田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

佐渡裕 PMFを語る

2014-05-21 22:58:38 | ステージ & エンターテイメント
 今や日本を代表する指揮者の一人となった佐渡裕氏の出発点はPMFだったという。PMFの創始者であるレナード・バーンスタインに師事し、彼に鍛えられ、PMFで貴重な経験を積み、今の佐渡裕があると語る氏の話に耳を傾けた。 

 5月18日(日)午後、札幌駅前通地下歩行空間(チ・カ・ホ)の北3条広場において「PMF25回記念スペシャルプレイベント」と銘打って、指揮者の佐渡裕氏と音楽評論家(いうよりはスポーツ評論家としての方が名高いが)の玉木正之氏の対談が行われた。

          
          ※ 対談中の写真はNGだったのだが、終了後に写しました。

 さすがに世に名高い佐渡氏である。会場の北3条広場は開始30分前に行ったところすでに立錐の余地がないほどびっしりと聴衆が集まっていた。もっと対談に相応しい場所でゆっくりと聴きたいと思ったが、立ったまま聴く90分間はかなりの苦行だった。

 佐渡氏とPMFの関係は、PMFが始まった1990~1997年までの8年間に及ぶということだ。
 そもそもは佐渡氏が1987年のアメリカのタングルウッド音楽祭(PMFと同じ教育音楽祭)でレナード・バーンスタインに認められたことからPMFに関わることになったようだ。
 レナード・バーンスタインの提唱で始まったPMFは、彼が第1回目の音楽監督(首席指揮者)務めたが、その際佐渡裕氏をレジデント指揮者に指名している。レジデント指揮者とは首席指揮者を助けるような役割のようである。バーンスタインは1回目の音楽監督を務めた後亡くなってしまったが、佐渡氏はその後6年間もレジデント指揮者を務めている。

 レジデント指揮者の主な役割として、PMF参加希望者のオーディションを世界各地で行い、選抜することだそうだが毎年1,000人を超える音楽家の卵の演奏を聴いて選抜することは自身のために大変勉強になったという。

 バーンスタインとの思い出、自身のこれからのこと、PMFに対する思い、などなど多方面にわたり雄弁に語った佐渡氏だったが、対談相手が玉木氏だったというのは企画側のヒットだったかもしれない。佐渡氏の多方面にわたる素顔を引き出してくれたように思う。へんに専門的な話に偏らなかったのが良かったように思う。

          
          ※ ご覧のように会場は立錐の余地がないほどびっしりでした。
 

 佐渡氏はPMFの今後について「提唱者であったバーンスタインの思いを大切にしながら、札幌の地でいつまでもPMFが続いてほしい。そのためにも多くの人がPMFの演奏会に足を運んでほしい」と結んだ。
私 はこれまでそれほどPMFを盛り上げる力にはなっていなかったが、少しはその力にならなければ、と心を新たにした思いだった。

大谷選手の二刀流を目撃したのだが…

2014-05-20 23:35:35 | スポーツ & スポーツ観戦
 プロ野球界にとって歴史的(多少オーバーかも?)な日と言っても良い、日ハムの大谷選手が投手と打者の両方で先発出場するという試合を見逃すわけにはいかない。当日になってチケットを手配し、急遽札幌ドームに駆け付けた。 

 日本ハムの大谷翔平選手の二刀流に挑戦していることがプロ野球界の話題の一つである。
 パリーグは指名打者制(DH)をとっているため、通常札幌ドームの試合で、大谷選手が投げて、打ってというシーンは見ることができない。
 ところが、今年のセパ交流戦ではこれまでとは反対に、パリーグ主催試合においてセリーグ方式を採用するという、ややこしいというか、粋な方式が採用された。

          
          ※ 平日にもかかわらず、私と同じように大谷選手に期待して駆けつけた人が多かったようだ。

 そのセパ交流戦の第一戦(対中日戦)が本日札幌ドームで開催され、大谷選手が先発投手として登場するという。テレビ観戦という方法もあるが、これはもうライブで見なければと思い立ったのだ。札幌に住んでいるというアドバンテージを感ずる瞬間である。

