宮崎信行の「新・夕刊フジ」

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。業界内で圧倒的ナンバー1。

二大政党の混乱、陰湿な国民性も問題では

2017年10月01日 05時14分19秒 | 第48回衆院選(2017年10月10日公示)

 「そのためには、100以上の勢力が2つ以上、しっかりとチェックしあうことがスタートです」

 これは、5年前の年末の、私・宮崎信行の言葉です

 (参照エントリー

靖国神社に昇殿参拝してきました 民主党「100」で国を守る誓い、英霊に 但し松岡・東条ら除く 

2012年12月15日 17時38分37秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

=この記事の末尾に全文掲載)

 私は、与党・自民党が250議席前後、野党・民主党が100議席以上を確保することで、第46期衆議院が安定するのではないかと説きました。

 結果は、なんと与党・民主党は56議席(議席占有率12%)まで叩き込まれ、下野しました。

 私は日本人の大山鳴動さ、陰湿さに驚愕と恐怖を覚えました。

 1941年の太平洋戦争勃発時と比べて、日本は国土面積が0・8倍、人口が1・4倍であり、人口密度は1・6倍。日本の閉鎖性、陰湿さも1・6倍になったとみるべき。こちら東京では年間2000本のアダルトビデオ(AV)が製作されているそうです。私なんかだと、「年2000本も供給したら単価が下がるな。年間10本なら、単価10万円で売れるのにな。いつの時代でもいる、露出狂で借金漬けの女とやくざが勝手にホテルで撮って売って、生活再建できるのに」と思ってしまいます。

 また、白人の国民は少なく、有色人種の国民が99%を占める構成は変わりませんから、白人の脳と比べて明らかに小さい日本人の脳では、千里眼を持ち得ません。

 先月29日付朝日の投稿欄では、千葉県の18歳女性高校生が、「いよいよ総選挙だ。18歳になったばかりの私には初の選挙」としていましたが、「投票権を与えたのなら、それが行使しやすい条件を整えるべきではないだろうか」と主張しました。その前日、28日付読売では、新潟県の無職の団塊の世代男性が「私たち有権者は、立候補者をよく見て、議員としてふさわしい人を選ばなければならない責任がある」とし、「選挙期間中、じっくりと考え、正しい選択をしなければならない」としました。私は「じっくり考えて」も何も生まれないし、「正しい選択」は勝ち馬に乗ることになるのではないかと考えます。30日付朝日では、20歳の静岡県の男性大学生が「黙って口を開けていれば自分の好みの政党が現れるとでも思っているのか、我々有権者が政治家を、政党を育て、国民の声を国会に届けるという考えをどうしてもてないのか」としています。

 我が党の党員・サポーター仲間では、「年6000円の党費は払えないので、年2000円のサポーターにしかなれない」と嘆く人もいます。我が党は、党員でもサポーターでも、権利は全く同じなんです。党員だけ機関紙(月2回)が無料で郵送されてくるという「特権」しかありません。すなわち、応能負担が可能にしているだけで、サポーター費2000円おおむね、党本部に1000円弱、総支部に500円強
の貢献をしていることになります。では、野党を叩くあなたは、きょねん二大政党にいくら貢献したのか?

 野党を叩いて溜飲を下げ、話を聞いてくれない。にやにやしながら、スマホで、野党の悪口を掲示板に書き込む。日本人の陰湿さは何も変わらないのであって、この先の、未来は大政翼賛会と同様の未来しかないのです。ABCD包囲網で日本が封じ込められているのではなく、米中露日韓包囲網で北朝鮮が封じ込められているという国際環境しか違わないのです。ただ、後者の方が、長引くかもしれませんね。

 このエントリー記事の本文は以上で、後は過去記事のコピペで、このエントリーは終わります。

[当ブログ内エントリーから全文引用はじめ]

靖国神社に昇殿参拝してきました 民主党「100」で国を守る誓い、英霊に 但し松岡・東条ら除く 

2012年12月15日 17時38分37秒 | 第46回衆院選(2012年12月)大惨敗

[写真]雨の靖国神社大鳥居(第1鳥居)、2012年12月15日(土)午後、筆者撮影。

 きょうは靖国神社に昇殿参拝してきました。筆者の昇殿参拝は1998年1月1日以来14年ぶりでした。ですから、1998年4月の我が党立党以来初めてということになりました。

 政権交代ある二大政党政治をめざしてきて、最大のピンチ、存亡の危機が迫ってきて、何をしたらいいのか分からないのですが、とにかく心残りがないようにと考え、今自分がすべきことを判断し、行動しました。

