辞典」を見たら、こちらの方にはもちろん出ていた。

一連の化学反応があって、その中で一番遅い化学反応がその全体の反応を時間的に決めている。そういう反応の関係する段階を「律速段階」という。

わかりやすい例でいえば、ゴールデンウイークの終わりごろに休暇を終えて首都圏に帰ってくるときに高速自動車道の出口付近に車がたまって渋滞を引き起こす。

要するに自動車道路では高速で車は移動できるのだが、出口付近では料金徴収とかの時間はなかなか高速処理はできないために、そこらあたりで渋滞を引き起こす。その影響で高速自動車道路自身にも渋滞が起こる。

だから、高速自動車道では出口、入口の処理の速さが「律速段階」なのである。

これは古い話で今ではあり得ないことだが、50年近くも前に、いまのパソコンよりはるかに性能のわるいコンピュータで計算をしていた。

このときに計算結果のプリントアウトがその頃まだタイプライターでラインプリンターもない頃であったので、折角コンピュータで高速に計算をしても出力がネックになるのであった。

その後、マグネティク・テープにデータを落としたり、フロッピーディスクになり、CDやDVDになったり、いまではフラッシュメモリに出力される。またはハードディスクにデータは落とされる。

入出力の速さも格段にスピードアップしている。今昔の感がある。


3372025

2011-05-07 14:10:33 | 日記・エッセイ・コラム

この数字は何の意味があるか。大した意味はない。これは実はH大学の学生だった頃の私の学生番号である。

上から33は昭和33年入学であり、つぎの72は理学部7と物理学科2(数学科が1だった)を意味する。下3桁の025は私に固有の学生番号であった。

どうしてこういう数字を思い出したのかはわからない。今朝の夢うつつの状態でこういう数字を思い出したのである。(ジツハ・・・とおどけて書こうかと考えて構想を練ったのだが、いざ書こうとしてどうも世の善人の方々に叱られそうに思われたので、おふざけは止めた)

いつだったか昭和と西暦との換算が面倒だと言ったら、そんなことはないよと直ちに電気工学者のWさんに言われた。なぜなら、昭和の年号から西暦を出すには25を足せばよいし、西暦から昭和にするには25を引けばよいと即座に言われた。このWさんには昭和と西暦の換算は単なる単位の換算だという。

それはそうだろうが、換算しなくてはいけないと思うだけで余計に感じる。

ともかく私は平成になってからは、もう年号で年を覚えることを止めて西暦だけしか使わないようにした。だから平成何年が西暦何年かはまったくわからない。

ともかく、昭和33年は西暦で言うと1958年であることはよくわかっている。なぜなら、私には1958年は大事な年だからである。その前年の1957年10月だかに当時のソビエト連邦の人工衛星が打ち上げられ、その影響をうけて各地の大学の理系の学部の学生定員が増加してそのお陰で大学へは浪人しないで入学できた。もっとも1年のときに病気をして1年生をもう一度したから、なんのことはなかったが。

もっとも私の大学入学した年の入学定員の増加などその後の10年以上にわたる、理工系の学生の増加振りから言えば、まだかわいい小規模なものであった。


また、妻の話

2011-05-06 12:52:26 | 日記・エッセイ・コラム

またか、とうんざりされた方もあろうが、興味深い考えだと思ったので、妻の話をここに書く。

子どもがパートナーをようやく見つけて、というか、本当はパートナーの方に自分の子どもを配偶者として見つけてもらって、親ができるようになったことがあるという話である。

嬉しそうに妻がある集まりで自分の子どもがやっとパートナーを見つけたとでも、言っていたのだろうか。その集まりに居た方からいわれたという。それは子どものことを自慢してそれに同意してもらえることができるようになるということである。

そういわれて、それをどなたに言われたかは妻はもう覚えていなかったが、奇妙に納得したという。親、特に母親は子どもを誇りにしているが、そのことが話しに知らず知らずに出ることがある。

子どものパートナーは自分の子どもをある意味で好ましくていいと思ってくれた方がパートナーとなっているので、親が子どもを誇りにしているという様子にもそれほど違和感がなく、なんらかの仕方で同意をしてもらえることが多い。

それで、母親は気持ちがいいのではないかというのである。そういうことを実際に体験している方はやはり子どもがいいパートナーを見つけた、または、いいパートナーに子どもを見つけてもらったということにもとづくのであろう。

どうも、どこの親御さんも親馬鹿なものである。いや、もちろん私自身もその中に含まれている。


偶然の出会い

2011-05-05 14:19:42 | 外国語

偶然の出会いを「邂逅」とでも日本語ではいうのだろうか。

出会うということを表すにしてもその出会いが偶然であるということを意味するときにはこのような特別な語を使う。

先日のドイツ語のクラスでdie Begegnungという語を出会いという意味に使った方が居られ、R氏がこれは偶然に出会うという意味だと言われた。

そういう意味は日本語の邂逅にもあると思うが、外国語にも対応した語がある。英語ならencounterと言うのだろうし、フランス語ならla rencontreとでもいうのだろうか。また英語ではrun across someoneというような言い方もあったのではないかと思う。

この最後の表現はノーベル賞物理学者のC. N. Yangが彼の最初の奥さんと出会ったのがニューヨークのどこかの街角であったとかいうのに使っていた。彼女は彼が教えた高校の教え子の生徒の一人であったらしいが、中国では知り合いになってはいなかったとC. N. Yangの論文選集には書いてあった。

(2011.5.15付記) 5月12日のドイツ語のクラスで、医師の I 先生からBegegnungの綴りがちがっているよとご注意を受けた。それで、ようやく今日訂正をする。 I 先生有難うございました。これからもミスがあったら、どなたでもご指摘下さい。