 席は比較的安価でグランドレベルで観戦できる一塁側(アウェイ側)のB指定席を手配した。(天井席からの観戦はゴメンである)

 メンバー発表を楽しみにしていた。「3番ピッチャー大谷」と呼ばれるのを期待していたのだが…。実際には「7番ピッチャー大谷」だった。昨年のセパ交流戦の対広島戦では「5番ピッチャー大谷」が実現していたので、昨年より進化している大谷選手には「今年も!」という期待があった。しかし、栗山監督は投手として負担も考えて現実的な判断をしたのだろうか?(ちょっと残念)

          

 一方、中日のメンバー発表を見ていて驚いた。選手名と共に現在打率が掲示されるのだが、何と先発のうち5人が打率3割を超えているという打線だったのだ。これはちょっと不気味だった。

 さて試合の方だが、投手としての大谷は素晴らしい出足だった。1回こそ、2死から連続安打を浴びたが後続を討ち取って無難にスタートすると、2回から5回までは最速158キロの速球に、変化球を加えていずれの回も3者凡退に切って取った。

          ※ 大谷投手のピッチングフォームを何回かに分けて撮ってみた。

          

          

          

          

 打者としては、3打席ヒットはなかったが、1・2打席はいずれも外野へライナー性の当たりを飛ばし存在感は見せてくれた。
 その間、チームは2回、5回に集中打を放ち、2点ずつ挙げ5回を終え4対0とした。
 この時点で、私は大谷の調子から見て、試合後のヒーローインタビュー台に大谷が上がることを頭の中に描いていた。ところが!

          ※ こちらは打撃フォームだが、2コマじゃ足りませんねぇ…。

          

          

 大谷投手は6回に入り突然乱れてしまった。四球、安打、四球で無死満塁とし、好調森野選手に走者一掃 レフトオーバーの2塁打を喫してしまった。さらにその後のルナにも安打を打たれ、あっと言う間に4対4の同点にされてしまった。
 大谷の中で何があったのかは知る由もないが、一つ気になったことがあった。
 それは6回のマウンドに上がって投球練習をしていたのだが、突然大谷がベンチに下がったのだ。何か気になることがあったのだろうか?
 そしてマウンドに戻って、一球も投球練習をすることなく直ぐに打者に投球したのだが、その打者をストレートの四球で歩かせたことから傷口を広げ、中日打線にとらえられたのだ。
 4点を失ったところでベンチも大谷をあきらめ、救援を送り、本日の大谷はジ・エンドとなってしまった。

 大谷選手にとっても、期待してドームに駆け付けた私にとっても、なんとも不完全燃焼のような虚しさが残ってしまう試合だった。

 試合の方は、一時逆転され大谷投手が敗戦投手となってしまいそうな試合展開を、陽・石川両選手の鮮やかな本塁打攻勢で、7対5で勝利し、日ハムとしては幸先の良いセパ交流戦の出だしの試合となった。
 大谷選手の二刀流には次の機会に期待することにしよう。

          
          ※ 日ハムが勝利した試合後にはグランドで祝福の花火が打ち上げられます。

ア、イヌがきた??

2014-05-19 21:53:53 | 大学公開講座
札幌学院大学コミュニティ・カレッジで「アイヌ民族の碑が訴えていること」(3回講座)を受講している。先日のその第1回講座があったのだが、その中でちょっと辛い話を聴いた。そのことに特化してレポートしてみようと思う。 

 5月14日(水)午後、札幌学院大学社会連携センターにおいて「アイヌ民族の碑が訴えていること」の第1回講座が行われた。講師は学院大の杉山四郎教授である。
 杉山氏は、もともとは高校の社会科教諭で趣味としてアイヌ語の習得・研究に力を注ぐうちにアイヌ文化全般に興味が移り、そのことが注目されて大学教諭として現在に至っている方である。
 そうした経歴の持ち主であるから、杉山氏の視点はどうしてもアイヌ民族の側からの視点となるは避けられないようであり、そのことは私も理解できた。

          
          ※ アイヌの碑について講義する杉山四郎札幌学院大学教授です。

 第1回目の講座のテーマは「北海道各地のアイヌ民族の碑を訪ねる」と題して、北海道内に建立されている100碑以上の碑の中から8つを選んで、その碑が建立された背景や碑文の意味等々について説明された。