 先月、おじ(父方だけど苗字が違い血縁関係はない)が大往生しました。おじは、農学校を出た後、80年前の関東大震災・昭和・世界恐慌のころ、どういうゆかりか分かりませんが、大阪府警の巡査をしていたことがあるそうです。そこで応召。日本領中国大陸に渡り陸軍憲兵隊に。15年戦争は、太平洋戦争になり、昭和21年10月に復員しました。この間、おじは砲弾が太ももに入り、傷痍軍人となりました。外地にいたこともあり、恩給生活ということもあり、公に奉じようという意識が強かったようで、長野県更埴市議会議長(千曲市に合併)をつとめました。おじが靖国の神霊にあたるのか、あるいは先月亡くなったばかりで招魂されているのかはよく分からないのですが。靖国神社はお願いするところではなく、お誓いするところだという考えが私にはあり、二大政党政治を守り抜く決意で、国家の存続をお誓いしようというのがきょうのイチバンの趣旨でした。ちなみに、英国では野党第1党は「女王陛下の反対党」と呼ばれています。先の大戦では日本でいう衆議院本会議場が敵国に焼かれるところまで追い込まれましたが、チャーチル首相(保守党党首)が国を守り抜きました。しかし勝利直後に解散に打って出て、見え見えの策略を国民に見抜かれ、下野してしまいました。しかし、英雄だけに、再び保守党は政権交代を果たし、第2次チャーチル内閣が発足。英国での首相返り咲きはこれが最後となりますが、この内閣で、エリザベス女王陛下の戴冠式を迎えたのは、みなさんよくご存じの通り。

 しかし、この靖国神社は、247万柱の多くを死に追いやった、松岡洋右元外相、東条英機元首相らが合祀されてしまっています。彼らは英霊を死に追いやった悪人であり、これはいびつなことです。

 新しい参集殿で申込み、神様の前に出ました。ひんやりとおごそかな気持ち。まず松岡を心から排除しようとしましたが、そもそも松岡の顔を知らないので、思い浮かびません。その一方で、心の底から英霊にお誓いするわけですが、顔を知りませんので、現在祀られているかどうか分かりませんが、おじの生前の顔を想像させていただきました。やがて玉串を捧げました。2礼2拍手1礼。しかし、おじの顔を思い浮かべながらも、東条、板垣らは排除するという心の葛藤はけっこう疲れて、最後には東条の顔だらけになって、泣いてしまいました。東条が憎い、東条が憎い、東条が憎い。

 とはいえ、民主党「100」で、バックアップ政党として、二大政党政治をしっかりと続けて、この国、みたまをお守りするという決意は、私の心の中で、お誓い申し上げることができたと私は認識しています。


[写真]参拝前に第2鳥居の前で筆者。

 冒頭に書いたとおり、筆者の昇殿参拝は1998年1月1日午後以来14年ぶりでした。その前年の8月15日にも拝殿参拝しています。1998年4月の民主党立党以来初めての参拝となりました。なぜこれだけご無沙汰してしまったかというと、1998年秋から3年半、横浜支局に異動・転居していたことと、その後東京本社でも多忙を極めて、イラク戦争開戦当日(2003年3月20日)から2年半にわたり編集局長付き休職となり、郵政選挙の1週間後に休職期間満了退職。 その後も療養し、このブログを立ち上がるまで回復したのが2007年8月4日(逆転の夏のあとの最初の臨時国会召集日)でした。

 その前年2006年7月に昭和天皇が松岡洋右や、その他A級戦犯(東条英機ら)が合祀されたことに怒り、靖国神社にご親拝(参拝)されなくなったとの「富田メモ」が日経新聞で報道され、新聞協会賞を受賞しました。私は初めは半信半疑でしたが、どうやらその通りで、きょう、展示施設「遊就館」のなかに、「昭和50年を最後に現在まで天皇陛下のご親拝は行われていない」とハッキリ書いてありました。それなのに、昭和天皇の親拝風景の絵や、天皇・皇后両陛下の東宮時代の昭和44年の参拝、東宮殿下の皇太孫時代の写真などが展示されていました。しかし平成になってからも、「靖国神社遷座祭」に陛下がご出席になられていますが、ご親拝はなく、やはり昭和天皇を利用し、多くの日本人を死に追いやった、松岡・東条らA級戦犯の合祀を問題視しているのだと考えます。

 繰り返しますが、東条は英霊を死に追いやった人殺しです。ところが、展示施設「遊就館」のご遺影のパネル番号22の10列の7段目に「東條英機命 昭和23年12月23日 東京都巣鴨拘置所で法務死」とあるではないですか。他は「戦死」「戦病死」「公務死」はありますが、「法務死」は他に戦後の東南アジア各国であるようですが、日本国内で法務死。また、ご遺影にはないようですが、松岡はA級戦犯ですが、病死です。なお、パネル番号20の5列の8段目には日露戦争の英雄「軍神広瀬」こと広瀬武夫中佐のお写真がありました。

