田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

スノーシュー in 西岡水源池

2016-01-20 18:39:48 | スノーシュートレック & スノーハイク
 狭い木道をスノーシューで歩くのはかなり難しいことを知った。ストックは突けず、木道の中心を外さないため、私はモデルウォーク(っていう言葉はあるの?)を強いられたのだった。あまりにもスリルがあり過ぎ、私は途中で引き返してしまった…。

          
          ※ 西岡水源池のシンボル(?)の取水塔と氷雪に覆われた水源池です。
 
 本来であるなら、今日(20日)から3日間、私は「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクトの今年第1回目を敢行しているはずだった。今日、明日の宿も予約済みだった。
 しかし、到来した冬型低気圧に恐れをなし、昨日とりあえず本日分の宿をキャンセルし、西岡水源池へ出向いて、雪のコンディションや私の体調(実はちょっと足に故障を持っていた)を確認してから、明日以降の予定を立ててみようと思ったのだ。

          
          ※ 公園内の遊歩道上には写真のような案内標がいたるとこに立てられ迷う心配はありません。

 西岡水源池は我が家から車で約40分、風はやや強いものの雪は降っておらず、まあまあのコンディションだった。
 西岡水源池は明治41年に月寒連隊が水道用に月寒川を堰き止めて作った池で、昭和41年までは市民のための上水道の供給源とされていた。しかしその後は、水源としての利用はなくなり、周辺を自然公園として整備され、今日に至っているようである。

          
          ※ 水源池の北西端から水源池全体を見渡した光景です。

 水源池の周囲が遊歩道として整備されていて、私も夏季に2度ほど水源池の周囲を巡った経験があった。
 自然に恵まれながらも住宅地に近いとあって、私が今日の午後訪れたときには、遊歩道にはすでに何人かの足跡が残っていた。

          
          ※ やはり北西端から取水塔を眺めたところです。

 水源池自体はそれほど大きなものでないため、遊歩道も長いとは言えない。
 私は水源池の北西端から反時計回りに池の周囲を回ることにした。
 といっても、先述したようにコースが短いために、私は池のさらに奥まで進んでみることにした。マップ上でそこは湿地帯となっていた。その湿地帯には木道が敷設されていた。

          
          ※ 北西端をスタとして間もなく、林間コースに導かれます。池とはやや離れます。

          
          ※ 左手に池が見えなくなって、さらにしばらく奥へ進むとご覧のような木道が続きます。

 この木道が曲者だった。
 多くの人が利用するいわば幹線はそれなりに広い木道が用意されているのだが、湿地帯の奥に踏み入るような支線は木道が細くなっていたのだ。
 その幅はヒト一人が通れるくらいの幅(6~70cm?)である。そこに雪がやはり6~70cm積もっているである。中心を踏み外すと足が取られ、雪が崩れるのだ。木道の下1mくらいには、所によって水が顔を出している。
 私はスノーシューを履きながらも、中心を外すまいとモデルウォーク(?)で恐る恐る前へ進んだ。何度か足を取られそうになったが、なんとか堪えていたのだが…。
 しかし、とうとうあるところで遂に踏み外し、転倒してしまった。なんとか水面まで落ちずに済んだが、これはもう引き返すしかあるまいと思い、引き返すことにした。
 実は私はマップに出ていた遊歩道に続く、自然歩道の入口まで行ってみようと奥へ奥へと進んでいたのだ。そこをさらに往くと焼山という小さな山の山頂に繋がっているようだったからだ。

          
          ※ 木道に付いた横の雪を払うと、私の胴体とほぼ同じ幅でした。ここから落ちたら…(冷汗)

 無理はすまいと引き返し、私は水源池の周囲(西岡公園内)をあちこちと歩き回った。
 そして踏み跡以外のところにも立ち入ってみた。すると、先日来降った新雪のためスノーシューを履いていても一歩踏み出すごとに膝頭くらいまで埋まってしまった。
 「これは私の体力では無理だな…」とあきらめざるを得ない状況だった。
 新雪を歩くことはすぐ止めた。そして合計2時間ほど行動してスノーシューを脱いだ。