 その説明の最初の江別市に建つ「乗沸本願生彼國(ジョウブツホンガンセイカコク)」碑について説明された後、その横には「樺太移住旧土人先祖之墓」碑があると説明された。そのとき、杉山氏は「この碑の土人という文字の土のところに`(テン)が付いているんですよね」と言いながら多くを語らなかった。
 私はそのことがとても気になった。

 講座の最後に質問時間が設けられていたので、私は気になっていたことを率直に訊いた。
 「土人という碑文の土のところに`(テン)を付けた意味は何か?」と…。
 すると杉山氏は言いにくそうな表情をみせながらも黒板に「ア、イヌが来た」と書いた。そして当時アイヌ民族を侮辱する意味で使われていた言葉で、その意味を碑文に込めたのではないかと説明された。
 さらに私は訊いた。碑を建てたのはアイヌ民族を慰霊しようとする人たちである。その人たちがそうした意味を碑に込めるはずがない。そこで私は「ということは、その`(テン)を付けたのは碑を彫刻した業者ということだろうか?」と問うと、杉山氏は「おそらく誰かの指示があって、業者がそうしたのではないか思われる」と答えられた。

 受講生の中から杉山氏の考えに反論する考えも述べられたが、論拠としては少し弱いように思われた。
 私はここで杉山氏の判断の是非を論ずるつもりはない。
 それより、私自身の体験の中でアイヌ民族を侮辱する行為を見聞したことが記憶に深く刻まれていることを披歴しておきたいと思ったのだ。
 私が生まれ育った身近な地域にアイヌの方々は存在しなかった。しかし、列車で1時間も離れた町にはアイヌの人たちが住んでいる町があった。その町へ遊びに行ったとき、駅前で遊んでいた子どもたちがアイヌの子を揶揄している場面に遭遇した体験があった。
 私はそのときは深い意味は分からずじまいだったのだが、感覚的に嫌な思いが残ったのは事実だった。

 アイヌの人たちが身近にはいなかった私でさえこうした体験があるのだから、アイヌの人たちが暮らしていた地域においては推して知るべしという思いである。
 そうした意味で、私はアイヌの人たちに対する贖罪の思いが私の底流にあることを意識する。私がアイヌのことを学びたいと思っている理由はそこにある。

中国の革命観光

2014-05-18 23:59:41 | 大学公開講座
 観光のタイプも国によってさまざまなタイプがあるようだ。中国語では「紅色旅遊」と称する「革命観光」というタイプがあるという。「愛国主義教育」を推進する中国は、その方策の一つとして「革命観光」を推奨しているらしい。その「革命観光」の表と裏を聴いた。

 北大の公開講座「記憶の中のユーラシア」第2講は5月16日(金)、「中国の革命観光」と題して、亜細亜大学の高山陽子准教授が務めた。

          
          ※ 中国の「革命観光」について講義をする高山陽子亜細亜大学准教授です。

 改革開放路線を推し進めてきた中国では、一方では依って立つ共産主義から国民が離反することを警戒し「愛国主義教育」を推進したという。その一方策として「革命観光」が政策的に進められているという。

 観光には、その目的に応じて歴史的文化観光、自然観光、レジャー観光、宗教的観光などがあるが、宗教的観光は神社仏閣などを聖地として巡礼する観光があるが、宗教を否定する中国としてはそれに代わって中国共産党にまつわる場所を巡る政治的巡礼が奨励されているという。
 そして国としては12の重点紅色旅遊区が指定されているという。例えば、1921年に第1回中国共産党大会が開催された地・上海とか、1927年に起こった八一南昌起義の地であり、毛沢東誕生の地としての詔山、井岡山、端金というように…。

 こうした「革命観光」は中国の国家運営に寄与している部分も確かに大きいと思われる。それは例えば「旅順万忠墓博物館」において「日本侵略軍は旅順に侵攻し、3昼夜にわたって武器を持たない市民たちを虐殺した。……」などという表示がディスプレイされた展示と共に表示され、それが道徳教育の一環に組み込まれているという。それした背景があっての中国民衆の日本バッシングのデモなどではなかったろうか?

