山一證券の野澤社長の涙(1997年11月)、長野オリンピックの朋ちゃんスマイルや原田の失敗ジャンプ(1998年2月)の映像は覚えているのに、今なお日本の政治の混乱・経済の低迷に大きな影響を与えている「新進党解党(1997年12月)」の映像が記憶にないのはなぜでしょう。
それはテレビ局が新進党解党のニュースを視聴者(有権者)に隠したからです。
ではなぜ隠したのでしょう。小沢一郎氏は新進党を解党する両院議員総会を1997年12月27日(土)の午後1時3分を狙って開きました。1月1日までに手続きをとらないと政党助成法の分党の手続きが間に合わないからです。そして、土曜日の午後に解党すれば、土日は帯番組のキャスターニュースがなく、そのまま広告料の書き入れ時である年末年始特番の期間に入るからです。
例えばNHKニュース7はこの当時、平日の午後7時から午後8時までの1時間番組を女性の森田アナウンサーが1人で伝えていた時代です。やたらとテンションの高いテーマソングがNHK報道局のニュース7にかける意気込みを感じました。ところが、新進党解党を受けた27日のニュース7はわずか20分で終了。その後の40分間は、報道局製作の「’97ニュースハイライト政治編」を放送しました。後から振り返ると、「1997年は11月に山一證券・北海道拓殖銀行がつぶれ、12月に小沢一郎氏が新進党をつぶした年」のひと言。
[画像]新進党解党当夜のテレビ番組表。
「恋のから騒ぎ」「めちゃいけ」「筋肉番付」など新進党解党の報道特番よりも優先される番組には思えませんが、広告枠を売ってしまっている以上さしかえは売上高に影響します。報道の現場では「官邸クラブでも、平河クラブ(自民党)でもない、新進党クラブは左遷ポスト」という意識なので、左遷ポストに報道の主導権を与えるわけにはいきません。有権者の中でも、私のようにリクルート事件以降、非自民反共の考えを持っていた人も、バックアップ政党(政権準備政党、女王陛下の反対党、野党第1党)を育てようという意識が希薄。私のように新進党に党員会費を払ったり、政治献金したりしていた人は、第2回党首選(小沢一郎候補vs.羽田孜候補)の投票権1000円を除けば、少数派でしょう。
この中で、当ブログでもたびたび取り上げている1997年12月27日の民主党両院議員総会での岡田克也衆議院議員の発言がほとんぼ完全な格好で復刻できそうです。岡田さんの発言は次のようです。
【1997年12月28日の民主党両院議員総会での岡田克也さんと小沢一郎さんとのやりとり】
岡田克也衆議院議員 「(小沢一郎)党首におたずねしたい。参院の公明が(来夏の参院選を独自名簿でたたかうために新進党から)出るだけですね。分割政党は新進党と同じ規約、綱領、旧(参院)公明党系議員を除いた同じメンバーで運営されるんですね。保証されるのですね。それとも全くのクーデター、乗っ取りなのか。新進党のままの移管を約束して欲しい」
小沢一郎党首「約束するたぐいの話ではありません。分党方針が確認されれば、あとは一人一人の議員が判断することです。みんなの意見が一致すればそうなるが、私が強制したり、保証したりする性格のものではありません」
岡田克也衆議院議員「新進党の分割後をどう描いていくかは党首の責任です。新進党を分割して、あとは勝手にやってくださいでは、新進党と書いてくださった有権者に対する裏切りだ!!!」
[画像]「新進党と書いてくださった有権者に対する裏切りだ」と小沢一郎氏をなじる岡田克也さん、テレビ朝日さん映像から。
小沢一郎党首「民主主義は十分に理解しています。 政治家は国民の負託で国政に参画しており、信念を持って行動すべきです。岡田さんのお話はよく伺いました」
【終わり】
こういったやりとりも当日は放送されなかったし、翌日は日曜日だし、その後は年末特番、さらには年始特番ですから、年を越せば放送されることはありません。それがテレビです。これはテレビジョン放送会社の問題以前に、商用テレビジョン放送固有の問題点なので、このことはテレビ放送会社の責(せめ)に負うことではなく、見て見ぬふりをする、備えよ常にの当事者意識がなく、国家に対して傍観者たれ、が美徳とする日本国民の責です。私は、小沢一郎氏が新進党を解党した行為は、小沢一郎氏に目の前で家族を殺されたのとまったく同じ感覚を持っているので、今でも、小沢に復讐する機会を日々虎視眈々とねらい、「江戸の敵を長崎で討つ」ことを日々の励みにしているのです。
さて、NHK番組制作局の「NHK紅白歌合戦」は2004年の年末の放送で、インド洋大津波に言及しないなど政治とは距離をとった姿勢が目立ちます。ところが2005年年明けのウィーンフィル・ニューイヤーコンサートでは、インド洋大津波に配慮して、毎年恒例の大トリ「ラデツキー行進曲」は演奏されませんでした(聴衆一人一人の心の中で演奏)。この年はロリン・マゼールが指揮をとりましたが、彼はフランス生まれのユダヤ系で、幼少期のドイツのフランス占領期にアメリカに渡った人です。だから、世界はそういった配慮ができる人が影響力を持つことになります。人間社会の当然の帰結です。
「歌手1年、総理2年の使い捨て」。経世会の竹下登さんは自民党政権をそう評しましたが、竹下総理は1年1ヶ月、リクルート事件のすべての責任を背負い込んで、自ら使い捨てとなりました。
そして、2006年以降、総理1年の使い捨てになりました。菅直人さんが1年3ヶ月石にかじりついて、サミットに2回行きました。野田佳彦さんも新進党勢初の総理として、1年2ヶ月目に入りました。竹下越えです。
そして、この新進党解党を国民に伏せた1997年12月のテレビジョン。第48回NHK紅白歌合戦。石川さゆりは20回目の出場で「天城越え」を歌い、小林幸子は19回目で「幸せ」。一方、天童よしみさんは意外にも2回目の出場でしたが、「珍島物語」を歌い、固定ファンを固めました。森山良子さんは7回目で「さとうきび畑」。白組では、SMAPがすでに7回目の出場で「ダイナマイトセロリ」を歌い、北島三郎が34回目で「竹」、森進一が30回目で「襟裳岬」。
そして、この年の紅白の売り文句。「白組司会・中居正広の若さの前にベテランアッコの厚い壁」ーーこれ、今年の紅白のキャッチコピーでもおかしくないですね。使い捨てになったのは「総理1年」だけ。そりゃ政治は劣化します。そして、それはすべて小沢一郎の新進党解党によって、政権交代可能な二大政党政治が9年程度日本に導入するのが遅れたからです。
この暴挙を許した国民は、二大政党に政治献金をしなければ、天国や極楽浄土に行けないだろう、との指摘もあります。
[写真]1997年12月28日付毎日新聞。
[写真]1997年12月28日付毎日新聞。
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