宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

「ねじれ新国会」は佐藤正久さんが先陣 参院野党提出の新法成立は憲政史上初 仮払い法

2011年07月29日 17時52分44秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[画像]自民党参院議員(シャドウ防衛副大臣)の佐藤正久さん=本人公式ホームページ。

 平成23年(2011年)7月29日(金)、新しい日本、新しい国会の幕開けです。

 参院自民党の佐藤正久さんらが提出していた「原子力災害の仮払い法案(平成二十三年原子力事故による被害に係る緊急措置に関する法律案)」(177参法9号)が衆院からの回付案(修正案)を本会議で採決し、賛成231、反対6の「多数をもって本案の衆院修正を同意」し、可決・成立し、法律となりました。

 野党参院議員だけが提出した参法で、修正案ではない「新法」が成立したのは、佐藤法が憲政史上初めてとなりました。現行法の改正案を含めても、後に副総理になった久保亘(くぼ・わたる=クボタン)さんらの議案以来、憲政史上2本目となります。

 改正案を含めたすべての参法では、野党提出では過去1回成立しています。第82回国会の昭和52年(1977年)10月25日に提出され、第84回国会の昭和53年(1978年)5月12日に衆院回付案を可決・成立した「女子教職員の出産に際しての補助教育職員の確保に関する法律の改正案」(第82国会参法第1号)です。この法案の筆頭発議者の久保亘さんはのちに副総理・大蔵大臣になっています。久保さんは事実上初のねじれ国会となった第116回国会の召集日である平成元年(1989年)の9月28日に「消費税法を廃止する法律案」(116参法1号)を提出しており、この審議はTV中継もされました。このとき同僚の「野党にも政権担当能力があるのは、(久保さんらの)答弁を見ていれば分かるじゃないですか!?」というヤジがNHKの音声に入ったのをよく覚えています。

 あまり知られていませんが、久保さんは民主党の結党メンバーで、長老として民主党倫理委員長を務めました。

佐藤法審議入りのようすの関連エントリー)「再ねじれ」から1年、「3・11」から4ヶ月 それぞれの“再スタート”

 その久保さん以来となる、天皇陛下の御名御璽が入って公布される参法の筆頭発議者がヒゲの隊長・佐藤正久さんとは、私もうれしいです。というのは、このブログを始めた2007年8月4日が、ヒゲの隊長にとっても、参議院初登院の日でしたし、そして、外交防衛委員会に配属され、北澤俊美委員長と丁々発止のやりとりをたびたび見てきたからです。この委員会は私が野党時代イチバン現地で傍聴した回数の多い委員会です。北澤委員長と佐藤議員の時代は、いつも委員長にやりこめられていただけの記憶があります。おととしの通常国会で、俊美さんは外防を外れましたが、、政権交代で防衛大臣になり、再び、北澤・佐藤のバトルを見られるようになりました。

北澤・佐藤問答の関連エントリー)政治家の「覚悟」とは? 北澤大臣とヒゲの隊長が問答

 そのころから、隊長は独り立ちした参議院議員になった印象があり、「やはり陸上自衛隊で一等陸佐まで行く人は、国会でも良いところまで行くな」と思いました。今調べたら、佐藤さんのことについては、当ブログ内でも15本以上のエントリーで言及(http://blog.goo.ne.jp/kokkai-blog/s/%BA%B4%C6%A3%C0%B5%B5%D7)しているようです。

 投票は押しボタンではなく、自民党などの提案で、記名投票採決がとられ、投票総数237、賛成231、反対6でした。日本共産党が反対したものと思われます。

 前回のねじれ国会では野党の参法は、まず、「年金流用禁止法案」が参院で可決しました。筆頭発議者は民主党本部政調会長だった直嶋正行さんでしたが、主要な答弁者は1期生の蓮舫さんでした。しかし、衆議院では審議してもらえませんでした。次に「農業者戸別所得補償法案」が参院で可決し、衆院でも審議させてもらいました。平野達男さんがほとんどの答弁を手がけ、野党なので数字がなく、勧進帳状態で答弁をこなしました。衆議院段階では、けっこう数字のデータも入ってきて、なぜ参院を通過して衆院に行くと、データが入ってくるのか若干不思議な感覚もしましたが、もちろん衆院では数の下否決されました。そして、国民新党の自見庄三郎さんが筆頭発議者の「郵政民営化一時凍結法案」は参院通過後に、衆院で1年間吊されました。それでも趣旨説明できました。これは政権交代後に法律となっています。

