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宮崎信行の国会傍聴記

元日本経済新聞記者の政治ジャーナリスト宮崎信行が衆参両院と提出予定法案を網羅して書いています。

◎第23期参議院、黄金の3年間スタート 第184臨時国会召集 当ブログ7年目へ

2013年08月04日 14時24分15秒 | 第184臨時国会(2013年8月)黄金の3年間

[写真]颯爽と初登院した民主党の石上俊雄参議院議員、2013年8月2日(日)、筆者(宮崎信行)撮影。

 ありがとうございます。

 2013年8月4日(日)、当ブログは7年目に突入しました。ひとえにみなさまのおかげです。日々、1000IP(アイピー・読者数),4000PV(ページビュー・閲覧数)の安定した成績の中で、奇をてらわず、自分の書きたいことを書ける毎日。そして、おととい召集された第184臨時国会はまた新しいスタートです。民主党・新緑風会が参院第2会派に転落しました。このブログでは初めてのこと。衆参とも第2会派、名実ともに野党第1党となり、再び選挙で代表を総理として官邸に担ぎ込む、さあ黄金の3年間のスタートです。

 第23期参議院は2013年(平成25年)7月29日(月)から任期が始まっていますが、8月2日(金)の召集日の朝、民主党1期生が希望の初登院。

 私はこの日は特別通行証を借りていなかったので、国会正門外での取材となりましたが、午前8時20分、堂々たる27万1553票で比例代表トップ(全体で14位)当選の新人、磯崎哲史(磯哲史、いそざき哲史)さんが、静かに正門を通り過ぎていきました。

[写真]国会正門を初登院する磯崎哲史・参議院議員、2013年8月2日(金)午前8時20分、筆者(宮崎信行)撮影。

 選挙時と同じオレンジ色のネクタイの磯崎さんですが、あまりにも普通に通り過ぎていき、声をかけられず。ちょっとちょっと、礒崎さん、ここは国会正門前で、日産追浜工場正門前じゃないですよ!とはいえ、礒崎さんにとっては、国会正門も日産追浜工場正門もトヨタ元町工場正門もマツダ府中工場正門も、同じように通っていくんでしょう。それが働く仲間の声を国会に届けるということなのです。

 働く仲間の代表、礒崎さんの1分後に、なりやら取り巻きを引き連れた人があらわれました。



 大統領でも来たのかと思いきや、「社長」のワタミこと渡辺美樹・自民党参議院議員。

 これを出向かえるのは、同じく社長として知られる、スマイル党党首のマック赤坂元候補。マック元候補は、当選証書がないのに初登院するのがこのところの参院選後の恒例になっています。



 マックさん(左)は渡辺議員(カメラ向こう)とがっちり握手。

 社長どうしがっちり握手。この後、ワタミ議員は国会内へ、マックは国会外に。

 つづいて、民主党比例最後の7番目、15万2121票で初当選した石上俊雄(いしがみ・としお)さんが登場。





 さっそうとあわれた石上さんは、国会議事堂をバックに、記念撮影。石上さん、様になってるね~~。労働界のスター誕生です。社長島耕作が会長島耕作になるそうですが、島耕作は初芝電産、石上さんは東芝ですが、「議員・島耕作」みたい。おそらく、電機連合のスタッフの方が撮影していたんだと思いますので、次号の機関誌は女性社員のあいだでお宝物になりそうな気配。



 様になったスターの気配を感じて、マックが登場。石上さんに絡んで、「おい、言っとくけどな、きょうが始まりじゃないからな」。私は、何か経営者らしい教訓でも垂れるのかと思いました。石上さんも「もちろん、わかってますよ」とスマイルで返答。ところが、マックは続けて、「3年後がスタートだぞ。3年後に俺が当選してからが、お前の議員生活が始まるんだぞ」と言い出したので、



