渡辺恒雄あとつぎ宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

◎民主党新代表の岡田克也さんは総理大臣になれ 江田五月選挙管理委員長名裁きで「雪辱」

2015年01月20日 15時16分39秒 | 岡田克也、旅の途中

[画像]総理大臣をめざす、岡田克也さん。ファイブ・ミニッツ・民主からスクリーンショット。

 民主党の江田五月中央代表選挙管理委員長は、平成27年2015年1月18日(日)、第18回民主党代表選をホテル・ニューオータニで行い、第11代民主党代表に岡田克也さん(61歳)が選ばれたことを宣言しました。

 岡田代表の任期は2017年9月30日(土)までですが、代表に満足せず、総理大臣をめざすことになります。

  なお、党大会では前代表、全候補が壇上で握手しました。岡田さんが前回立候補した第12回民主党代表選では、前代表で小沢一郎が会場にいるにもかかわらず登壇しないという天邪鬼をしました。



 次の文章をお読みください。

 「党首選びに思いきった新機軸を打ち出しました」

 「党首公開選挙で、あなたが選ぶ、明日の総理大臣!というわけです。」

 「全く新しいタイプの「国民参加型」の党をめざしています。特定の集団に牛耳られるようでは、新しく党を作った意味はありません。そこで、国民を党員と非党員に画然と分けるのでなく、富士山のように裾野が広く、誰にでも何かの形で党に関わっていただけるようにしようということ。私のめざした「市民政治」の具体化です」

 「政権を競う政党の党首が国民投票で選ばれれば、本番の総選挙もぐっと身近かでおもしろくなリます」

 「私はこの選挙の準備委員長、選挙管理委員長になりました」

 「さあ皆さん、さっそく投票を! どうぞよろしくお願いします」

 この文章は、江田五月新たな出発に収められている、1995年11月ごろに発行されたと思われる江田五月さんのニュースレターです。

 
[写真]第2回新進党党首選挙の選挙管理委員の左から、石破茂委員、青山丘委員、扇千景委員(のちに参議院議長)、江田五月委員長(同)、長谷川清委員(電力総連)、鮫島宗明委員。江田五月新たな出発から。

 1995年というと、1月に阪神・淡路大震災での村山自民党・さきがけ・社会党内閣の無策、3月のオウム真理教サリン事件があり、7月の参院選では、我々新進党は、比例第1党に躍進しました。海部俊樹党首の首相経験者としての安定感はありましたが、小沢一郎幹事長の無策もあり議席数では自民党に負けました。その後、12月に、「1000円払えば、党員でなくても投票できる」。ところが、摩訶不思議なことに、参院選比例第1党の海部党首が立候補を断念し、小沢一郎幹事長と羽田孜副党首の争いになりました。

 江田五月委員長のもと行われた第2回新進党党首選は、小沢候補16万票、羽田候補5万票という、我が目を疑う結果となり、小沢氏が政治キャリアで初めて党首になりました。私は悪魔の化身である小沢陣営の一員として、大量に不正票を集めるという過ちを犯しました。閻魔大王は私を地獄に落とすかもしれません。良心の呵責を感じながらも、テレビで見た主婦の方から電話があり、投票用紙1枚をお届けすると、「こんな私でも総理大臣を選べるんだ!」との喜び。これは不正ではなく、その時点で投函してもシメキリを過ぎていたのですが、それが言いだせず、黙っていた自分。小沢一郎によってすべてを台無しにされた、政権交代ある二大政党政治への道。小沢一郎は死をもって償うべきだ。

 第2回新進党党首選選挙管理委員長から、第18回民主党代表選選挙管理委員長へ。江田五月さんが雪辱を果たしました。党員・サポーター票は、総数の1位者と、ポイント数の1位者が違っていますが、これも公正なルールにもとづくものです。


[画像]公正な代表選を実現した、第18回民主党代表選の江田五月中央選挙管理委員長、ファイブ・ミニッツ・民主からスクリーンショット。

 岡田克也さんは、「自分の考え方は宏池会に近い」「日本政治はど真ん中が空いている」と発言しました。

 これは、(1)日米安全保障条約にもとづく在日米軍(2)平和憲法(3)日本自衛隊の軽武装(4)経済第一主義ーーの吉田ドクトリンは、第2次吉田内閣の解散総選挙によって確立しました。このときに初当選した吉田学校(吉田チルドレン)のうち、池田勇人さんがつくったのが宏池会、佐藤栄作さんがつくった派閥と田中角栄さんがつくった派閥が合流したのが経世会(平成研究会)です。つまり、宏池会の思想とは、吉田ドクトリンの4つということになります。これは要するに、戦後日本、そして現在の日本そのものです。それでいて、日本政治のど真ん中は空いている。つまり、岡田さんが言っているのは、民主党が日本政治であり、日本政治は民主党だと言っているのです。傍流だった清和会安倍自民党は「戦後レジームからの脱却」として、右傾化している。そのど真ん中を民主党がもらう。岡田さんは少しも堅物でも真面目でも融通が利かなくもなく、きわめて、マキャベリストだと言えるでしょう。ただし、きわめて大局観があるということです。

 江田五月管理委員長の報告によると、民主党員・サポータは22・6万人。

 一方、総務省試算によると、平成6年政党助成法(細川・羽田法)にもとづく、平成27年の民主党への政党交付金は78億円。党員・サポーター1人当たりの政党交付金は年3451円となります。

  英国労働党との違いは、(1)推薦人の数が国会議員団(衆議院議員団)の8分の1以上で上限無し、(2)党首代行をつとめる副党首はあらかじめ議員による互選(3)ネクスト・キャビネットを構成する国会議員の顔ぶれは、国会議員団の互選ーーの3点でしょう。

 もちろん、改革創生会議報告書に(1)任期途中での代表選での党員・サポーター投票に加えて(2)47都道府県連それぞれでの予備投票ーーという、摩訶不思議で奇妙奇天烈な(2)について、「腑分けして実現する」とした海江田万里前代表の「時間差攻撃」も、私はたいへん評価しています。いつか機会があれば、その功績も書き記しましょう。

 私は40歳ですが、我が人生は岡田克也であり、岡田克也は我が人生です。

  代表なんかどうでもよくて、総理大臣にしたいと考えています。

 第98代首相、第99代首相、第100代首相。

 ちなみに、「100代」は、「百代」で、松尾芭蕉の「おくのほそ道」で「百代」は「はくたい」と読み、永遠ということです。「イオン」は永遠という意味です。

 岡田克也が永遠ではなく、私も永遠ではなく、そう遠くない将来死にます。岡田さんも1993年に一緒に離党しながら政治生命を絶たれた仲間の存在に言及しました。例えば、金子徳之助さんなどが念頭にあったでしょう。政権交代ある二大政党政治を日本にシステムとして根付かせる。私も死んでも死にきれない。吉田茂は「3000年、いや4000年生きたい。しかし、人はいつか死ぬ。しかし、国は生き続ける」と語りました。政権交代ある二大政党政治を、3000年、いや4000年先の日本国民にしっかりと受け継いでいきましょう。

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