 ですから、ここで出てきた直嶋さん、蓮舫さん、平野さん、自見さんはみんな政権交代後に閣僚になっています。

 政権交代ある政治。

 衆参ねじれが常態化した政治(さもなければカーボンコピーの時間のムダ)。

 この2つのねじれを上手くロータリーエンジンのようにして日本を前に進める上で、大きな一歩がきょうです。

 政権交代ある政治では野党時代の振るまいが大事です。

 民主党は結党以来、野党第1党として1999年度当初予算から2009年度当初予算まで11年連続で年度内に採決しました。だから、政権交代後も3月24日、3月27日の成立にこぎつけて、「細川・羽田内閣」のトラウマから逃れることができました。

 今回、与党衆院民主党が、野党参院自民党などの法案を、修正のうえ、可決したことは、次の衆院での政権交代や、次の参院でのねじれでも良い前例になるでしょう。なんだかんだ言っても、この国会は歴史的な実りある国会になっています。

 ところで、参法(参議院議員提出法案)の歴史をひもとくと、第1回特別国会(昭和22年1947年5月20日召集)で、小杉ィ子さん(ィは捨て字小さい字のィ)が「青少年禁酒法案」というのを出していて、これは厚生委員会に付託されましたが、審議されませんでした。第2回国会でも、小杉ィ子議員は同じ名前の「青少年禁酒法案」を出して、これも付託されましたが、審議未了。第2回国会参法2号は著名な議員(タレント議員?)の羽仁五郎さんらが提出した「国立国会図書館法案」でしたが、これは付託されずに廃案となってしまいました。しかし、普通選挙権で婦人参政権が認められた第1回国会で、婦人議員(女性議員)が青少年禁酒法案を出していたとは、古き良き良識の府を感じさせます。

 きょうは、佐藤法案の採決で、好敵手の北澤俊美防衛大臣が、賛成票を投じるシーンが見られました。


[画像]佐藤法案に賛成票を投じる民主党・新緑風会の北澤俊美さん、2011年7月29日の参院本会議、参議院インターネット審議中継から。

 佐藤正久・参議院議員をもっとも鍛えたのは、自民党ではなく、反対党の民主党の北澤俊美・参議院議員だったと思います。シビリアン・コントロールとの関係で、佐藤さんが防衛省政務三役になるのは難しいかもしれませんが、政権交代後は責任あるポジションを占めることになるのは確実だと考えます。

 この法案の提出者は、非世襲グループ(佐藤正久さん、森雅子さん、公明党・浜田昌良さん、みんなの党・小熊慎司さん、新党改革幹事長・荒井広幸さん)らが手がけました。
 
 佐藤法が成立した背景には、佐藤さんが故郷を愛する気持ちが強く、隊員の命を預かった責任感の強い人物で、仲間(共同提出者の森雅子さん、小熊慎司さん、荒井広幸さんや、岩城光英さんら、衆院側の吉野正芳さんら)を大事にするからだと思います。wikipediaによると、佐藤さんは医者を志していたそうですが、家計を助けるために、防衛大学校に進学したそうです。福島県出身の医師というと野口英世が村の支援で医学校に進んだのが有名ですが、野口さんはガーナ、佐藤さんはイラクと海外で活躍し、故郷の遠き落日に思いを馳せる。その心意気を他の日本人も心の一隅に持ち続けたいものです。


既成政党おわびの夏 自民党・吉野さん「原発、わが党は真摯に反省」

2011年07月29日 10時53分06秒 | 第177常会(2011年1月)大震災・3党合意

[画像]自民党の吉野正芳さん、2011年7月28日(木)、衆院本会議、衆議院インターネット審議中継からキャプチャ。

 衆参与野党が修正した「原子力災害の賠償機構法案」(閣法84号)と、「原子力災害の国による仮払い法案」(参法9号、佐藤正久さんら野党5党提出)がきのう28日の衆本で一括して採決されました。「機構法案」には社民党、日本共産党が反対、「仮払い法案」は日本共産党が反対しましたが、起立多数で可決しました。「機構法案」は参院に送付され、参院で可決し、衆院で修正議決した「仮払い法案」は参院に「回付」されました。

 まさに「正念場(性根場)国会」「信なくば立たず国会」となった第177通常国会ですが、

 民主党幹事長の岡田克也さんが2009年マニフェストの一部が予算化できないことを、7月21日の記者会見で、国民に謝罪し、翌22日に自民党幹事長の石原伸晃さんと公明党幹事長の井上義久さんに謝罪文を提出しました

