田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

市民カレッジ 「蝦夷地から北海道へ」④

2009-06-09 18:15:31 | 札幌学 & ほっかいどう学
 札幌が豊平川の扇状地に形成されたことは知識としてありましたが、今回の講義で扇状地の地形を生かしてまちが形成されてきたことを理解することができました。 

 今シリーズ「蝦夷地から北海道へ」の最終講義は「札幌の地形とまちづくり」と題して、日本社会教育学会評議員の田山修三氏のお話でした。
 田山氏の話は多岐にわたったのですが、その中から伝えやすい部分をピックアップしてレポートすることにします。

 札幌のまちは扇状地の上に形成された街であり、扇状地は真駒内公園辺りを頂点(扇頂)として、先端はJR函館本線の北側を取り囲むように扇状に広がっています。(扇状地の先端部を「扇端」、中央部を「扇央」という)
 扇状地は山間部から運ばれてきた大小の礫が体積してできた土地のため、水を通しやすく伏流水となるため水が得にくく農地には適さないようです。また、礫が体積しているため地盤はしっかりとしています。
 伏流水は扇端部で湧水として地上で表れます。

 こうした扇状地の特徴が札幌のまちを形成する上ではっきりと表れています。
 まず、鉄道の敷設にあたって地盤がしっかりしているところを調査した結果、扇端部に近いところに現在のように敷設が決まったとのことです。
 さらには伏流水が湧出するJR線の近くに水を大量に使用する工場群ができたようです。
 そして札幌市内の高層ビル群は地盤のしっかりしたJR線の南側に集中していることは地形の上からも理に適っているといえそうです。

 そう考えていくと、水を得にくい扇状地上(札幌市の南側)に農地が広がらず、扇状地を外れた市の北側(伏古、丘珠)に農地が広がっていたのも納得です。
 余談で講師が話されましたが、北側に大きなビルを立てようとするときはかなり地下深くまで杭を打ち込んで安定を図らねばならないということでした。

 こうしたことを知ったとき、札幌のまちづくりの構想を打ち立てた初代開拓使主席判官の島義勇の慧眼に感服せざるを得ません。ただ島義勇が地形学を習得していたかどうかは定かではありません。
 彼の構想は、江戸幕府の蝦夷地開拓掛の大友亀太郎が掘削した大友堀り(現在の創成川)を基準として構想されたということですから…。

 いや~、まちの形成過程もこうして見てくると興味深いものですねぇ・・・。