【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

自民は裏金幕引き図るも、参・予算委は立憲1期「立ちんぼの4割→ホスト」「北陸新幹線延伸イベントで森喜朗さんに「ちょっとこの後話しませんか」と誘うべきだった

2024年03月13日 17時32分18秒 | 第213回通常国会 令和6年2024年1月召集
[写真]自民党本部、参議院議員会館裏から見て、9年前の2015年11月、宮崎信行撮影。

 自民はあすあさって、衆参の政治倫理審査会に、清和i会幹部の橋本聖子、世耕弘成、西田昌司、下村博文各氏の「小出し開催」で、幕を引こうとしています。もちろん政倫審に捜査権限はないので、今回も使途が明らかにならないまま裏金のイメージだけ続くでしょう。逆にきょうの予算委員会で野党が地下金脈の使途を明示しました。立憲民主党1期生の塩村あやかさんは「大久保公園の立ちんぼの4割はホストの売掛金」だとしました。「ミスター政治改革」の遺伝子をつぐ羽田次郎さんは、北陸新幹線延伸イベントで首相が森喜朗さんを「ちょっとこの後話しませんか」と誘い経緯を聞くべきだったと諭しました。

【参議院予算委員会 きょう令和6年2024年3月13日(水)】
 「令和6年度予算案」は9日目で、集中審議「外交・安全保障等を含む内外の諸課題」。
 立憲民主党の塩村あやかさんは昨秋の臨時国会の内閣委員会冒頭で国家公安委員長、消費者担当大臣から悪質ホスト問題で前向きな答弁を得て、大きく報道されました。立憲は、その月のうちに「特定遊興飲食高額債務問題対策の推進に関する法律案」 (212衆法13号)を作成しました。
 塩村さんは警察庁長官を政府参考人として求めたが、自民党に理事会で拒まれたと説明。「自民党政権下で進んできたことを受け止めなければならない。マカオなどの海外売春では、避妊具を使わない性交を強いられ、売上高も分からないまま管理売春がなされホストに送金されている」との「使いみち」を明かしました。
 羽田次郎さんは「北陸新幹線延伸イベントで、石川県のアンテナショップが開かれ、首相が森喜朗さん(長年石川1区で選出)と顔を合わせたさいに、「ちょっと、この後、話しませんか」と耳元でささやいて経緯を聞くべきだったと指摘しました。

【衆・地域・こども・デジタル特別委員会】
 「旧優生保護法で手術を受けた者への一時金支給法の延長法案」(213衆法 号)が起草され、全会一致で委員長が本会議に提出すべきだと決まりました。
 これに先立つ一般質疑で、共産の高橋千鶴子さんは「訴訟では原告のうち5名が亡くなっているという」としました。違憲立法には除斥期間20年が適用されないとの判決は前日でも出ており、最高裁の統一判断が示されることになっています。このような情勢からあくまでも法律の時限を延長するだけの改正にとどまり、政策課題は持ち越されました。

【衆・外務委】
 外相が参・予算委に呼ばれるため、朝8時半から野党が問い、休憩。夕方から与党が副大臣に問う立て方となりました。その後は理事会協議。そして、「在外公館・位置・名称・給与法改正案」(213閣法6号)が趣旨説明され、審議入りしました。この法案は、立憲の政調・国対ヒアリングで、円安ではすぐにかえるのに、円高のときはかえなかったとの指摘に、幹部がうつむいてしまうシーンがありました。

【衆・法務委】
 「裁判官職員定員法改正案」(213閣法15号)が趣旨説明されて、審議入りしました。今回は裁判官と書記官を合わせても定員減となります。
【衆・財務金融委員会】
 日切れ法案「関税定率法改正案」(213閣法4号)を法案審査をちょっとして、大臣は参議院へ。
【衆・厚労委】
 「生活困窮者支援法改正案」(213閣法9号)が趣旨説明され、審議入り。
【衆・農水委】
 「特定農業加工業経営改善臨時措置法改正案」(213閣法50号)が趣旨説明されました。
【衆・国交委】
 「奄美振興法及び小笠原法の5年延長などの改正法案」(213閣法11号)の趣旨説明。
【衆・文科委】
【衆・経産委】
一般質疑のみ。

【参・本会議】
 令和6年度の「地方財政計画」と法案の「地方税法改正案」(213閣法2号)「地方交付税法改正案」(213閣法3号)が総務大臣から趣旨説明され、代表質問が行われました。
【参・議院運営委】
 人事官候補の所信と質疑。
【参・東日本大震災復興特別委員会】
 大臣の所信的挨拶。

国会傍聴取材支援基金の創設とご協力のお願いをご一読くださり、ご寄付をお願いします。 
このニュースサイトは以下のウェブサイトを活用しています。
Ⓒ2024年、宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki、宮崎機械株式会社。



 

筆者が50代突入で、今回再オープンにしますが、双極性障害Ⅱ型で就労不能だから当ブログを17年執筆しています、「非自民32年」の旧友、石川知裕元衆議院議員の大腸がんステージ4」チャレンジによせて