 これについては第163回特別国会の野田佳彦・衆議院議員の質問主意書で「昭和二十七年五月一日、木村篤太郎法務総裁から戦犯の国内法上の解釈について変更が通達された。これによって戦犯拘禁中の死者はすべて「公務死」として、戦犯逮捕者は「抑留又は逮捕された者」として取り扱われることとなった。さらに「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の一部が改正され、戦犯としての拘留逮捕者を「被拘禁者」として扱い、当該拘禁中に死亡した場合はその遺族に扶助料を支給することとなった。これら解釈の変更ならびに法律改正は、国内法上は「戦犯」は存在しないと政府も国会も認識したからであると解釈できるが、現在の政府の見解はどうか」などと質問。

 自民党の小泉内閣は「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」と断言。すなわち、東京裁判(極東国際軍事裁判)における戦犯は日本国内法における犯罪者ではないことになります。そのうえで小泉内閣は「お尋ねの死刑判決を受け絞首刑となった七名、終身禁錮刑及び有期禁錮刑とされ服役中に死亡した五名並びに判決前に病没した二名については、右のいずれの制度の手続もとられていない」と答弁しています。すなわち、東条らは国内法における犯罪者でなく、その名誉を回復している措置もとられていません。そして、戦死もしていません。ですから、靖国神社に祀られていることは、私はあり得ないと考えます。答弁書は「靖国神社の行う合祀は、宗教法人である靖国神社の宗教上の事項であるから、政府としては、合祀についていかなる問題があるのかお答えする立場にない」としています。

 なお、野田さんが民主党代表になった当日のエントリーでもこのことは書いています。

当ブログ内から引用はじめ]

 2000年、国政復帰。逆境に強くなった野田さん。

 郵政解散の大敗北で沈み込んでいた2005年10月の第163回特別国会。野田国対委員長は「審議拒否をしない健全野党・政権準備党」をめざします。

 そして、本来は敵である与党・自民党総裁の小泉首相が、選挙後1ヶ月経った10月17日に、靖国神社を公式参拝(拝殿参拝)したことについて、その当日、タイムリーに質問主意書を出しました。そして、国内どころか中韓の外交ルートからも、「”A級戦犯”という戦争犯罪人が合祀されている靖国神社に総理が参拝することは、日本が軍国主義を美化するあらわれとなる、という論理」の反対論が起きていると指摘しました。そして、巣鴨プリズンで行われた東京裁判(極東国際軍事裁判)は、サンフランシスコ講和条約第11条という国際条約に基づくものだと指摘。だから、国内法上、戦争犯罪人、戦犯は存在しないのではないかと指摘しました。

 これに対して、政府(第3次小泉自民党内閣)は、25日付で答弁書を閣議決定し、「平和条約第十一条による刑の執行及び赦免等に関する法律(昭和二十七年法律第百三号)に基づき、平和条約第十一条による極東国際軍事裁判所及びその他の連合国戦争犯罪法廷が刑を科した者について、その刑の執行が巣鴨刑務所において行われるとともに、当該刑を科せられた者に対する赦免、刑の軽減及び仮出所が行われていた事実はあるが、その刑は、我が国の国内法に基づいて言い渡された刑ではない」との答弁を引き出します。

 すなわち、東条英機らへの東京裁判の判決と刑の執行(絞首刑含む)は、多国間条約である「平和条約(サンフランシスコ講和条約)第11条」にもとづいており、日本の国内法にもとづいていない。だから、国内法上は戦犯は存在しないということになります。

[当ブログ内から引用おわり]

 またマスコミ報道を受けて、菅内閣から野田内閣の引き継ぎのエントリーでも次のように書いています。

当ブログ内から引用はじめ]

 野田新内閣でもさっそく、人材潰しらしき動きが始まっており、産経新聞社が全閣僚に、2005年10月の野田さんの「戦争犯罪人は国内法上は存在しない」という質問主意書について質問しました。これを読んでいる産経新聞の記者は、日本が1956年に国際連合に加盟したとき、ニューヨークの国連本部前のポールに日本国旗を掲げた外相が重光葵だということを確認すべきです。

[画像]目で見る議会制度百年(衆議院など編)から、1956年の国際連合に加盟し国際社会に復帰したときの外相(日本政府代表)の重光葵(右上の写真で日本国旗を見上げる人物)。

 1945年、ポツダム宣言を受諾し、東京湾内の米戦艦「ミズーリ」の艦上で降伏文書にサインしたのが、重光葵です。そして、吉田茂内閣がサンフランシスコ講和条約(多国間条約)で独立を回復し、その条約の第11条にもとづき、東京裁判(極東国際軍事裁判)が行われました。そしてサンフランシスコ講和条約のすべてを受け入れた上で、国際連合に復帰したのが1956年。そしてその外相が重光葵でした。そして彼はA級戦犯として服役し、仮釈放されました。1956年の時点では「仮釈放」の扱いはどうなっていたかは分かりません。しかし、仮に日本の国内法上戦争犯罪人として有罪となり服役し仮釈放された人物を晴れの国連(国産連合)デビューに送り出したとはヘンテコな話です。また国連(Unitad Nations)としても許せないことだったでしょう。

