物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

モン・サン ミッシェル

2018-07-10 12:31:06 | 日記

の絵を妻があるクレディット・カードの雑誌の取材記事の写真を見て、昨日描いていた。あまり上手に描けたとは言えないが、それでもモン・サン ミッシェルの感じはよく出ていた。妻は月曜の午前中はパソコンクラブの集まりを主宰して、午後からある無料の絵画教室に出ている。

それでいつも絵の画題になる風景を探している。彼女も私もこのモン・サン ミッシェルを訪れたことはない。この私のブログでもなんどか、この北海の潮が引いた干潟のことを書いた記憶がある。

ここはいわゆる遠浅であり、ドイツ語ではなんとか言ったのだが、その言葉が今すぐに出てこない(注)。干満の差が前に書いたときには7-8mと書いたと思うが、上に触れた雑誌の記事によると大潮のときという制限付きではあるが、15mの干満差があるとあった。

そして、私も潮の満ちてくる速さは馬が駆けてくるくらいと書いた覚えたあるが、この記事によるとその形容をしたのは文豪ヴィクトル・ユーゴーであったらしい。

いつもこのブログで話題にするドイツ人の R 氏によれば、そういう潮の干満が一日に2度もあるのだから、東日本の津波もその被害がすごかったのはまだ記憶に新しいが、この津波みたいな潮の干満が一日に2度もあると言われていた。

そういえば、パリにはブルヴァル・サンミッシェルという通りがあったはずだ。略称してブル・ミッシュとかいうらしいが、詳しいことは知らない。たぶんミッシェルという聖人にちなんだ通りだろうと思う。

モン・サン ミッシェルにかえると、ここはノルマンディとブルターニュとの境だとあった。アルコール好きにはノルマンディ産のリンゴ酒シードルとかカルバドスとかギャレットのクレープとかが思い出されるのだろうが、残念ながらここには1度も行ったことがない。

(注)-s Wattenmer(ヴァッテン・メア)であった。-s とはドイツ語の中性名詞の定冠詞 das の略である。ちなみにドイツ語の名詞の性は男性、女性、中性であり、それぞれ der, die, das (主格(1格ともいう)のとき)であるが、それぞれ -r, -e, -s と略記する。ちなみにフランス語では名詞は男性と女性しかなく、中性名詞はない。名詞の性を覚えるにはドイツ語では定冠詞をつけて覚えるといいと言われる。一方、フランス語では不定冠詞 un, une をつけて覚えなさいと言われる。複数の不定冠詞 des があることがフランス語の特異なところである。

 

 

 

 

 

 


豪雨とは関係がないが、

2018-07-09 15:40:53 | 日記

なぜかフランスで車のタイヤがパンクしたときのことを思いだした。れは1977年2月の終わりのことだった。数日にわたる、パリの観光を終えてから、オルレアンを経由して、ブロワで1泊して、つぎの日にロワール河沿いの城巡りをはじめた2日目か3日目のことだった。

優美な城で有名なシャンボール城を観光し、それからロワール河の上に建てられた城のシュノンソーの観光も終えて、ナントへと向かってロワール河沿いを下っていたときに、車ががたがたと振動をはじめた。

どうもパンクしたらしいというので、車を止めて降りてみたら、後部の右側の車輪が、完全にパンクしている。それで工具をとりだして車輪のボルトを外そうとしようと試みたのだが、なかなかはずれない。ようやく1個か2個は外れたが、まだ数個のボルトが残っていた。

雨は降りそうになるし、夕方も迫ってきそうなのでしかたなく、その街道を通っていたフランス人の車を止めたら、すぐにそのボルトをはずすことを試みてくれた。しかしそれでもうまくいかない。

工具のサイズがあってないということで、自分の車の工具をもってきてボルトをはずしてくれ、タイヤを交換してくれた。長距離トラックの運転手だけあって、きわめて要領がよかった。お礼を申し述べたはいうまでもない。工具の型番が34か43だとそのとき教えてくれた。その型番の工具を買っておきなさいとのアドバイスまでもらった。

そのことがあったので、急に心細くなって一路ドイツに向かって帰ることにした。雨が降って大きな虹がかかった、その虹の方向に向かって、ドイツ国境を目指して帰り、夕方にはどこだったかトリアの近くの田舎の宿に泊まったことを覚えている。

