【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

川端達夫・衆議院副議長がデビュー NHKで中継

2015年01月27日 16時08分10秒 | 第189回通常国会2015年安保国会

[写真]川端達夫・衆議院副議長、NHK国会中継、2015年1月27日(火)、筆者(宮崎信行)撮影。

【平成27年2015年1月27日(火)衆議院本会議】

 川端達夫・第66代衆議院副議長がデビューしました。

 前日の召集日の麻生財務大臣の財政演説に対する各党代表質問は、2時間半ほどの所要時間とみられました。川端副議長は、2時20分に町村信孝議長と席を交代しました。

 このもようはNHKのテレビやラジオで放送されました。

  川端副議長は、「内閣総理大臣 安倍晋三君」ら公明党、共産党の質疑をとりしきり、「散会」を宣言しました。

 ただ、運命の皮肉で、川端副議長の第一声は「赤羽一嘉(あかば・かずよし)君」。

 あの20年前の、「1・17」、赤羽さんは地元でもある神戸で新進党調査団員として、海部俊樹党首(トゥモロー総理、元総理)とともに、現地を視察。

 一方、若気の過ち、川端さんは新進党に離党届を出し、山花リベラル新党の結成届を衆議院に提出しようとした直前、運命により、未提出に終わりました。

 政治とは不条理なものです。あの日の過ちを生涯、胸に抱きしめながら、政権交代ある二大政党政治のために、川端副議長は私心を捨てて取り組んでほしい。応援しています。 


あの日の神戸を目に焼き付けて、ずっと全力 公明党・赤羽一嘉さん 元新進党調査団員

2015年01月27日 16時01分28秒 | 第189回通常国会2015年安保国会

[写真]左の写真はNHK国会中継、2015年1月27日放送分から、筆者(宮崎信行)撮影。

【2015年平成27年1月27日(火)衆議院本会議 麻生財務大臣の財政演説に対する各党代表質問】

 1995年1月17日、神戸(Kobe)を襲った阪神・淡路大震災で、政府(村山社会党、河野自民党、武村さきがけの悪の3党連立政権)よりも先に、被災地を、海部俊樹党首(元首相)とともに視察した、元新進党調査団員で、現在は公明党衆議院議員の赤羽一嘉さんが、代表質問に立ちました。このもようはNHKテレビ、ラジオで全国に放送されました。

 新進党調査団は、総理経験のある海部党首、若くてガッツのある赤羽一嘉さんや、大口善徳・現公明党国会対策委員長のほか、建設省技官出身の前田武志さん、国土庁長官経験のある石井一さん、運輸政務次官の経験があった二階俊博さんらが参加し、政府より早く現地の情報を収集しました。このせいかどうか、半年後の参院選では、比例第1党になるなど新進党は圧勝しました。私が十数年前に手元で計算したシミュレーションでは、仮に、新進党による第2次海部内閣が「1・17」を迎えていたら、1000人以上の命が救えました。

 きょうの議場に戻って、赤羽さんは、「6400名を超える阪神・淡路大震災から20年。つらくかなしい教訓により、被災者の目線に立った自助・公助・共助の行政となり、防災ボランティアが定着した。避難所となる小学校の耐震化は、この補正にもはいっているが、来年度で100%になる。さらに、だんことして認められなかった被災者への現金の給付も、私も議員立法としてかかわり、改正被災者生活支援法として、だれでも使え、所得制限なく、最大300万円まで、東日本大震災では30万人に使われた。しかし、防災対策に終わりはありません」と胸を張りました。

 赤羽さんが、あれから20年間、こうやって走り続けていたことを、違う党になってしまったこともあり、知らなかった不明を恥じました。

 あれから20年、ずっと走り続けていたのですね。