                
                ※ 樹齢3~400年というミズナラの大木です。

          
          ※ 水際にはこうした東屋の完備しています。

          
          ※ この日唯一出会った同好の士(?)です。

          
          ※ 遊歩道上には「不道明王」と標示された小さな祠も建っていました。

 帰宅して直ぐに、明日の宿のキャンセルを連絡した。そして改めて2月初旬の予約を申し入れたところ、その期間は宿の温泉が工事に入るので入浴できないという。それでは、汗をかくスノーシューの宿には適さない。かといってその宿以外周辺には宿はない。
 私は軌道修正を迫られたことになった。
 さて、どうしよう?戦略の立て直しが迫られました。これからもう一度練り直してみることにするが…。

映画 150 黄金の犬

2016-01-19 21:13:33 | 映画観賞・感想

 1979(昭和54)年制作というから、今から37年前の映画である。スリルとサスペンスを謳った映画かもしれないが、荒唐無稽な陳腐なストーリーに鼻白む思いをしたのは私だけだったろうか?

                  

 めだかの学校の1月の「映画の中の北海道」は、昨日1月18日(月)に開催された。
 取り上げた映画は、冒頭でのロケ地が中標津の原野になったことで取り上げられた作品のようだった。
 原作はハードロマンという作風でスリルとサスペンスが売りの西村寿行氏の同名の小説の映画化である。

 映画は武器輸出に絡む汚職事件を背景に、その秘密を握る主人を失った猟犬の活躍を描くものである。
 しかし、その背景説明が粗雑で、登場人物の関係もいま一つ掴みきれないことなどから、映画の中に入っていけない苛立ちが私の中では続いた。
 その上、むやみに銃を乱射し、簡単に多くの人が死んでいくストーリー展開にも頷けなかった。

               

 出演陣が、鶴田浩二、島田陽子、夏八木勲、地井武男、藤巻潤、森田健作、三谷昇、三田佳子といった錚々たる俳優を並べていたのに、いかにも惜しい感じがする。さらには菅原文太がカメオ的に出演するというサービスまであったのに…。
 唯一の見どころは、後年はTV番組「ちい散歩」などで好々爺を演じていた地井武男が極悪非道の悪役を演じていたことだ。その役がけっこうハマっていたように見えたから意外だった。

               
               ※ 極悪非道な悪役を演じた若き日の地井武男さんです。

 錚々たる出演陣を脇に置き主役を務めるのは題名にも表れているとおり猟犬ゴロである。ゴロは紀州犬だという。紀州犬は鬼神の如き強さをもちながら、獲物を追い詰めても止めればけっしてとどめを刺さないという血統を有する犬だそうだ。
 映画の冒頭、中標津の原野を激走するシーンをあらゆるカットから捉えるシーンが秀逸である。

 それにしてもである。もう少し脚本が整理され、丁寧な映画づくりをしていれば、私の印象も変わったのではないか、と思えるところが残念な映画だった…。


札幌の冬を撮る

2016-01-18 22:50:10 | その他

 昨日(17日)、今日ではない昨日である。函館のsakagさんの「ウォーキングで拾った風景」に触発されて、私もウォーキングをしながら札幌の冬景色を探してみることにした。しかし、付け焼刃的な企みはsakagさんの写真には遠く及ばない凡庸なものばかりとなった…。 

 それでは早速、我が家の傍に立つ道立近代美術館の庭で見た光景から…。

          
          ※ 像の背中に雪が溜まっているのは冬独特の光景でしょう。

 続いて、札幌教育文化会館の庭で見た光景です。

          
          ※ 教育文化会館の前庭にあるモニュメントです。夏だと灰色と赤のですが、今の時期は赤と白とのコントラストです。

 来る「さっぽろ冬まつり」の雪像づくりが始まっていました。

          
          
          ※ 大雪像制作の主力部隊である自衛隊の基礎づくりか始まっていました。

          
          
          

 ※ 雪まつりにおいて自衛隊の制作する数が縮小する中、写真のような平岸高校のデザイン学科の生徒たちが雪像づくりに励んでいました。

 そして、札幌市資料館の裏庭で見かけた光景です。

          
          ※ 沖縄産シーサーが札幌の街を守ってくれているのでしょうか?