フランスのアウト―バンL'auto routeはドイツと違って有料であり、あまりフランスの車は走っていない。見かけたのはドイツの車とかスウェーデン車とか外国の車がほとんどだった。もっともこれはもう40年近い昔のことであるから、現在では全くちがっているかもしれない。

そして、つぎの日にようやくモーゼル河沿いの道を下ってマインツに帰った。



今回の豪雨

2018-07-09 11:25:52 | 日記

はいままであまり大きな被害のなかった愛媛県と広島県に集中していた。それから岡山県も台風等で比較的被害が少ない県だったと思うが、水害にもあった。

幸い私の自宅には被害がでなかったが、皆さんのお宅はどうだったでしょうか。もし被害のあった方にはお見舞いを申し上げます。

昔の知人に妻が電話をかけたら、むしろ愛媛のほうが被害が大きかなったのではないかとむしろお見舞いをいただいた。もっともこの方のお宅は呉市につながる3つの道のいずれも災害でふさがれて陸の孤島化しておられたが、災害には遭われてはいなかった。広島県在住の方である。

 


絶対温度

2018-07-07 14:12:54 | 物理学

熱力学では絶対温度を使う。

この導入の仕方をどう書いてあるか気になって、いくつかの熱力学関係の本を探して拾い読みした。ボイル・シャルルの法則から気体の持つ圧力 p と体積 V の積が摂氏の温度 t と1次関数の関係にあることから、その直線の方程式を求めて絶対温度 T を導入している本が1冊だけあった。これは三宅哲『熱力学』(裳華房)である。

もっている熱力学の本を全部調べたわけではないから、なんとも言えないが、やはりこのように絶対温度を導入してあるのが教育的にはいいと思うが、ケルビン卿がこの絶対温度の導入した理由はもうちょっと複雑そうである。このことは戸田盛和『エントロピーのめがね』(岩波書店)に書かれてあるが、もうちょっとはっきりしない。

いままで絶対温度の導入の仕方についてあまり考えたことがなかったが、一度考えをまとめてみたい。

 


今年も半分すぎた

2018-07-07 14:00:14 | 日記

先日、新年を迎えたと思っていたら、もう7月になった。それも今日は7月7日で七夕の日である。私が子どもころはまだ旧暦が色濃く残っていたころで、母などはお雛祭りでも七夕でも旧暦でお祝いをしていたように思う。現在では旧暦でこれらのお祭りをする人はいなくなった。

旧暦を知っている人などほとんどいなくなったからであろう。中国とかベトナムとかでまだ旧暦の正月が残っていたりするのを聞いたり、見たりするとなんだか懐かしい感じがする。しかし、それはもう他国だけに残っている習慣だと思っている私がいる。


大雨が降ると

2018-07-07 13:49:54 | 日記

日本全国で災害が起きる。こんなに危ないところに私たちは住んでいるのだということを思い知らされる。私の住んでいる松山でも離島で災害が起きた。

昨夜、市の広報車がなにか言いながら、回っていた。耳を澄ませて聞いたら、山際のところに住んでいる人たちへの警告であった。別に山際に住んでいるわけではないので、無視をして就寝した。

こんなに広範囲に大雨警報が出るのはめずらしい。大雨で家の裏の山が崩れたという事例が今朝のテレビで多く報道されていた、こんなに山際に住んでいる人が多いとは思わなかった。日本が山国であることはとっくの昔から承知していたはずなのに。


砂糖ならば、あまい

2018-07-06 17:59:50 | 数学

私のブログを見てくれる人でやはりブログを書いている人がおられる。その人が「必要条件と十分条件」について書いていた。

それは「女優ならば人である」というものである。「女優である」ことの必要条件は「人である」という。それは問題がない。しかし、「人であれば」、「女優であるとはいえない」から十分条件ではないように思われる。

私などは「砂糖ならば、あまい」覚えたと思う。あまいことは砂糖であることの必要条件である。最近はあまくない砂糖もあるのかもしれないけれど。それは一応例外とする。でもあまいことは砂糖であることの十分条件ではないようにおもう。

はちみつも甘いかも知れないし、こんな甘味料を知っているとは年がばれてしまうが、サッカリンだってあまいから、あまいだけでは砂糖の十分条件にはならないように思われる。