 一方、こうした官制によって推進されている「革命観光」には弊害も出ていると講師の高山氏は指摘する。
 例えば、公費による旅行が増加しているという事実、あるいは民衆に分かり易く伝えようとするがあまりの歴史的事実の歪曲・パロディ化。さらには観光地が風俗産業との癒着を産んでいる事実などがあるという。

 観光というカテゴリーには入らないまでも、国における博物館的施設の展示については、多かれ少なかれ現体制を肯定するような展示がなされるのだろうと思われる。
 そこに民主主義というチェック機能が働く国家と、残念ながらそうした機能が働かない国家が存在するということを改めて教えられた今回の講座だったような気がする。

記憶の中のユーラシア

2014-05-17 23:53:19 | 大学公開講座
 受講している北大スラブ・ユーラシア研究センターが開催する公開講座名である。講座名にしては詩的な響きがする。7回講座のうち、2回の講座を終え講座のねらいを考えてみた。 

 ユーラシアというと、アジアとヨーロッパを合せた六大陸最大の大陸で、人口も地球総人口の72%が住むという。歴史的に見ても地球の歴史のほとんどはこの地域で紡がれてきたといっても過言ではないことに気づかされる。
 そのユーラシアの歴史の中でエポックメーキング的な出来事を研究者の視点から取り上げて、リレー式に7回にわたって解説するというのが本講座の趣旨のようである。

          
          ※ 講義をする北大スラブ・ユーラシア研究センターの望月哲男教授です。

 第1回目は5月12日(月)夜、「未来へ向けた記憶:帝政ロシアをカラーで撮った写真家」と題して、北大アラブ・ユーラシア研究センターの望月哲男教授が務めた。
 ロシアは17世紀初頭から20世紀初頭にかけてはロマノフ王朝が支配したが、1917年のロシア革命によって王朝は倒された。
 そのロマノフ王朝が倒れる前の10数年間、開発されたばかりのカラー写真を用いて当時のロシアの状況を克明に記録した写真家がいた。それはプロクーディン=ゴールスキーという写真家だったという。

 ゴールスキーは20世紀初頭(正確には1902-1918)、当時開発されたばかりのカラー写真の技術を用いてロシア各地に赴き、総数にして約3,500点のカラーで写した風景写真を残したという。当時において最先端技術だったカラーによって3,500点も撮るということは莫大な費用を要したようだ。したがって帝国政府からの手厚い援助が不可欠であったが、帝国が傾くにつれ援助も難しくなって、ゴールスキーはフランスに亡命したという。

 その写真がいろいろな経過を辿り、20世紀末になってその意義が見直され、世に出たということのようだ。
 講座の後半は実際にゴールスキーが写した写真を見ながらの講義だった。
 カラー写真が思っていたより鮮明だったのが意外だったが、デジタル修整技術の発達が鮮明さを表現したということだった。

 講座ではゴールスキーが遺した写真についての芸術性に論及したが、私自身はゴールスキーが遺した写真は記録性だけで十分ではないのかと思った。何故なら、その写真には構図的にも、人物の動きのなさにしても私の撮る写真とそう違わないのではと思われたからだ。ただし、その時代の様相を切り取った映像ということでは十分に価値ある写真だと思われた。

 「記憶の中のユーラシア」第2講は5月16日(金)夜、「中国の革命観光」と題して亜細亜大学の高山陽子准教授が務められたが、こちらも興味深いお話だったので、日を改めてレポートすることにする。

講座の受講を楽しんでいます

2014-05-16 21:53:07 | 講演・講義・フォーラム等
 このところ意識的に各種講座を受講している。特に今週はそれが輻輳してしまった感がある。日によっては時間を違えて二つの講座を掛け持ちして受講する日もあった。別にお勉強が好きということではない。ただ受講を楽しんでいるだけなのだ。 

 12日(月) 午後~札幌日大高戦観戦、夜間~北大公開講座受講
 14日(水) 午後~札幌学院コミュニティカレッジ受講、夜間~北大公開講座受講
 15日(木) 午前~石狩市民カレッジ受講、午後~札幌日大高戦観戦
 16日(金) 夜間~北大公開講座受講