          
    ※ もう一つ資料館の裏庭から…。深緑色一色の松の葉は冬の方が白と緑のコントラストに映えるのではないでしょうか?

 さらには、地下鉄駅の周囲で問題になっている光景です。

          
          ※ 雪に埋もれた乗り捨て自転車です。札幌市でも頭を抱える問題です。

 最後は円山公園で見かけた光景です。

                   
 ※ 円山公園の片隅に建立されている岩村通俊像は、ひっそりと建っている感がある。もっと顕彰されてもと思うのだが、肩にかかった雪が彼の不遇を表しているようだ。

 と、それなりに札幌の冬景色を切り取ったように思っているが、なんとなく不十分な思いも残る。やはり大雪が降った後の方が、より冬らしい光景をカメラに収めることができるのだろう…。


子どもの学びを支援する

2016-01-17 21:47:36 | ボランティア
 昔取った杵柄をなんとか子どものために役立てられないものか…。私の中ではずーっと念願としてあった。その念願が、このほど曲がりなりにも実現の一歩を踏み出すことができた! 

 私は数年来、退職組織の「教育情報」という部署を掌っていて、私たちの仲間が道内の各地で子どもたちの教育支援のために活動していることを把握していた。ところが退職者が最も多く集まる札幌においてそうした活動が皆無に近いことを嘆いていた。
 皆無に近いと書いたが、唯一厚別区においては会員の熱心に取り組みで、子どもが集まる児童館において子どもたちの学習を支援する実践が行われていた。

 昨年秋、私が所属する中央区の団体の事務局長役のO氏に「中央区でもできるよ!実現を模索して!」とお願いしておいた。
 すると、昨年暮れにOさんから「○○さん(私の名)できることになったよ!日程はこれこれ、協力をお願いします!」という連絡があった。

 その内容は次のようなものだった。
 1月12、13、14、15日の4日間、緑ヶ丘児童館において、子どもたちの学習時間として設定されている11時~11時50分の間、子どもたちの冬休みの学習を支援する、というものだった。
 私のスケジュールを睨んだところ全4日間の協力は無理だったが、13日、15日の両日応援に駆け付けることを約束した。

 緑ヶ丘児童館は我が家から車で10分ほどのところにある。
 13日、児童館へ行くと多くの子どもたちが児童館に集まっていた。子どもたちはそれぞれ自由に自分の趣向にしたがって児童館内で過ごしていた。
 そして11時、合図と共に子どもたちは学習をする部屋に集まってきた。この日は私を含めて5名の方が子どもの支援のために駆け付けていた。

                                            
 
 子どもたちは学校から出されている宿題や、その他の学習課題をそれぞれ自分のペースで取り組み始めた。子どもたちの姿からは、児童館の約束として学習することが定着しているように見えた。私たちがいることをそれほど気にする様子もなく、淡々と自分の学習に取り組んでいる、といった様子だった。
 私たちはその姿を後ろから見守り、躓いているような子を見かけると、それとなくアドバイスすることに徹した。
 久しぶりに触れた小学生の学習の様子だったが、私が想像していたよりずっと進んだ学習内容だったことに内心驚いた。

 僅か2日間、2時間弱の触れ合いだったが、中には「これ合っていますか?」と聞いてくる子どもがいたり、躓いている子にアドバイスしてあげるとニッコリ微笑み「ありがとう」とお礼をいう子などがいたりと、少しは頼りにされたかな?という思いを抱かせてくれた。