 石上さんはマックさんに軽く手を挙げて、国会内へ。

 石上さん、筆者のインタビューにはきさくに応じてくれました。

 「最下位当選でしたが、今の気持ちは?」

 「ひやひやでしたけど、全国を回っていて、手ごたえを感じていたので、仲間を信じていました」。

 「委員会の所属の希望は?」

 「今はまだ決めていませんけど、産業政策にしっかりとかかわっていきたいです」。

 続いて、非産別および選挙区唯一の新人議員となった森本真治(もりもと・しんじ)さん=広島=が初登院。


[写真]左手に娘さんを抱き、右手で息子さんと手をつなぎ、初登院する民主党の森本真治・参議院議員。

 さて、参議院本会議の傍聴があるので、裏門に向かいましたが、その途中の通用門では、数分に1人ずつ、先輩議員が公用車に乗り登院していきました。


 このように、国会正門前の喧騒とはうってかわって、参議院通用門には誰も取材陣がいない閑散とした風景。
 


 参通用門から遠くに、初登院取材の各社報道陣がうかがえます。


 
[写真]民主党の浜野喜史参院議員。

 このほか、民主党新人では、浜野喜史(はまの・よしふみ)さんも初登院しました。衆在職3年3か月の野田国義・新参院議員も初登院しています。 

【参議院本会議 2013年8月2日(金)】

 第23回参議院議員通常選挙(2013年7月21日施行)を受けた、第184回臨時国会が召集されました。

 第1会派に与党・自民党が復帰、第2会派野党・民主党が6年ぶりに転落し、ねじれ国

会に終止符が打たれました。

 民主党の議席は少なくなったのかなあと思いきや、昨年の衆本会議場の激変と比べて、さほど変わらない印象。席は自民党と入れ替わり、議長からみて、「中央やや右」に移りました。まあ「やや右」ぐらいが、これからの3年間いいのかなあ。議長から見て、左から日本共産党、社民党、公明党、自民党、民主党、みんなの党、維新の会の順になりました。ほぼ、立党順の並んでいるイメージ。議長からみて右の「ニュー野党3党」の連携がカギか。

 名実ともに最左翼になった共産党は、市田書記局長がもっとも奥になり、山下団長がその隣に座ります。最右翼は最年長議員(Father of The House)でもある維新の会の片山虎之助さんで、その隣がみんなの党の松沢成文さん。最右列の上から2つ下の席にはアントニオ猪木議員ですが、大きくて驚きました。さらに金箔の扇子も超大。傍聴席からはとても見えやすい位置なので、参院傍聴の人気が高まりそうです。

 民主党の最前列には、浜野喜史さん、石上俊雄さん、磯哲史さん、森本真治さんの4人が並びました。

 ところが、自民党の最前列は、丸川厚生労働政務官らがならんでいます。これはおそらく参議院から出て、衆議院や役所に行きやすいようにする配慮でしょう。この政務官らの国会より役所へという姿勢。自民党らしいですが、これからの黄金の3年間で、国会軽視がでかねないのではないか。しっかりとスケッチしたいところです。

 10時になり、橋本事務総長が入場し、議長席に。この時点で190名しか議場に入っていなかったのですが、橋本事務総長はかまわずギャベルをたたきました。県会議長経験がある自民党新人57歳が席がわからず悩んでおり、衛視さんが教えに行きました。

 平田健二前議長の任期が切れており、山崎副議長は、辞任しました。参事は「半数が改選されたので辞任したい」との山崎副議長の辞表を演壇で朗読しました。了解をえました。

 続いて、議長選挙。無名投票で、橋本事務総長が取り仕切りました。名刺(氏名がかかれた木札)と投票用紙(無名)を持っていくのですが、自民党の首相補佐官らが忘れて、議席に戻る緊張感に欠けるシーンがしばしばみられました。公明党は最前列で秋野政務官が新人の佐々木さやか議員に教えてあげるなど、先輩が新人を指導する姿が見られました。民主党でも選挙区で勝ち残った改選議員数人が議席に名刺を取りに戻りました。ふだんは注意深い人なのに、改選で厳しいなか勝ち残った人が名刺を忘れて戻っており、やはり選挙というのは厳しいものだと感じました。そして、衆議院の全員改選方式がはたしていいのかと感じました。