三角関数と対数関数

2018-07-06 12:24:20 | 数学

三角関数と対数関数は両方とも高校数学で教わるし、二つとも有用な関数である。つい先日のこのブログでも、その周期性のために三角関数が特に有用であると述べた。ただ私は最近は対数関数のほうにどちらかというと関心がある。

これは私自身がそうだということであり、別に三角関数が有用ではないと思っているわけではない。これはある高校の先生のインターネットのサイトで対数と指数とが同じものの別名であることを知ったからでもある。その事実を知った影響がもう10年近くになるのになかなか抜けない。

ここで指数と対数とは同じものとはいってもそれは指数関数と対数関数が同じといっているわけではないことを、あわてて付け加えておくべきだろう。

あまり数学に詳しくない人なら、指数と対数は同じものの別名だ、などというと、それは間違いだと即座にいわれそうである。もちろん、指数関数と対数関数とは同じものでないことは当然であるし、最近では関数概念が強調して教えられるので、こういう状況ではそういう反応もしかたがない。


元オウム真理教の死刑囚の死刑執行

2018-07-06 11:56:09 | 日記

が行われたと報道された。6名から7名らしい。死刑執行の停止の署名とかも出回っていたが、それも及ばずだった。

死刑執行停止の署名にはそれに反対のかたもおられるだろう。だが、ある主導者のもとにその是非を判断する余地も与えられなかった多くの死刑囚がでたことは単にかれらを死刑してしまえば、すむということではないはずで、そのような大事件が起こった理由をひも解いて、二度とそのような事件が起こらないようにすることそが多くの犠牲者の御霊に応える方法ではなかったろうか。

だが、この国では経験の集積があまりうまくなされないという現状がある。憂うべきことである。


ドイツ語のクラスと辞書

2018-07-05 11:16:41 | 日記

クラスの人数は私も含めて5人である。男性は2人で、あとの3人は女性である。

だいたい、外国語を話すことにかけては女性のほうが上手である。ただ、辞書をもって来ていないのは私ともう一人はドイツ人と結婚していた T さんだけである。あとはスマホを辞書代わりにしていたり、または世話人の O さんはシンティンガー氏編纂の『独和辞典』を持ってきている。彼は4-5年をドイツはマールブルクの大学で神学を専攻していた人なので、辞書などは必要ではないかと思われるが、それでももってきている。

もっともドイツ人の R 氏はスマホで意味を調べる様子を見ると嫌がる。というのは注意がそれるから。これは私のドイツでのゲーテ・インステュートの経験でもそうであった。ゲーテの先生は生徒が辞書を引いているのをみると、注意がそれるので、わからないことは自分に聞いてくれと言っていた。

フライブルクのゲーテで一緒だった S 君は私の前に座っていたが、ときどき辞書を引いていて先生から注意された。彼の場合は文法は問題がなかったと思うのだが、やはりドイツ語を聞くほうがなかなか大変だったらしい。

私がドイツ語のクラスに辞書をもっていかないのは単に辞書が重いからである。何でも聞いてわかるわけではもちろんない。わからないことがあれば、それはなにかと質問をすればよいというのは、もう50年以上も前のゲーテ・インステュートでの経験からである。

ただ、最近ではなかなかドイツ語の音が聞こえにくくなってきているという別の問題が出てきた。これは年を取ったものにはつらい。

私よりも10歳以上も年上だった I さんがクラスに来ることを続けられなくなった理由はたぶん言葉が聞き取れないということだったろう。老齢で補聴器をつけていてもなかなか外国語は聞き取れないのはしかたがない。

昔、高校生のころに英語の先生が英語の映画などをみてすべてが聞き取れているわけではないのだといわれていた。それでも話の前後関係からおよそのことは予想がつくのだと。

 

 

 


ドイツ語要約

2018-07-05 10:59:06 | 日記

を毎回クラスのあった次の週に渡せるようにつくっていたが、この3週間ほどはlatexが動かなかったので、つくれなかった。3週間もつくれなかったので、一昨日から1週分ずつつくったが、まだ先週の分が残っている。普通は先週の分を当日の5時くらいからつくっているので、まあそれだとじゅぶんに余裕があることにはなる。

もっとも1週間前にどういうことが話題になったか覚えていないことが多く、しどろもどろになってつくっている。こういうことをもう10年以上行っている。

いまはこの要約につけた番号が21-12であるので、もう10年以上つくっているわけである。半年の学期でいえば、21学期である。それにしてはドイツ語は上手にならないどころかむしろ下手になっている。お金のかけ方がすくないためかもしれない(注)。