 今回の取り組みはまだ試行的な取り組みである。
 この取り組みについてしっかり振り返り、今後の恒常的な取り組みに繋げていくことができたら、と考えている。
 このようなボランティアこそが、私たちのノウハウを生かす最適の活動なのではと思っている。


AINU CULTURAL FESTIVAL 2015 in SAPPORO

2016-01-16 21:40:45 | ステージ & エンターテイメント
 先住民族アイヌが舞い、踊り、歌う、と銘打った「アイヌ文化フェスティバル2015」が札幌市内で開催され参加した。特にアイヌに伝わる口承文芸、古式舞踊には改めて目から鱗の思いを強くした。 

               
           ※ 会場内は写真撮影がNGのため、この頁の写真は全てウェブ上から拝借しました。


 今日(1月16日)の午後、かでる2・7において表記フェスが開催された。
 プログラムは文化フェスに入る前に「アイヌ文化賞」の贈呈式があり、その後に開会された。「アイヌ文化賞」の存在を初めて知ったが、資料によると2009年からアイヌの文化を伝承等に功労のあった方がたくさん表彰されているようだ。
 今回は1人の文化賞、8人の文化奨励賞の贈呈があった。

 私のお目当ての文化フェスティバルの方は、
 (1)口承文芸の豊岡衣伊さん
 (2)音楽演奏のHEAT VOICE(ヒートボイス)
 (3)アイヌ古式舞踊のアイヌサニケ(+ムックリ演奏)

の3組がステージに登場した。

 豊岡衣伊さんは、今年度のアイヌ語弁論大会 大人の部 口承文芸部門で最優秀賞を受賞された方で、その受賞作品と思われる「カララク・トノ・イ・カ・オピュキ(さきぼそ烏が私を助けた)」を披露した。聴いている私には全く理解できず、まるでフランス語か何かを聴いている気分だったが、豊岡さんは情感たっぷりに見事に口承してみせた。

               
               
 二組目のヒートボイスは二人組ユニットのグループである。
 ヒートボイスの二人はアイヌ人でもなければ、アイヌ民謡を奏でるグループでもなく、いわばチャゲアスのようなハーモニーを聴かせるグループである。
 なのに何故アイヌフェスティバルに招請されたかというと、彼らの作曲・歌による「イランカラプテ~あなたの心に…」という曲が、釧路市阿寒町のイメージソングとして公式採用されたことや、アイヌに関連する曲も含めて釧路地方を取り上げた楽曲を数多く制作していることによるようだ。
 彼らは、上記の曲や「トゥカリック」(まりもを意味するアイヌ語)、「鶴の舞い」など、計8曲を披露してくれた。個人的には最初に歌った「ノスタルジア」が良く聴こえた。
 なかなかの実力派とみたが、写真でもお分かりのように少し年齢がいきすぎて、これから大化けということは考えられないように思われる。地元釧路で地道に活動を続けていくグループなのだろう。

               

 三組目は「アイヌサニケ」というアイヌの若者で結成したグループである。“サニケ” にはアイヌ語として何かの意味があるのだろうが、特に説明はなかった。
 このアイヌ古式舞踊の歌と踊りが良かった。女性が歌う歌は哀愁に満ち、踊りはあくまでも素朴、そこには生きることに精一杯(?)だったアイヌたちが、ひと時を憩うという情感がそこに満ち溢れていたように思えたのだ。

               

 以前、アメリカ西部を旅したとき、インディアンの末裔の歌を聴く機会があった。そのとき私は、彼らの歌声を聴きながらアイヌの人たちの歌を想起していた。彼ら先住民が口ずさむ歌には、どこか通底しているものがあるように思えてならない。

 北海道に生まれ、これまでずーっと北海道で暮らしながら、私のアイヌに対する理解度は恥ずかしいほどに低いものだ。遅きに失した感はあるが、これからでも機会あるごとにアイヌのことについて学んでいきたいと思っている。