 参議院では議場を閉鎖せずに堂々めぐり。11分ほどで終わり、参事4人が開票作業に入りましたが、ここで事務次長が事務総長に用紙を見せるシーンが数回あり、不審票めいたものがあったようです。開票結果は投票総数241(現在参議院は欠員1名なので全員出席・全員投票)で、山崎正昭さんが241票。事務次長が山崎議員の自席から先導し、その間に事務総長は議長席から演壇へ。事務総長が「議長山崎正昭君を紹介します」というと、山崎議長があいさつ。この後、事務総長は事務総長席に座り、山崎さんは議長席へ。

 さっそく、副議長選挙に入りました。

 ここでは、参院議員である、自民党大臣の山本一太さん、森まさこさんが投票を終えた後、山口那津男公明党代表の席まであいさつにいく姿がみられ、自公政権の本質を垣間見ました。

 山形選挙区で初当選した大沼瑞穂・自民党議員34歳の身のこなしが、背筋が柔らかく、アキレス感が強く、印象に残りました。

 投票終了。この後、開票中に事務次長はいくつも事務総長に票をみせる動作があり、波乱の予感。そして、開票開始から6分後、事務次長と議事部長が電卓を何度も叩きました。その2分後、事務次長が座席下から白いコード電話を取出し話始めました。あそこに、電話があるとは知らなかったので、おどろきました。

 ここで、参議院公明党の西田実仁幹事長がすばやく自席から飛び出し、木札の数を、新妻議員、平木議員、杉議員、河野議員の各新人の自席を回りチェックしだしのたので、私も名刺の数が整合していないのだろう、と予想しました。

 西田チェックから5分後、議運理事らが議場内交渉スペースに登壇し始めました。やがて自民党の岡田筆頭理事が事務次長席の電話で話し始めました。投票終了から21分経って、議長が「ただいま理事が協議中なのでしばらくお待ちください」と発言。自民党の脇幹事長も、新人を回ってチェックしましたが、途中で冗談を飛ばして笑いがわくなど和気あいあいとしたムード。11時になると、天候不順のためか、補助のランプが点灯し、事務局がケージ(計量箱)を再度議場内に持ってくるなど異常な雰囲気に。参議院先例録で、参議院規則などを理事と職員が読み出して、自席にすわる岩城議運委員長に自民党理事が説明に行く光景が続きました。ここで、西田昌司議員が「だれがまちがえたかはっきりさせろよ!」とヤジ。水野賢一理事が交渉スペースから降壇するときに足を滑らせて、議場内がもっとも騒然としましたが、水野さんはほんのちょっとだけ照れ笑いをしながら何事もなかったかのように平然としていました。参議院みんなの党の議席は増えましたが、ねじれは解消してしまいました。水野さんのこれから3年間はどうなる? 

 11時20分になると、岡田筆頭が一礼し、山崎議長と直接協議。一方、なぜか水野さんは事務総長と協議。

 11時25分には、自民党の大家敏志(おおいえ・さとし)理事が先例録をもって岩城議運委員長の自席まで行き協議。11時45分過ぎには、民主党の水岡俊一筆頭理事がみんなの党に説明し、そのまま維新の会にも説明しようとしたところで、自民党の大家理事が維新の会に説明に行くというシーンもありました。

 午後11時46分に議長が発言し、投票の結果を報告。投票総数243、名刺の数が240だとしました。「243」は定数を超えておりありえない数字。これについて、参議院規則第7条第2項は「但し、選挙の結果に異動を及ぼさないときは、この限りではない」とあるけれども、投票をやり直すと宣言しました。

 私はこの一連の対応を高く評価したいところです。今までは、休憩して、議運理事会を開くことが多かったと思いますが、この日は、各党理事が交渉スペースで事務次長や議事部長らと協議し、規則を調べ、筆頭理事が議長と話し、自民党理事が自民党出身の議運委員長の自席まで説明に行った。そうやって各党議運理事の総意で、議長は「投票やり直し」というかなり重い決定をしました。これらがすべて「場内協議」で終わったということは評価します。

 再投票では、名刺が1枚、投票用紙が1枚を証明するために、各議員は自主的に両手を同時に参事に差し出す「お手上げポーズ」で投票しました。ただ、やはりベテランは抵抗があるようで、自民党の溝手会長、中曽根議員、尾辻議員らは1枚ずつ渡しました。一方、公明党の山口代表や、民主党の北澤俊美さんや直島正行さんは新人同様にお手上げポーズで、わかりやすく投票し、好感が持てました。