          
          ※ 札幌学院大コミュニティカレッジで講義する杉山四郎教授です。

 以上が私の今週の各種講座の受講歴である。(札幌日大高野球部の試合観戦も記した)
 たまたま、今週は特に各種講座が輻輳してしまったが、まあ忙しぶりっ子をしているだけなのだが…。
 ちなみに受講している講座のテーマを記してみると、北大公開講座が「記憶の中のユーラシア」(7回講座)と「近代とその行方~アートとアメリカとリスク」(4回講座)、札幌学院大コミュニティカレッジが「アイヌ民族の碑が訴えていること」(3回講座)、石狩市民カレッジが「記者が語る原子力取材の現場」(2回講座)といった具合である。

 それぞれのテーマに興味があって受講申し込みをしたのだが、実はこの4つの講座に共通項があるのだ。それはこの4講座ともに「道民カレッジ」の連携講座であるということだ。
 つまり、これらの講座を受講すると道民カレッジの単位が取得できるのである。

 私は昨年までに道民カレッジの学士(100単位)、修士(200単位)を取得し終えている。今年中になんとか博士(300単位)を取得して一区切りをつけようかと思っている。(道民カレッジ受講生にはまだまだとてつもなく単位を取得している人がたくさんいるのだが…)
 そのこともあって、少し意識的に講座の受講に努めているところがある。

 特別にお勉強が好き、ということではない私だが、意識的に外へ出かけ、知的興味を失わないことがボケ防止に少しは役立っているのでは、と思いつつ楽しんで受講を続けている。
 受講内容についてもいずれレポートできたらと考えている。

札幌日大高校野球部2014 Vol.6

2014-05-15 22:39:40 | スポーツ & スポーツ観戦
 予想外の試合展開、予想外の敗戦になかなかレポートを作成する気になれず、深夜になってようやくパソコンに向かっている。力以上に差がついてしまった試合ではなかっただろうか?東海大四高に苦杯をなめた札幌日大高は夏に向けて何が鍵になるのか考えてみた…。 

          
     ※ 平日にもかかわらずさすが代表決定戦である。多くの高校野球ファンが麻生球場に駆け付けていた。

 両校の練習試合の結果からも(2対1で東海大四高の勝利)接戦になるだろうと予想した私の考えはもろくも崩れた。まずは試合のランニングスコアを示すことにする。

 《札幌日大》0100000   1
 《東海大四》1021103x   8x (7回コールドゲーム)

 札幌日大の誤算は何といってもエース山本の不調だろう。
 東海大四高打線はその山本に初回から襲いかかった。初回はなんとか1点に食い止めたものの、討ち取った当たりも全てが真芯で捉えられていて先行きに不安を感じさた。
 その後に試合経過が示すように毎回のようにランナーを許し、結局7回途中までで東海大四高打線に長短11安打を許してしまった。

          
          ※ 無死走者2塁の場面、この後山本投手は二塁打を許し、得点を献上した。

 私は対立命館慶祥戦に完封した山本投手について、安定感あるピッチングを讃えた後に、強豪校との対戦になった時に真価が問われるが、その予想は「何とも言えない」と記した。
 その理由は彼のボールに相手を圧するほどの威力を感ずることができなかったからだ。彼のボールの最高速が135キロと紹介し、突出した速さではないと記した。今どきの高校野球ではピッチングマシンなどを使用して140キロ前後のボールを打ち込んでいるはずだ。
 となると、高校生としては比較的速い球を投げる資質を生かした投球術が必要になってくるのではないか。今日は見ていて体も重そうでスピード自体もそれほど速く感じられず東海大四高打線には恰好のボールになってしまったようだ。

 対する東海大四高の西嶋投手は後から資料を見て驚いた。身長がわずか168cmしかないのだ。それでいて、見るからにキレの良いボールを投げていた。投球術にも見るべきものがあり、時おり投げるスローカーブも効いていた。小柄なだけに後半に疲れで崩れるのではと見ていたが、結局兼村選手の右越本塁打を含め散発5安打で、本塁打の1失点のみで完投した。
 西嶋投手のようなメリハリの利いたピッチングが山本投手には求められるのではないかと思ったのだが…。

          
          ※ 東海大四高のベンチに入れなかった部員がスタンドから懸命に声援しています。

 一方、打線の方は西嶋投手にまったく歯が立たないという状態ではなかった。しかし、連打を許さない西嶋投手につけ入る隙を見いだせなかったということか。
 また、前日の大逆転によって山本投手が失点を重ねても、どこかで逆転できるという思いがあるいはあったのだろうか?