試写会 映画 149 俳優 亀岡拓次

2016-01-15 22:43:55 | 映画観賞・感想

 バイプレイヤー(脇役)としての地位を確立した感のある北海道出身で「TEAM NACS」の一員である安田顕が初主演する映画である。ストーリーは現実の安田顕のようにさまざまな脇役をこなす役ということで、安田がさまざまな役に扮するところが映画の一つの魅力でもある。 

               

 試写会行脚第3弾である。(実は、18日の「ザ・ウォーク」の試写会にも当選していたのだが、先にスケジュールが決まっていたため、この日は断念することにした)
 試写会には我が家から会場の「札幌プラザ2・5」まで徒歩で40分くらいかかるが、毎回往復することでけっこうな運動にもなり、一挙両得である。

             
             ※ 映画「俳優 亀岡拓次」の主演の安田顕さんと相手役の麻生久美子さんです。

 さて映画の方だが、リード文でも触れたように亀岡拓次(安田顕)は映画や舞台でさまざまな役をこなし、制作現場からは重宝される役者だが、特に注目を浴びることもなく、酒浸りの生活を続けている。そうした役どころを描いていくのだが、亀岡の現実の生活のシーンと、役者として演ずるシーンが織り交ざって描かれているため、観る方としてはその峻別をしながら観ることを求められる。

            
            ※ 劇中(映画)で亀岡(安田)が演じた数々の役の姿です。

 そこで私が感じたことだが、私のようにふだんTVドラマをほとんど観ないものにとっては、監督が描こうとしていることをいま一つ理解できていないなぁ、と思いながらストーリーの進行を見守らざるを得なかった、というのが偽らざる気持である。

 亀岡がやくざを演ずること、時代劇を演ずること、舞台を演ずること、等々…に脚本家として、監督として、そのシーンをそこにもってきたことに何か隠されたメッセージがあるのでは、と思うのだが、感性がすっかり鈍ってしまっている私にはそこが感じ取れないのだ。

 中年の域に達する亀岡であるが、恋愛話からも遠く、未だ結婚していないのだが、映画の中では実らない恋愛話も織り込まれている。
 亀岡が劇中で演ずる数々のシーンが織り込まれるため、どうも印象が散漫になってしまう嫌いがあったことは否めない。特に、舞台のシーンに込められた意味が私には理解できなかったが、シーンとしては長く私が感じ取れないだけだったようだ。

               
               ※ 映画の中で、脇を固めた名優たちです。

 ということで、私としては「俳優 亀岡拓次」の映画の良さを十分に感じ取れなかったが、
きっと観る人が違えばこの映画の魅力にハマるのではないだろうか、という予感を感ずることはできた。
 また、亀岡(=安田)のさまざまな役を演じ分ける役者達者さは見どころの一つでもある。また、スポットの当たらない脇役ぶりを安田が好演しているのも見どころである。
 う~ん。私の場合はあと2回くらい観ないとその良さに気付かないのかな?


北海道低山紀行 53 盤渓山<冬>(604m)

2016-01-14 21:26:15 | 北海道低山紀行 & Other
 スノーシューの軽い足慣らしに、と出かけた盤渓山だったが、とんでもない見込み違いだった。私程度のレベルの者にとっては十分すぎるほどの登山だった。その上、冬特有の怖さもちょっぴり味わった。 

   
   ※ 盤渓山々頂からの眺めをパノラマ写真に収めたとこです。山並みの向こうが札幌市街(西区方面?)です。

 「石狩川河岸を遡る」プロジェクトを控えて、雪の状態とトレーニングを兼ね、自宅から比較的近い盤渓山に登ってみようと思った。盤渓山は標高も低く(604m)、ガイドブック「スノーハイキング」にも掲載されている山なので、私の中では「それほどでもないだろう」という思いがあった。

