四国遍路というのは弘法大師、空海が開いた真言宗の88箇所のお寺を歩いて回るのをいう。
もちろん昨今では自家用車で回ったり、ツアーを組んでマイクロバスで回ったりもする。ただ、歩いて回るのと文明の利器を利用するのとではご利益が格段にちがうだろうか。
その辺は定かでないが、テニスクラブの仲間である、Sさんがこの四国遍路の旅に出たと最近聞いた。そしてここ数ヶ月はテニスに出てこないという。
このSさんは高校時代には四国のインターハイの硬式テニスで優勝したことがあるというテニスの腕前で、もう一人、かつてのM大学の硬式テニス部員だったUさんと並んでほれぼれするようなテニスをする方である。
SさんとUさんとを除けば、私たちのテニスクラブはアマチュアの集まりであって、それほど技量が抜群に優れている訳ではない。それでもメンバーがそれなりに楽しんでおり、もう20年以上続いている。
Sさんは有能な税理士さんだったが、考えるところがあったらしくて今年還暦を迎えたのを機会にその税理事務所を閉めて勇退をした。それだけなら、どうってこともなかったのだが、このたび四国遍路の歩きに出たというわけである。
その生き方をまねすることはできないが、何か考えさせるものがある。それもこのSさんは車が趣味でいろいろな車をもっている方であるが、それらの車を使っての四国遍路ではなく、歩いての四国遍路である。
その話を聞いて、私などは種田山頭火を思い出す。漂白の俳人と言われた山頭火は家族を捨てて漂白の旅に出たと聞く。山頭火の終の棲家であった一草庵は愛媛大学の城北キャンパスから北に少し行ったところにある、護国神社に隣接している。
ときどき、その一草庵で句会が開かれたというのをNHKのローカルニュースで見たりするが、普段はこの一草庵を訪れる人はあまりいない。物理学者のWさんが定年退職のときにこの山頭火に因んだ版画を有志がWさんに贈ったと聞いた。このWさんは現職のころにしばしば松山に集中講義で来られたが、一度もこの一草庵にお連れしたことがなかった。