 集計の際も、事務次長は初めからポケットに電卓を入れておいて、集計にのぞみました。

 この結果、投票総数238、輿石東君226票、無効1票、白票11票で輿石副議長が誕生しました。輿石副議長は登壇し、あいさつしましたが心なしか声が震えていました。

【衆議院本会議 2013年8月2日(金)】

 臨時国会召集日、恒例の「日焼けチェック」をさせていただきました。

 とにかく大阪系が日焼けしてました。維新の会は組織があまりないはずなので、議員が中心になって参院選を手伝ったであろうことが推測できました。ただ、他の党もやけており、たんに議席だけでなく、順位争いも熾烈だったのではないでしょうか。

 一方、北海道や東京都の自民党政務三役はまっしろ。当選はしたけれども、自民党の地域での足腰はあまり厚くなったとはいえないのでは。あるいは政務三役は電話でしめつけたのでしょうか。もうそんな時代ではないでしょうが。ある複数区で楽勝した県連の女性衆院議員は「美白の女王か」と思うほど、白かったです。

 自民党の中でも20歳代の衆院議員は真っ黒。おそらく県連のなかで、選対の重要な役割を与えられたので、遊説にかけずりまわったのでしょう。自民党も会社化しているのか。小泉青年局長も日焼けしていました。ただ、自民党は全般的に白かったです。第23回参院選で議員は増えたけれども、組織は対して強化されていないでしょう。

 公明党は沖縄本部長の遠山清彦さんが真っ黒になっていました。

 民主党では神奈川の後藤祐一さん、新潟の鷲尾英一郎さんら、千葉県の各議員らが日焼けしていて、参院複数区最下位当選のかげにこの人たちの力があったのだろうと感じました。最下位当選の方が、党の足腰は強いといえるでしょう。一方、昨年の秋の解散臨時国会召集日にもっとも日焼けしていて、その後、民主党1期生で2人だけ小選挙区勝ち抜けしたコンビは、ともに、地元に参院公認候補がいなかったため、白かったです。やはり、あいさつ回りも「メリハリ」ということになるでしょう。昨年末の衆院選の当選お礼参りは、すでに小選挙区は狭いので終わっているでしょう。すぐに解散になる状況でもありません。黄金の3年間、次の臨時国会まで2か月間空きそうです。炎天下を日常個別訪問することよりも、長期的視点で英気を養うことが大事でしょう。

 国会法13条で衆議院の優越がある「会期の議決」では、社民党2名が反対しましたが、それ以外の各党の賛成多数で、

 2013年8月2日(金)から8月7日(水)までの6日間と会期が決まりました。

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パソコン故障のため、ブログ更新が滞ります

2013年08月02日 18時24分25秒 | その他

第184回臨時国会が召集。現地で衆参とも取材してきましたが、パソコン故障のためブログ更新が滞ります。ご了承ください。

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参議院公明党の新しい会長に魚住裕一郎さん 18年前、新進党東京で100万票トップ当選

2013年08月01日 23時59分59秒 | 第184臨時国会(2013年8月)黄金の3年間

[写真]新進党公認の新人、魚住裕一郎さんの東京選挙区で100万票トップ当選を伝える1995年7月24日付読売新聞。

 第23回参院選(2013年7月21日)にともなう第184回臨時国会の召集前日となった2013年8月1日(木)、参議院公明党は議員総会を公明会館で開きました。参議院公明党の会長は1年ごとに改選していますが、実際には、連続して当選することが多くなっています。第23期参議院では、前会長が議員を引退したことから、新しい会長として、魚住裕一郎さん(4期、全国比例=東海重点、60歳)が選びました。

 魚住さんは、参院議員である山口那津男代表と東大法学部同級生であることから、長年の「白浜-山口二重権力構造」に終止符がうたれ、山口代表が党本部と参院会派双方をコントロールすることが可能になる見通しが立ちました。


[画像]魚住裕一郎・参議院公明党会長(前列左)、白浜一良・前会長(後列左)、山口党本部代表(中)、草川昭三元会長(右)、先の通常国会のインターネット審議中継からキャプチャ。