 一方、自民党もおわびです。

 28日の本会議で、自民党議員が「原子力推進」について次のような発言をしました。

 両案の賛成討論に立った福島県選出の吉野正芳さんは、「自由民主党は1970年の石油ショック以来、国内に有力な天然資源を持たず、そのほとんどを海外からの輸入に依存するともに、島国で他国から電力の供給をうけることができない我が国が、国民生活の向上と安定的な成長を維持していくために、必要な手段として原子力発電を基盤エネルギーの一つとして推進して参りました」としながら、「しかしながら今回の原発事故は、

 安全を大前提として推進し着てきた原子力政策が安全を確保できない結果を招いてしまいました。このことについて、

 我が党は真摯に反省し、国民のみなさま、とりわけ避難を余儀なくされている福島のみなさまに心からお詫びします」と述べました。

 まさに二大政党おわびの夏。ついでに、公明党は選挙をめぐり一部誤解を招いたこと、社民党は細川・羽田内閣、村山・橋本内閣、鳩山・菅内閣と3回連続で連立政権を離脱したことをおわび良い機会ではないでしょうか。選挙は再来年ですから、各党おわび倒しの夏にしたらいいと思います。スッキリしましょう。

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 話は変わりますが、特例公債法案(平成23年度の赤字国債発行法案)をめぐる子ども手当の3党修正協議がまとまっていませんが、きょう29日(金)の午前9時から、衆院財務金融委員会で特例公債法案が議題となりました。財務大臣の野田佳彦さんは「野党の理事のみなさまのご協力に感謝する」として、「バラマキ4kは~~」と自民党用語も使いながら答弁しています。ただ、修正協議ができていないので、先物取引や原発に関する質疑答弁がされていますが、アクセルをふかしながらエンジンを温めている状態です。なお、野田さんは「8月31日(水)までの会期末までに成立しないと、予算の執行を抑制することになる」と述べたのに対して、自民党の齋藤健さんは「よく分かりました。その点を踏まえて国会も対応しないといけない」と応じました。

 自民党の底力が出てきました。やはり、“個人事業主”商店街・町内会型”政党である自民党の総裁には、谷垣禎一さんが適任なんだろうと考えます。それに比べて、きのうの衆院本会議では、小沢グループがまさに本会議場を“徘徊”しながら、肩を叩いて、本会議場の外に悪い話をしに連れ出したり、議員連盟の案内でも配るのか、まったく演説を聞いてなかったり。記者仲間や地方議員らが、「あの人は次はアブナイ」と言われている人ほど、演説を聞いていません。一方、議員本人は「ヤバイヤバイ」と良いながら、他の秘書さんからも「ああいう先生は次も受かっていくんでしょうね」といわれる議員は、ずっと前を向いて、2時間聞き入っている。ないしは、代議士会でもらった原稿をずっと見ている。ハッキリしています。門前の小僧習わぬ経を読むというやつで、本会議はよく聞くべきでしょう。昨日の委員長報告なんかはあれだけの複雑な審議手続きを、スッキリとした原稿でコンパクトに説明していました。

 小沢グループがやたら本会議場を“徘徊”したり、連れだって出ていくのは、代表選が近いという認識からでしょう。しかし、議席数とは別に昨日の衆院本会議はすでに政権交代している状態に思えました。ですから、本当に政権交代したら困るので、民主党は意地でも2年間解散しないと思います。それが政権交代ある政治で、悪いのは、有権者が過半数の241議席、絶対安定多数の269議席をはるかにこえる議席(308議席=開票日時点の公認者)を与えたことの身から出た錆です。ちなみに当ブログの500本を超えるエントリーがある第45回衆院選カテゴリーのどこにも、「300議席以上欲しい」とは書いていないはずです。逆に与党時代の自民党について「私の考えでは、政権政党は(郵政造反組が復党したことにより)300議席を超えたことで自壊が始まる」という趣旨のことを書いていると思います。これは小選挙区を超える議員数を抱えたとたんに、党としての一体感を失うからです。本会議場から出ていく小沢グループは、すでに本会議場では政権交代しているというターニングポイントを迎えたことにまったく気付いていない風情でした。残り2年間の任期の主導権を持つために、代表選をやるのか、それとも2年後に、さらに4年間の与党の任期を得るのか。これがトレードオフの関係になりつつあるように思えます。ただ、ちょっと演説そのものが分かっていないようですから、どうにもなりません。小沢グループではないのですが、私の当選前からの友人3人ほども、まったく議事を聞いておらず、選挙区情勢は分かっているだけに、まあ、どうにもならないのかな、という感じもしました。冷たいですかね?