 盤渓山の登山口は道々82号線を西野から小林峠に向かう途中に「妙福寺」という看板のあるところから右折して「盤渓市民の森」の駐車場に車を置き、登山を開始する。

          
          ※ 道々82号線に立つ「妙福寺」の大きな看板です。ここから右折します。

          
          ※ 車を停めた「盤渓市民の森」駐車場です。

 駐車場からは妙福寺に通ずる道路を歩くが、10分ほど車道を上ると右に急カーブするところから左手に入山する。この日は先行者の足跡(スノーシュー跡)があり、特に迷うこともなくスノーシュー登山を開始することができた。

          
          ※ 「妙福寺」に通ずる道の途中から山に入ります。(左側)

 私は自分でルートを見つけながら登らなくてはならないかなと考えていたので、先行者が付けてくれたトレースがあることはラッキーだった。
 一方で、登るにつれて、盤渓山を軽く考えていたことが間違いだと気付き始めてもいた。当初はこのブログタイトルも「スノーシュー in 盤渓山」と考えていたが、とてもそんなお気楽なものではなく、本格的な登山を強いられていた。

           
          ※ 登山路のほとんどはこのようにきれいにスノーシューの跡が付いていたのですが…。
   
 登り始めて40分くらい経過した頃だったろうか?地形図で云う最初の標高点を超えたあたりで下山中の二人の女性に出会った。朝早くから登山を楽しんでいたようだ。「私たちがルートをトレースしてあるから大丈夫ですよ」と心強い応援をいただいた。

          
          ※ 強風でスノーシューの跡が消されても、これくらいではなんとか跡を辿れたのですが…。

 ルートはずっと尾根コースだった。天気は晴れていたが、尾根上は強い風が吹いて、前夜降った雪が舞っていた。そうすると、スノーシューの跡が瞬く間に埋まってしまうのだ。
跡が埋まりつつも、なんとかその先の跡を見つけながら徐々に、徐々に高度を稼いだ。

 そうして何度目かの標高点に至ったときだった。スノーシューの跡がまったく見当たらなくなってしまった。これには私も戸惑った。というのも、初めからルートを見つけながらの登山ならその用意があったかもしれないが、すっかり先行者の跡を辿ることに頼り切っていた私は急に切り替えることもできず立ち止まるばかりだった。

          
          ※ 中腹にいたり目ざす盤渓山の山頂が樹間から望めるようになってきました。

          
          ※ ところがスノーシューの跡がまったく見えくなって、立ち往生してしまいました。

 「これは引き返すしかないかな?」と思い始めていた時、後続の若いグループがやってきた。彼らは経験者のようだった。窮地を脱した私は彼らについて登山を続けた。
 尾根コースを登る登山ルートは低山にしては急角度で高度を上げていくルートだった。特に山頂付近はストックだけでは支えきれず、周りの立木を利用しながらなんとか登りきった。

          
          ※ 窮地に陥っていた私を経験者が助けてくれました。先を往くのが助けてくれた彼らです。

 途中、立ち止まったこともあり、登山の所要時間は標準時間を大幅に超過する2時間を要した。
 山頂は低山にも関わらず、360度視界が効く素晴らしい眺めだった。ところが風が強い!ゆっくりと温かい紅茶などを楽しむ余裕はなかった。写真だけを撮り、早々に下山を開始した。

          
          ※ 先行者たちが頂上に立っています。強風で雪庇が見事に発達しています。

          
          ※ 盤渓山々頂の素朴な山頂標識です。

          
          ※ 山頂からの写真をもう一枚。一番高いところは藻岩山々頂です。

 ところで雪の状態だが、やはり今の時期は粉雪状態で、処女雪の場合はかなり沈み込んでしまう。「石狩川河岸を遡る」場合は、誰も足を踏み入れていないところを歩くことになる。これは早まらずに、雪面が固くなる2月まで待った方が良いかも、と思い始めている。
 う~む。悩むところである。