 私は、学生時代新進党東京第11区総支部から派遣されて、魚住裕一郎さん初当選の選対に詰めたことがあります。事務所の2階の奥で、夜やる選対会議に出席した経験もあります。このときは、新進党内に、東京で2人擁立しても勝てるという見通しがありましたが、新しい党として団結するために、新人の42歳弁護士、魚住候補をみんなでやろうということになりました。そして105万9582票と断然トップ当選となりました。しかし、この3年後には、小沢一郎氏により新進党が解党されてしまい、新進党色の強い魚住さんは、公明党全国比例の東海重点候補に転出することになりましたが、無事4期19年目に入りました。魚住選対は、高橋一郎本部長、西川太一郎事務局長とともに新生党(小沢グループ)の衆院議員がつとめる格好となり、これは第41回衆院選(初の小選挙区)で創価学会票が欲しいという魂胆がみえみえ。小沢グループは今も昔も変わりません。本来ならば、民社系、日本新党系が選対を分け合いみんなで支えるべきだったでしょう。

 魚住さんの後は、山口さんが継ぎました。しかし、その後も参院東京選挙区ではトップは100万票取っていますが、1998年は民主党新人の小川敏夫さんが102万票、2001年は自民党前職の保坂三蔵が140万票、2004年は自民党新人の中川雅治さんが101万票、2007年は民主党新人の大河原雅子さんが108万票、2010年は民主党前職の蓮舫さんが171万票、2013年は自民党現職の丸川珠代さんが106万票と二大政党公認候補のうちの1人が100万票トップ当選する傾向が続いています。公明党および創価学会員の首都東京での100万票、あるいはトップ当選は、1995年の魚住会長以降途絶えていることになります。つくづく、私たち新生党羽田系がしっかりとしていればこんなことにならなかったのに、と申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 これで、参議院公明党は再結集後、すべて新進党勢の会長となりました。

 その一方、公明党(New Komeito)初当選のフレッシュな面々が活躍しています。

 
[写真]テレビ東京開票特番で、池上キャスター(右)からいじわるな質問を受ける佐々木さやか候補(現参院議員、左)、2013年7月21日(日)、民主党開票センター内テレビ東京モニターを筆者撮影。

 ごらんのように、神奈川選挙区で早々に当選を決めた、佐々木さやか新参院議員が、テレビ東京の開票特番で、池上キャスターからいじわるな質問をされました。私は、民主党開票センター内で、とっさにこれは何なんだろう?」と思い、画面を撮影してみました。帰宅後に、YouTubeで音声を聞いたら、「あなたは創価学会員ですか?」「政教分離をどう思いますか?」と聞かれていましたが、さやかさんは100点満点の回答で視聴者の納得を得ました。そもそも、日本国憲法の政教分離の原則とは、戦前の治安維持法による宗教団体弾圧を防ぐためのものです。今の「政教分離」の誤った解釈は、新進党時代に自民党の亀井静香広報本部長・野中広務幹事長代理がオウム真理教事件と連想させる格好で、振りまいたデマであり、亀井・野中の罪は万死に値するし、マスコミ・ネットウヨもいい加減目を覚まさないといけません。

 それにしても、私、民主党開票センターにいても、とっさに公明党のこと、気になっちゃうんですね(笑)。

 今思うと、私たち新生党勢はあまりにも稚拙だったし、公明党のみなさんが怒ったのは無理もないと考えます。しかし、今、平和と福祉の公明党の理念が危うくなっています。庶民のため、労働者のための政党が必要です。

 それを思うと、初恋の彼女をいつまでも思い続ける情けない男に思われるかも知れませんが、私たち民主党良識派と公明党の思いは一つです。

 いつになってもいいですが、公明党のみなさん、いつでもかえってきてください。

 参議院公明党の幹事長には2期の西田実仁さん、国対委員長には1期(衆1期)の長沢広明さんが就任しました。

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大畠章宏民主党幹事長「私の政治の師は梶山静六先生だ」と意外な一面を明かす 初記者会見