 
[画像]岡田外相のかわりに、国連パキスタン洪水緊急会合で、国連総会上で演説(日本語)する外務副大臣時代の藤村修さん。

 それでもちゃんとわが国は国連の一員で居続けています。



 これは2011年4月28日(木)、平成23年度第1次補正予算(案)で代表質問で答弁する菅首相。東日本大震災ということで、4月中に異例の補正予算提出ということになりました。こうした未曾有の国難でも、本会議場での振る舞いは堂々としていました。



 これは2011年6月1日(水)の参院本会議です。さきほども言及したように、サミットに2年連続で出席した首相は、小泉純一郎さん以来となりましたが、そのサミットから帰国後に、参議院から求められてのサミット報告(演説)とそれに対する各党代表質問で演壇に立ったシーンです。ちなみに、翌6月2日には、衆本でも同じ議題が予定されていましたが、自民党・公明党・たちあがれ日本が提出した「菅内閣不信任決議案」が慣例にもとづき、緊急上程され、延期されたまま、衆本で議題になることはありませんでした。ですから、後世の歴史家が「3・11」後、最初の主要な多国間会議だった2011年フランスG8サミットについて調べるときは、参議院の議事録だけを参照することになります。

 代表選のときは「政治はうんざり」という人がまた増えてしまったようですが、野田演説から組閣にかけて、じゃっかん「もう一度だけ政治に期待しよう」という人が増えてきたように思えます。3党合意をしっかり守れば、3次補正、当初予算、そして来年度(4kの政策検証)まで参議院でも法案は通せます。3党合意は未来に向けての合意であり、またロケットブースターが巧妙に入っているすぐれたものです。

 [当ブログ内から引用おわり]

 軍恩連盟全国協議会の会旗がことし3月22日に奉納されており、展示されています。軍恩連盟は昨年末に解散しました。これを考えると、私の推測としては、太政官布告(現代でいう霞が関官僚が執筆した政令)でできた靖国神社と軍事恩給などの「利権」を守る上で、A級戦犯を合祀しようという圧力が宗教法人内にあり、それを、監督官庁である厚生省はおさえられないばかりか、むしろ推進したのではないか。そして、日本遺族会の支援を受ける自民党50年政権がそれを見て見ぬふりをしてきたのではないか。すなわち、自民党政権におけるシロアリが、昭和天皇を怒らせ、参拝しにくい奇々怪々な神社になってしまったのではないでしょうか。厚生族議員の安倍晋三さんにそのシロアリ退治ができるでしょうか。

 おなじく厚生族議員の岡田克也副総理はことし8月10日の記者会見で筆者の質問に次のように答えています。

記者会見録から引用はじめ]

記者
 フリーランスの宮崎ですが、先程の靖国神社参拝に関して、A級戦犯が合祀されているから参拝しないということでした。これは昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感を示したとされる富田元宮内庁長官の富田メモというものの信憑性が正しいと思われていらっしゃるのでしょうか。また、このA級戦犯7人以外の英霊に何かゆかりのある方の参拝についてはどう思われますか。

岡田副総理
 私が申し上げているのは、やはりA級戦犯というのは、これは何回もいろいろな場で申し上げているのですが、東京裁判そのものの問題がないわけではないけれども、しかし、日本が自ら戦後を総括していない以上、やはり東京裁判というものを尊重するという考え方に立たざるを得ないと。その東京裁判の結果、A級戦犯というふうに断じられた方々が祭られている、神として祭られているということについて、そこに閣僚が行くということは、私は望ましくないというふうに考えております。
 これは2005年でしたか、小泉さんと党首討論の議事録を見ていただければよく出ているというふうに思います。小泉総理と全く意見は、ある意味では一致したのですが。永久に戦犯が戦犯であると、戦争犯罪人であるということは一致したので。

[引用おわり]

 海外に間違ったメッセージを与えることになりかねない靖国神社。もっとスッキリした形にならないものでしょうか。

 ただ、頭で考えてスッキリせず、参拝中も、「松岡、東条は排除」と考えていて疲れましたが、この夏、羽田雄一郎国土交通大臣と松原仁国家公安委員長の旧内務省系の閣僚2人が参拝したことが背中を押してくれました。

 とにもかくにも、日本を守り抜きたいとの気持ち。

 雨の靖国で、再確認することができました。

 日本を、守り抜く。

 そのためには、100以上の勢力が2つ以上、しっかりとチェックしあうことがスタートです。 




[当ブログ内エントリーから全文引用おわり]

(C)2017年、宮崎信行。

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