【盤谷山(スノーシュー) データー】
標 高  604m
駐車場  「盤渓市民の森」駐車場に5~6台ほど停められるスペース有り。
行 程  登山口(市民の森駐車場)→(120分)→盤渓山々頂
時 間  登山(120分)下山(45分)
天 候  晴、強風
登山日  ‘16/1/14

試写会 映画 148 白鯨との闘い

2016-01-13 22:25:36 | 映画観賞・感想

 体長30メートルを超すという伝説の白い巨鯨が捕鯨船を破壊するシーンは圧倒的な迫力で迫ってきた。3D映像がその迫力を一層増して私に迫ってきた。遭難した船員たちは大海を絶望的な思いで漂流する。果たして彼らの運命は?不朽の名作『白鯨』の陰に隠された真実が明らかになる…。 

               

 連日の試写会、本日(13日)はその第2弾である。
 HTB提供の試写会「白鯨との闘い」は本夕、18時30分から札幌プラザ2・5で上映された。

 映画は『白鯨』のメルヴィルが、捕鯨船の船員で最も若かった生き残りのトムから聞き書きする形を取りながら進行する。

 物語は1819年、当時はまだ石油が発見されていなく、鯨から採れる鯨油は貴重品だった。そのため一攫千金を夢見る海の男たちは、危険を顧みることなく小さな(当時としては大きかったかもしれないが)捕鯨船に乗り込み、遠洋に出かけていった。
 当時の捕鯨は、帆船である母船でさえ30メートル足らず、鯨を捉えるには4~5人乗りの手漕ぎのキャッチャーボートに乗り込み、銛で鯨を打つという原始的な方法である。普通のサイズの鯨でも捕えるのは命がけである。

            

 そのような中で、常識外の巨鯨(白鯨)が彼らの前に出現したのである。
 キャッチャーボートなど論外である。いとも簡単に船員たちは海に投げ出されたが、なんとか母船に戻ることができた。
 しかし、白鯨は執拗に母船までも攻めてきた。そこで怒りに燃えた一等航海士のオーウェンは銛を白鯨に打ち込んだ。しかし、そのことによって白鯨は母船さえも破壊し、海に沈めてしまったのだ。このシーンの映像は本当に迫力満点だった。

 母船を失い、仲間を失った船員たちは、かろうじて残ったキャッチャーボートに乗り、大西洋の海原を絶望的に、漂流を続けるのである。この漂流において、小説『白鯨』では描かれなかった隠された真実があった…。(その部分はネタバレになるので映画に譲ることにする)

             
             ※ 主演の一等航海士を演ずるクリス・ヘムズワースです。

 鯨、しかも捕鯨ということになると、日本人としてややナーバスになる話題である。映画においては鯨の肉はまったく一顧だにされていないようだ。ひたすら鯨油のみを彼らは目当てにしていた。このあたりの時代背景も興味深い。

 ともかく、常識外の巨鯨(マッコウグジラということだ)が画面いっぱいに暴れるさまは迫力満点である。映画館の大画面で体感されることをお勧めする。
 1月16日(土)から一般公開とのことだ。2D、3D同時公開だというが、どちらでも十分に迫力を楽しめるだろう。


試写会 映画 147 シーズンズ

2016-01-12 22:11:34 | 映画観賞・感想

 謳い文句は「ネイチャードキュメンタリー」。野生に生きる生物たちと人間の共生を訴えながら、エンターテイメントにも耐えうる仕上がりとした映画と受け止めた。迫力ある野生動物たちが闘うシーンの連続が見ものである。 

               

 今年は年明け早々、試写会の当選が相次いだ。ここ数日、試写会行脚が続く。
 その第一弾として今週末(15日)封切の「シーズンズ ~2万年の地球紀行」を今夜(13日)観てきた。
 映画は地球上のさまざまな生物(オオカミ、野生馬、バイソン、等々)の生態を活写するシーンが連続するのだが、そのことに地球の最後の氷河期を終えてから現在までの2万年の営みを、ストーリー性を織り込みながら描いた作品である。