2013年08月01日 21時09分55秒 | 第184臨時国会(2013年8月)黄金の3年間

[写真]民主党の大畠章宏幹事長と自民党の梶山静六元通産大臣(故人)、梶山さんの画像は、梶山弘志衆院議員YouTubeチャンネル内動画からキャプチャ。

 民主党の大畠章宏新幹事長(衆茨城5区)は、2013年8月1日(木)、就任後初めての記者会見にのぞみました。

 この中で、「私の政治の師は梶山静六先生だ」と意外な一面をあかし、野党第1党幹事長として、警護官(SP)を断ったことに言及しました。

 大畠幹事長は、冒頭発言で「幹事長として初めて会見にのぞみます」「党の厳しい状況の中で国民の信頼を回復するようがんばっている海江田代表を支えていきたい」「1990年初当選から24年間国政で仕事をしました。私の持つ政治経験をすべて幹事長職に吐き出して、民主党の真の姿をお伝えできない現状を打破します。まずは様々な形で行動していこうと思います」と語りました。

 質疑応答の中で、記者から「SP(警視庁の警護官)がついていないようだが」との指摘があり、私も初めて気づきました。

 これについて大畠さんは

 「私も経産大臣と国交大臣のときにSPの方がついていただきました。これは大変なんです。常に、まあ24時間とは言いませんが、どこに行くのにもSPの方がついておられました。かつて日本の国の総理大臣にも警護をつけなかったときがありましたよね。しかし、いろんな事件が起こったり、ピストルで撃たれたりということがありまして、基本的に警護をつけようということになったんですが、今12も政党があるわけですから、すべての政党の幹事長に警護をつけることになりますと大変な陣容になります。そういうことから、警備のほうからどうしますかというようなお話があったようで、政治家というのは常にそうでありますが、どのような状況になったとしても、別に私は意に介しませんと。したがって、1つの基準があるでしょうから、民主党も116人の国会議員の体制になりましたから、そういう基準で考えていただければ結構ですよということで、SPの警護についてはお断りをしたということです」と男気を見せました。

 ただし、「万一不穏な状況になればつけることもある」として、警視庁の治安維持に協力する考えを述べました。


[写真]SPをつけずにリラックスして語る、大畠章宏・民主党幹事長、2013年8月1日(木)、民主党ホール、筆者(宮崎信行)撮影。

 筆者も質問し、大畠さんが前回の野党(ネクスト金融担当相)として最後に臨んだ2009年2月27日の衆・財金委で、麻生総理(当時)に対して、1999年9月末日におきた「JCO臨界事故」に関して、大畠さんが梶山静六さんとの仮払い金についての対応を披露した上で、「かつての自民党には情(じょう)というのがあったのですよね。「情と理」という本を後藤田正晴先生が出していますが、小泉さんになってから、情の部分はもう全部切っちゃう、理屈だけだ。やはり政治には情が必要なんですよ」と、自民党に情がなくなったと指摘していることについて、「私も同感だが、民主党も情が足りないのではないか」と筆者が指摘しました。

 大畠さんは「私も思い出しました。JCO事故では茨城県選出の超党派の国会議員団で、私が事務局長になって、『被害額が確定しないと賠償金を払えない』と国と県と東海村が責任をなすりつけあっていたところに、この際、国は被害額のおおよそ2分の1を払ったらどうだ、ということで、11月30日に、企業家の方は、年を越すわけにはいかない、臨界事故によって倒産する企業は極力なくそう、として夜中の12時までに必ず払わせた」との野党・民主党時代の実績を披露。

 そのうえで、「政治というのは理(り)だけではなく、情(じょう)が必要だ。民主党のなかに情が薄い傾向があるかもしれない。しかし、民主党には地域の(総支部長ら)優秀な方も多く、情と理の両方が大事だということを浸透させていきたい。私も(豪雨被害対策本部長として)山口、島根にも行ったが、自分の家の中に泥水が入ってきたらどうするか考えて欲しい。生活再建に向けて民主党の若い(現前)議員のみなさんもぜひ、党派を超えて先人に見習って欲しい」と語りました。