 私が期待する主砲・松田選手は前日の2本塁打で完全に復調したようだ。今日の成績は3打数1安打だったが、凡退した打席も鋭い当たりを連発していたのでもう心配はなさそうだ。
 この大会で札幌日大打線はそのレベルの高さを見せつけたと思う。松田、兼村と続く重量打線は相手にとって相当脅威だろう。ただ、対立命館戦で兼村の後を担い4打数4安打、対創成高戦で本塁打を放った山崎選手が今日の試合でベンチだったのはどうしてだろう?外からは推し量ることができないが、怪我か病気だろうか?大したことがなければ、と思う。

          
          ※ 松田選手の打席です。この回、ライト前に痛烈なヒットを放ちました。

 いずれにしても、打線の方は大丈夫だと思う。問題は一にも、二にも投手陣の奮起につきるように思う。
 また、今日も守備陣(一塁手、捕手)の破たんから、やらずもがなの2点を献上してしまった。守備陣を鍛えることも夏への課題ではないかと思われる。
 夏に向けて、札幌日大高の捲土重来を期待したい!

札幌日大高校野球部2014 Vol.5

2014-05-14 17:02:42 | スポーツ & スポーツ観戦
 胸のすくような逆転劇である。実際に観戦してその感激を味わいたかったなぁ~! 心配していた松田選手も大爆発したようだ!明日の支部代表決定戦がおおいに楽しみだ!! 

 一昨日のブログで記したように、私は今日の札幌日大高 対 札幌厚別高戦を講座受講のため観戦できなかった。
 講座の合間を縫いながらネットで速報される試合経過を追った。

 すると、札幌日大の先発・佐藤投手が乱調だったようで、2回1点、3回5点を献上してしまった。(これには救援した三浦投手の自責点も含まれているかもしれない)
 札幌日大もそれなりに反撃したが、7回を終えて2対8と大量リードを許していた。
 この時点で私は「明日はないな」と諦め始めていた。


 講座を終え家に帰り着き、諦めつつも試合の行方を確認しようと速報を見て驚いた!
 なんと8回に札幌日大打線が火を噴いたようだ。
 不振だった松田選手が4回に続いて、8回にも本塁打を放つという高校生離れの活躍をしたようなのだ!
 8回には松田選手の後を打つ兼村選手も本塁打を放っているので、おそらく連続本塁打だったのではないだろうか?
 そうしてなんと8回に一挙9点を叩き出し、一気に逆転してしまったのだ。

 試合は結局、11対8で札幌日大高が逆転勝利という結果になった。
 札幌厚別高校ナインは無念の思いだろうが、札幌日大高校ナインにとっては歓喜に沸いたことだろう。

 明日の支部代表決定戦は、私が予想したとおり東海大四高との戦いとなった。
 今日、温存した形となったエース山本投手が東海大四高を相手にどのようなピッチングを見せるか?
 また、復活した松田選手のバットが再び火を噴くか?
 興味は尽きない明日の戦いをスタジアムで観戦したいと思っている。

郷原信郎氏が語るコンプライアンスとは?

2014-05-14 16:27:32 | 講演・講義・フォーラム等
 元検事らしい強面の容貌と鋭い目つき、さらに元検事らしい理路整然とした論理の展開は聴いている者を納得させるに十分だった。郷原信郎が語った企業に求められるコンプライアンスとは? 