(注)千野栄一さんの『外国語の学び方』(岩波新書)だったかに相当なお金かけて外国語を学ぶとそのかけた費用が惜しいと思ってその外国語が身につくというエピソードがあった。千野さんはもう亡くなられたが、チェコ語だったかの専門家であり、多くの言語に明るい方だった。


少しくたびれた

2018-07-04 14:56:40 | 日記

新しいパソコンを買ってから、なかなかそれがうまく使いこなせないので、疲れた。

だいぶん元に戻ってきたが、それとなにか急に自分の入力した文章が音声で聞こえたりしてどこかを押したりするのでびっくりしている。

だが、まだlatexの文書がUTF8対応に変換する方法がわかっていないので、困っている。これが見つからないと古い文書のまだみることができないのである。


最近コンサートで歌を聞く機会が多いが、

2018-07-04 10:36:34 | 日記

それが恋の歌であったりすると歌の歌詞そのものに対して、その歌っているときは歌っている人はどういう気持ちで歌っているのだろうと想像するようになった。

役者の方は演劇の中で自分が演じている役にはまりきらないといけないというのはわかるが、歌っている人の心理はどうなのであろうかと最近コンサートに行く機会が多いのでそんなことを歌を聴きながら考えている。

コンサートで歌を歌うときとかだけはその歌の歌詞にしたがった気持ちなり、つぎの歌を歌うときは次の歌の気持ちになりとかするとすれば、もちろんそうでなければプロとはいえないだろうが、なかなか気持ちの切り替えが大変だという気もする。

これは一つの演劇中で一つの役を演じる俳優さんよりも難しいのではないのだろうか。だいたいそんなことを考えたことなどなかかったのだが、つい先日もエディト・ピアフの持ち歌だった「愛の賛歌」をこれはアマチュアの人でコンサートをした人が歌ったのを聞いたのだが、しきりにそのようなことが気になった。


高橋真理子記者が

2018-07-03 17:00:48 | 物理学

またまた海の干満現象について昨日だったか、朝日新聞に書いていた。それによると月が真上に来た時に潮が満潮になるはずだのに数時間それから遅れるのはなぜかという疑問に「数学・物理通信」編集者である、私がいつも世話になっている、名古屋大学の谷村さんがその満潮の時間のおくれについてちょっとした理論を出して物理学会で報告をしたらしい。

それによると彼は月が真上に来たときに干潮になるのが彼のモデルでは正しいとの結論になるとのこと。ところが実際の観測では2、3時間遅れで満潮が来たり、12時間も遅れて満潮が来たりと場所、場所によっていろいろであるらしい。

気象庁の海の干満の予報を算出している、専門家はなかなか満潮の時間がどうやって決まるかについて重要なファクターを一つ取り出すことができないと言っているという。

物理は単純なモデルで議論することを得意とするのに、少なくともこの各地点での海の干満を予測する理論は複雑だと結論していた。

要は、海の干満が何を主な原因として起こるかを理科教育で知ることだけで十分なのではないか。実際の干満の時刻を決める要素はいろいろな要素によって決まるけれども。原理と実際はなかなか一致することを簡単なモデルで示すことなどできないということだろう。、

高橋記者、おもしろい記事をありがとう。こういう記事をどれくらいの人が読んで話題としてくれるのか、ひょっとして高橋記者はブログとかの反応を調べているかもしれない。


ワールドカップ:べルギー戦

2018-07-03 14:18:50 | 日記

日本とベルギー戦は前半は0:0で折り返して、なかなか対等に日本が世界ランク3位のベルギーと戦えることを示した。そして後半になって1点のみならず2点も先行するという夢のようなことが起こった。

それで日本の戦い方が変わったということはなかったと思うのだが、ベルギーなにするものぞという意識が生じたのかもしれない。 

まず1点を返されたがそれでもまだ1点の先行していたのでその後の展開はまさかの思いであった。1m90の長身の選手のベルギー選手の交代後にコーナーキックをヘッドで決められた。これはしかたがなかった。そして90分の終了まじかに攻め込んでいてその攻撃が失敗に終わり、こぼれ球を拾われて速攻されてはこれでは守れない。それで決勝の3点目を奪われた。残念ではあったが、一瞬でも日本のベスト8の夢を見せてくれた日本チームの健闘を讃えたい。