 
[写真]山口・島根豪雨対策本部長として被災地を視察した大畠章宏幹事長、2013年7月31日、島根県内、民主党ホームページから。 

 目標としている政治家としては、「梶山静六先生だ」と語り、「私は(1990年初当選時の)スタートは社会党だったが、梶山先生がご尊命だったら、どういう(森・小泉以降の2000年代の)自民党だっただろう。梶山先生は私に「大畠さん、いい戦争と悪い戦争とあると思うか。最終的には人が人を殺すということが戦争の実態なんだ。いい戦争と悪い戦争とあるわけがない。両方ともだめだよ」とおっしゃった。たしかに東京はたくさん仕事があるかもしれながい、地域も大事だ。山口の集落で殺人事件があったが、年齢構成を見ると、超競争社会、弱肉強食社会のひずみを感じる。愛郷無限(あいきょうむげん)で、それぞれのふるさとを大事にしようというの政治家としての私の心情だ」と語りました。

 ちなみに、大畠さんと梶山さんは同じ中選挙区で、議員宿舎も途中から同じ旧九段宿舎だったようです。中選挙区時代の自民党議員と社会党議員が仲が良かったというのは、まさに55年体制・国対・料亭政治の申し子ということにもなります。私は日本の議員宿舎制度に対して否定的です。とはいえ、そういったつながりが、我が国最初の原子力発電をめぐる労災(3人)死亡事故であるJCO核燃料工場の臨界放射能漏れ事故で、一般市民の被災者が2ヶ月後に仮払いを受けるという超党派の政治決断があったことを、私は初めて知りました。梶山さんはこの翌夏、亡くなりました。


[写真]1999年9月末日、核燃料工場からの放射線漏れで避難した住民の前で土下座するJCOの木谷宏治社長ら、1999年10月1日付朝日新聞、第1社会面。

 梶山さん、後藤田さんとも、自民党経世会ということになります。衆院小選挙区二大政党制の歴史を切り開いた「宮澤解散」では、宮澤総理・総裁を梶山幹事長が会期末ぎりぎりのところで、支えきれずに不信任可決・解散となりました。この背景に、宮沢さんは大学生のときに太平洋戦争になったものの、大蔵省に就職し、軍に入っていない一方、梶山さんは志願して陸軍航空士官学校に入った経歴の違いの心情的な対立があったとされています。極限状態になった人は、総理だろうと自民党幹事長だろうと本質は変わりません。最後の最後は理屈ではなく、情なのです。

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[訃報]松尾官平・元参議院副議長(1995年~98年)86歳新生党結党9参院議員のひとり【追記あり】

2013年08月01日 06時08分09秒 | 素晴らしき新生党保存会

[写真]松尾官平・第22代参議院議長、参議院ホームページから。

 新生党結党に参画した9人の参議院議員の1人で、第22代参議院副議長だった松尾官平(まつお・かんぺい)先生が、2013年7月30日亡くなりました。昭和2年(1926年)生まれの86歳。こころよりご冥福をお祈りいたします。


[写真]新生党結党記者会見に参加する、松尾官平参議院議員(後列左端)、1993年6月23日。

 松尾さんが参議院副議長を務めた時期は、1995年夏から1998年夏の3年間。参議院第2会派で新進党と公明の統一会派「平成会」の出身。

 日本にとって激動の時期で、阪神大震災・地下鉄サリン事件が起き、村山内閣の対応が批判されたのに、なぜか投票率44%という現在まで最も冷めた第17回参院選の直後に議員在職わずか15年ながら副議長に選出されました。この選挙で、新進党は比例得票第1党になっており、大いに躍進が期待されました。とはいえ、議席数は、「自民党・自由国民会議」が111議席、平成会が68議席だったので、今とあまり変わらない状況です。

 その後、橋本内閣に衣替えし、住専国会や山一・拓銀ショックを経験。ついには、新進党が解党され、翌年夏、副議長とともに議員を引退しました。勲一等瑞宝章。

 自民党時代に中曽根内閣で沖縄開発政務次官、労働政務次官。参議院では、環境特別委員長もつとめました。

 松尾官平さんは、青森県出身。盛岡高等農林学校農科卒、中央大学経済学部。家業の造り酒屋を従事し、県会議員を5期。このころの自民党県議出身の国会議員に造り酒屋が多かった理由は、戦前は酒税が国庫の最大の歳入だった時期があることと、現在でも酒税が毎月末申告、毎月納税ということで国政と身近な関係にあるからでしょう。松尾さんは、三戸町の教育委員、商工会長を経て、青森県の商工会連合会会長、養蚕農業協同組合連合会会長をつとめました。さらに、青森県出稼者団体連合会の会長をつとめておられ、「青森の父」のような存在だったのではないでしょうか。実際に、現役時代の松尾先生のリーフレットには、祖父、子、孫の三代の写真が載っていて、伝統的家族観にもとづく、頼れるイメージを感じました。