          

 受講したが長い間レポートできずにいたものがあった。私の理解力不足のため、郷原氏が言わんとすることを咀嚼できずにいたからだ。いつまでも放っておくわけにはいかない。私が理解できた範囲においてレポートすることにした。

 4月25日(金)午後、北海道倶楽部というところが主催する「郷原信郎講演会」がパークホテルであった。
 当初は企業関係者に向けたものであったようだが、座席に余裕ができたのか前日の道新の夕刊に告知が出で、急遽受講することにした。
 講演のテーマは「企業はなぜ危機対応に失敗するのか~環境変化への適応とコンプライアンス~」というものだった。

 郷原氏というと小澤一郎の陸山会事件において、東京地検特捜部の捜査方法を批判する論陣を張った方として記憶に残る方である。また、TBSの不二家捏造問題でTBSの報道姿勢を厳しく問い詰めた方としても有名である。

             

 郷原氏はまず 「コンプライアンスとは、法令遵守ということではなく、組織が社会の要請に応えることである」という持論を披露した。このことは、企業や組織は法令を遵守してさえすれば安泰かというと、そうではないということだ。
 企業や組織が社会に存在し、活動できるのは、社会の要請に応えられているからこそ存在し、活動できているのだという。

 最近組織の不祥事が相次いでいるが、その要因は大きく言って二つあるという。
 一つは、組織が社会的要請に反していることを挙げる。つまり、組織が変質してしまったことによる不祥事だという。
 もう一つは、環境の変化に適応できないために起きている不祥事が多いという。

 そして郷原氏の論は、この環境の変化に不適応の問題に大半の時間を使って言及していった。
 郷原氏は、組織の不祥事が顕在化し始めた時期をバブル経済崩壊以降とし、それから時代を三つに区分した。
 第一期を「バブル経済とその崩壊」、第二期を「21世紀のIT化の急速な発展」、第三期を「東日本大震災・福島原発事故による不連続的変化」とした。

 私たちから見ても、この間の社会の変化は驚くほどであり、まさに変化は加速度的に激変の様相を呈している。
 郷原氏は直接的な言及はしなかったが、企業や組織はその激変に対して生き残りをかけることに精一杯で、不祥事の対応まで手が回っていないということを言いたかったのではないか、と私はとらえた。

 郷原氏は昨年7月以降に相次いで発覚し、社会的に大きな問題となった「カネボウ化粧品の白斑被害」、「JR北海道のさまざまな不祥事」、「みずほ銀行の暴力団員向け融資問題」、「阪急阪神ホテルズの食品偽装問題」などについてマスコミが創り出す「巨大不祥事」について言及した。
 つまり、マスコミは読者や視聴者に理解されやすいように「問題の単純化」を図るという。組織や企業のトップがカメラの前で頭を下げる映像を映し出し、問題を「偽装」・「隠蔽」・「改竄」・「捏造」と決めつけるという。

 例えば、「阪急阪神ホテルズ」の問題に関して郷原氏は次のように解析してみせる。
 食材とメニュー表示の不一致の程度は殆どが軽微なもので、しかも、大部分がホテル内の格安レストランや宴会でのビュッフェ形式の料理の提供の問題であり、メニュー表示によって消費者に誤認を与えた程度は極めて低かったのに、それが「高級ホテルの高級レストラン」での「食材偽装」であり、利用者を欺く許しがたい行為として単純化された。
 軽微であったか、どうかについてはいろいろ見方があろうが、少なくとも当事者としては「食材偽装」という意識はなかったという。しかし、マスコミは会社側の説明には耳を貸さず「食材偽装」と決めつけて報道し、私もそう信じていた節がある。

          

 今回の講演会は組織や企業の担当者向けの講演会だった。そうした意味で郷原氏が強調したかったことは、組織や企業が不祥事を起こさないことが大前提であるが、不幸にもそうした事態を陥ったときのために、クライシスマネジメント(危機管理)とフォメーション(危機に際した体制)を確立することの重要性を強調されたのだと私は受け取った。
 (おそらく郷原氏が言いたかったことの半分もレポートできていないのではという思いが残る。短文の中で彼の言わんとすることをまとめるには私には荷が重すぎた…)

小樽・手宮夜桜ライブ

2014-05-13 21:10:36 | ステージ & エンターテイメント
 夜桜ライブというよりは、アフタヌーンライブといった感じか? 10日(土)小樽まで遠征して、昼下がりから夕暮れにかけて道内外で活躍するミュージシャン8組の熱演を楽しんだ。 