2024年03月13日 13時01分00秒 | 宮崎信行 Miyazaki Nobuyuki
初投稿は、2024年3月13日。

[写真]「早稲田大学鵬志会」1992年入学組の全体写真、左から4人目が筆者、5人目が石川知裕・元衆議院議員でメガネ姿は当時もやや印象が異なる姿、大学生協制作のアルバムから。7人中選挙に立候補したのは石川さんだけで、他の2人は模索したものの、断念しました。2年生の夏の「政権交代選挙」での取り組みをTBSビッグモーニングが十数分紹介し、ラストに「サザンオールスターズの希望の轍」がBGMが流れた映像を見た野党自民党職員からの横やりで生じた内紛に伴い退会したメンバーはここには写っていませんが、中央省庁キャリア官僚の男女らがいます。

 久しぶりに眠らない夜を過ごしました。石川知裕・元衆議院議員(3期6年)が50歳で、「大腸がんステージ4」できょうにも手術を受けると、報道や本人のSNSで明かされました。

 今月50代を迎えた筆者はちょっと考えていたのですが、これを機に40歳からクローズにしていた「双極性障害Ⅱ型」(プログラム性遺伝、生涯治癒しない)で障害厚生年金3級で精神障害保健福祉手帳3級であることを、10年ぶりに再オープン、カミングアウトしたいと思います。

 有病率140人に1人。人一倍冬の朝がつらく、平日月曜日から金曜日までフルタイムで就労し続けることが困難なため、自立のための経済的支援がかかせません。

 当ブログの8000本の記事のうち4本にその記載があります。また十数年前は、ヤフー知恵袋で「双極性障害Ⅱ型で活躍している人はいますか」に「政治ジャーナリストの宮崎信行さんがいます」との回答がなされていた時期がありますが、私が再クローズにしたころには消えました。

 このことは、立憲民主党の議員、リアル友達、取引業者はほとんど知っていることです。だから、改めて言う必要もないのですが、充実した40代に、それを知らない人に話しかけられたり、私をよく思わない人にけん制されたりすることをおそれ、無言で威嚇していたところがありました。50代になりましたので、肩の力を和らげて活動した方がいいと考えました。

 なお双極性障害Ⅱ型は被選挙権行使の法律のどこにも欠格事項ではありませんが、私は立候補を断念して、17年間、このニュースサイトを運営しています。

 ただ、40代の経験で、銀行の融資を引っ張るには、収益性の計算と担保価値の評価・金融資産力で評価されるものであり、双極性障害Ⅱ型で減ったり降りなかったりするものではないことが分かりましたので、ほとんど問題ないと判断しました。銀行本社内で、行員が自分の会社の審査部に上げる書類にどう書こうかと質問される程度です。

 1992年4月、早稲田大学に入学し、鵬志会に入会。新生党ブームに参画し、細川・羽田連立政権の樹立に政治は自分の手で変えられるという大成功体験を得ました。石川さんと私は親が資産家という共通点もありましたが、ライバルでした。1学年から2人幹事長をやっている期はまれで、おそらく私の代だけだと思います。

 その後、2005年9月に日本経済新聞社を退社し、2007年の参院選前から政治ジャーナリストとしての活動を再開した筆者は、石川議員室をよりどころにさせてもらい、感謝しています。委員会の質問作りを雑談しながらして、次の日の委員会で大臣が答弁するのですから、自分は社会とつながっているという実感を再び得ることができました。

 石川さんは私の双極性障害Ⅱ型が「治り」、一緒に国会議員をやりたかったとのことですが「治らない」ことを伝えました。

 3期6年在職した石川さんですが、私をロールモデルとするところが18歳ごろからあり、議員を辞めた後に、留学したことがあります。私が政治学科だからか、法政大学院政治学研究科に入りました。在職0年0か月の私を追いかけても、こまるのです。

 私は東京23区で3棟目のアパートを買い、この後、2棟にしてキャッシュフローを改善しようともくろんでいます。が、諸費用の目算を誤り、1998年、2011年以来で最大の資金繰りの綱渡りの局面をむかえています。私、母、会社名義の各銀行の口座のやり取りを毎月どころか毎日把握しないといけない日々が数カ月続くかもしれません。人生最後の大波だと心得ています。母亡き後の高齢障害者の当事者としての未来からの逆算もしていますが、母から「あなたは頭が良すぎる」とたしなめられています。

 私は50年間、山手線駅歩いて9分、明治通りに面した自宅、占有面積130平米に住み続け持続してきました。石川さん逮捕の報を現役幹事長と二人で見守った私は、帰宅後に子供部屋で息がしづらくなりへたりこんだところを母に肩をもみ背中をさすってもらいやり過ごしました。今回は私が母の寝室の隣まで行って、母に背中をさすってもらっています。石川さんと私の体は、それを否もうとするほど、かえって同調してくるようです。これが人の世だと感じます。

 以上です。