渡辺恒雄あとつぎ宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

岡田克也さん、2015年の仕事始めで、奥さんの内助の功を認める

2015年01月06日 05時23分01秒 | 岡田克也、旅の途中

 岡田克也さんは、仕事始めの、平成27年2015年1月5日(月)、国会内で元気な姿を見せました。

 岡田さんは、仕事納めの、第188特別国会閉会日の2014年12月26日(金)、前日頃から感じていた左目の違和感の検査のための訪れた東京都内の病院で、「網膜剥離だ」と診断され、速やかに手術を受けていました。

 岡田さんは「目の中にガスを入れて手術をしたのですが、その2割ぐらいが残っています」と国会内で記者団に語り、 当面、気圧が変化する飛行機に乗らないよう医師から言われていることを披露。「いずれ、ガスは全部抜ける」と明かしました。

 「どうしても仕事で無理をしてしまう」と語りながらも、入院後「最初の3日間は下を向いて寝ていないといけないので大変だった」と語りました。

 「その後、許可が出たので、一日一回だけ病院の中を歩くことができた」と述べました。

 このときには、奥さんで多津子夫人について、「家内は付き添ってくれた」と語り、「アドバイスもしてくれた」と語りました。 

 多津子さんは神経内科医。調べてみたら、神経内科というのはどういう科というと、例えば、頭痛、視力障害、手足の感覚の異常を感じた患者さんが行くと、お医者さんが、視診、聴診、打診、触診のほか、運動感覚の検査、平衡機能の検査、視覚機能の検査などをして、その結果で、総合的に、他の科も含めて適切な診察方法をつくる科で、どの科に行けば分からない人の総合窓口のようです。

 岡田克也さんは2010年9月に総理・代表に、外相から党幹事長に異動させられた「これも天命なのかな」事件では、そのちょうど1年前に逆に、党幹事長から外相になったときの経緯を踏まえて、多津子夫人から「あなた、ずいぶん憤慨していたじゃない」と言われたそうで、「そういうこともあったかな」と述べています。外相から党幹事長への返り咲きの決断は、自らのものだとしながらも、このときも「私は仕事をやると全力でやりますので、いったん始めると次に入るというのは抵抗があります」 と語りました。(岡田克也さん、幹事長就任会見で“内助の功”を認める)。 

 
[写真]岡田克也さん、左は2014年12月25日(木)、右は2015年1月5日(木)、左は民主党本部、右は国会内、ともに筆者(宮崎信行)撮影。 

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