 参議院副議長室のとなりに、議長応接室があります。国会中継の代表質問で、参・本会議場の向かって左側から総理ら閣僚が入ってくるシーンが年1、2回流れます。あれは議長応接室に控えており、国会内の大臣室とは、イチバン遠いところにあります。このため、総理ら全閣僚が議長応接室に入る代表質問のさいは、普段とは違う雑踏が生まれます。一方、副議長は通常は、一般の議員席に座りますから、副議長室から出てきて、テレビで見るときの手前側の出口から議場に入場します。

 ある日の朝、橋本首相の番記者として、議長応接室に入った首相の近くにいると、参議院の衛視さんが大声で「そこ開けてください!」と私を怒鳴りながら歩いてきました。国会参観など参議院の衛視さんはたいていやさしいのですが、雑踏には衆と比べて慣れていない面もあり、思わず声を張り上げたようです。そして、その衛視さんはどうやら副議長を先導する役で少し緊張していたようで、曲がり角の向こうからあらわれた松尾副議長は、クルマを運転するまねをしながら、「そこにいると、カーブが曲がりにくいんだよ」とやさしく声をかけてくださいました。これは私をたしなめながらも、大声を出した衛視さんもたしなめたのでしょう。「造り酒屋、県出稼者団体連合会会長、大家族アピール、そしてやさしく叱る」。こういった先生は、今は全然いなくなってしまいました。古き良き自民党の薫りを受けつぐ新生党結党メンバーの松尾先生。これが私の「マイ・ファースト・青森」。その後青森出身の親戚が複数増えましたが、青森に悪い印象ないですね。リンゴの花を聞きながら、新幹線で青森へ!と思ったら大震災になってしまいました。

 新生党結党参院議員9人のうち今も議席を有するのは北澤俊美さんただ一人になりました。衆院メンバーの前田武志さんも現職参院議員ですが、石井一先生は7月21日、落選してしまいました。

 議会制度百年史の参議院議員要覧409ページには、松尾先生の著書として3冊載っています。

 『県議6年』ーーこれは合計5期つとめた県議の2期目に書いた物でしょう。6年というのは、同じ造り酒屋出身の竹下先生が県議6年で国政に転出したことも念頭にあったのかもしれません。

 『ヨーロッパフォトツアー』ーー洋行が少なかった時期に、青森の父が(おそらく)お得意の写真を交えて、地元の人にも欧州の薫りをとどけた著書だろうと思います。

 そしてもう一冊。「セニョール官平南米を行く」ーーなんだこれ?「セニョール・カンペー」ということで漫才師のようですが、雪深い青森で尊敬される政治家は、底抜けの明るさも条件なんでしょう。今の知事さんをみてもそう思います。

 偶然、昨日付のエントリーに松尾先生の名前を書いていましたが、そのときにはすでにお亡くなりになっていたことになります。

 ご子息(喪主)のツイッター・フェイスブックによると、松尾先生は都内で亡くなりましたが、首相官邸から国会議事堂を通り、既に青森にお帰りになっているそうです。

 セニョールカンペイ、アディオス(さようなら)。

【追記 2013年8月1日(木)午後8時半】

 国立国会図書館で「セニヨール官平南米を行く」を読んできました。青森県議時代の、アメリカと南米大陸視察旅行の報告で、絵と文が上品にまとまったパンフレット風でした。その最後の一文に心打たれるものがありましたので、引用して追悼させていただきます。

 クスコからマチュピチュへの列車の中でメキシコから来た女子大生のパーティーと知り合った。

 陽気な彼女らは盛んに合唱し、我々にも歌えと言う。

 津軽海峡冬景色の独唱でこたえたが、アンデスの山中で歌った気分は乙なものだった。


【追記おわり】 


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