 以前から小樽ではさまざまなミュージックイベントが開催されているなぁ、という思いがあった。ぽっかり空いたスケジュールが私を迷いなく小樽に向かわせた。

          
          ※ ライブのステージとなった境内の石段の上です。

 会場は手宮公園の横に位置する「小樽稲荷神社」の境内である。そこにいたる大変な坂道のことについては5月10日付の拙ブログでレポートした。
 ライブは午後2時、小樽住吉神社の伶人会の6人の皆さんによる雅楽の演奏から始まった。さすがに神社境内でのライブである。雅な響きは神社でのライブに相応しい。今年で8回目の開催ということだが、毎回ライブのオープニング飾っているのが住吉伶人会の雅楽ということだった。

          

 続いて午後3時からは30分刻みで、道内外で活躍するインディーズのミュージシャンたちのライブが繰り広げられた。
 出演したミュージシャンは、順に◆ever green ◆英祐一(THE武田組) ◆nothing ◆谷仁 ◆小松崎健 ◆児玉梨奈 ◆CocoStretch というラインナップだった。

 それぞれの横顔を私なりに紹介すると、ever greenはヴォーカル、ギター、キーボードの男2人、女1人の3人組である。30代後半と見受けたが、グループ名どおりの爽やかポップス系をねらっていると思われるが、ヴォーカルが旬を過ぎている感じで高音に難があった。

          

 英祐一(エースケイチと呼ぶようだ)は往年の三上寛なみの吟遊詩人というか、メッセージシンガーと見受けたが、好き嫌いが激しく分かれるところだろう。

          

 Nothingはヴォーカル、ギター(二人)、パーカッションの4人のバンドである。40代のロックバンドで28年間も活動を続けているというが、こちらもやはり旬を過ぎてしまったバンドという印象だった。

          

 谷仁はすでに50代を超えていると思われるシンガーソングライターである。松山千春ばりの澄み切った高音が魅力だった。美唄在住で、美唄周辺で活動しているシンガーらしい。

          

 小松崎健は私が以前から知っていた唯一のミュージシャンで、中世ヨーロッパを起源とするハンマーダルシマーという楽器を演奏するインスツルメントミュージシャンである。ちょっと異色ではあるが、今回登場した中では最も全国的に活躍している方かもしれない。

          

 児玉莉奈はソロのシンガーソングライターだが、ソロとして活動するには声量にやや難がありそうに思った。若い女性(20代後半?)でかわいい路線をねらっているようにも思えたが…。

          

 最後のCocoStretchは彼らのHPでは4人のグループのように思えたが、登場したのはギター2本の二人組だった。最後に登場したからではないが、私には最もインパクトのあったグループだった。ヴォーカルの伸びやかでクリアの声とギターテクに見るべきものを感じた。

          

 彼らインディーズ系のミュージシャンにとっては、誰もがメジャーデビューに憧れていると思われるが、その可能性を秘めているのは私が見た(聴いた)ところではCocoStretchだけではないかと思えたのだが…。

 夜桜ライブは後半の児玉莉奈、CocoStretchらの登場のあたりから薄暮となり、それらしい雰囲気となってきたが、稲荷神社境内には残念ながらあまり桜の木は見当たらなかった。
 それより、暖かいと思われた気温もじっと座っているには肌寒く、最後にはふるえがきてしまうほどだったのが少し残念だった。

          
          ※ ご覧のように出店などが出ていたが、ステージに注目している人はわずかでした。

 それにしても意外だったのは、聴衆が少なかったことだ。それぞれのミュージシャンの登場によって多少の増減があったようだが、多い時でも関係者を入れて50人もいたろうか?あまりの意外さに、関係者に「聴衆が少ないですね」と声をかけると、「いや、これでも例年よりは多いですよ」とのことだった。
 入場無料のライブであるが、こんな感じでよく8年間も続いたものと思うのだが、「手宮夜桜ライブ実行委員会」のHPによると、出演ミュージシャンは全てノーギャラとのこと。そうした協力と、実行委の熱意がこうした催しを続けさせてきたようだ。

 境内には出店なども出て、手作り感いっぱいのライブである。もっと小樽市民がかけつけても良さそうに思ったのだが…。