          

 そのストーリー性とは、氷河期を耐え抜いた生物たちが、氷河期が明け野生生物たちが地球を謳歌していた時代から、やがて人間が森林を伐採して農地を開発し始めることによって、野生生物の生息地が次第に狭まっている。そうした現実に目を向け、人間も野生生物も同じ地球の住人の一人(一匹)であることを再確認し、共に生きていくことの大切さを訴えるストーリーとなっている。

 見どころは、何といっても野生生物たちが闘うシーンの活写である。メスを巡る野生馬やヒグマ、バイソンたちのオス同士の闘い、野生馬の疾走シーン、オオカミたちがイノシシたちを追いかけるシーン、等々。
 監督のジャック・ぺランが前々作「WATARIDORI」で開発したウルトラライトプレーンを駆使することによって、鳥たちと一緒に大空を遊泳するかのようなシーンはもちろん織り込まれているが、本作においては無音電動バギーなどさまざまな機器を開発し、オオカミや野生馬、イノシシたちが森林を疾走するシーンに肉薄し、共に大地を駆け巡るシーンが圧巻である。

     
     ※ 圧巻のオオカミたちの疾走シーンです。

 ところで、本作において日本版ナレーションを笑福亭鶴瓶と木村文乃が担当している。木村はまあヨシとしても、特徴のある声の持ち主である鶴瓶の起用はどうだったのだろう?私は鶴瓶を別に嫌いということではないが、本作での起用には?(クエッション)を付けたいと思うのだが、どうなのだろうか?

               

 さて、本作の主題について考えてみる。
 近頃、「サスティナビリティ(sustainability)」という言葉がかなり一般化してきたことからも、地球にこれ以上の負荷はかけられない。あらゆる生物たちが生息可能な地球(生物多様化)にしていかねばならない、という空気が醸成されてきているよう思える。
 しかし、一方ではCOP21に見られるように、後進国においてはこれまで地球に負荷をかけ続けてきたのは先進国諸国ではないか、との指摘もあって地球全体が足並みを揃えるにはまだまだ克服しなければならない問題も横たわっている。

 だからこの映画が無意味だと云っているのではない。
 こうした映画を通して、私たちの住む地球のことを考え、「サスティナビリティ」のことについて考えるキッカケになるとしたら、製作者の思いは十分に達せられるのではないか、とも思う。

 迫力ある野生生物たちの生きざまをぜひとも大画面で堪能してみてほしいと思う。


初笑い 枝光 & 方正

2016-01-11 16:34:46 | ステージ & エンターテイメント
 10日(日)、2年ぶりに「シアターZOO寄席」を楽しんだ。変わらずに若々しく、勢いのある桂枝光師匠と、人気者の月亭方正の落語に会場いっぱいの観客とおおいに笑わせてもらった。

               

 北海道を拠点に活動を続ける桂枝光師匠が、例年お正月にはシアターZOOを会場に寄席を開いている。私は一昨年に続き、昼の部(午後1時45分開演)の「初笑い寄席」に出かけた。
 会場は老若男女、広い客層で満員の状況だった。(会場のキャパは120名くらい?)

 出演と演目は次の通りだった。

 ◇藤花亭梅殊  「初天神」
 ◇桂 枝光   創作落語「今どきのおばあちゃん」
 ◇月亭方正   「手水廻し」
 ◇桂 枝光   「千早振る」


 最初の演者である藤花亭梅殊は、札幌で活動するアマチュアの落語家だということだ。若々しい表情、語りが爽やかだった。演目の「初天神」は以前に枝光師匠でも聴いたことがあるが、そこにはプロとアマの差はあったが、なかなかの実力者と見た。

            

 続いて登場した枝光師匠は、得意の小ネタ満載で現代風俗を風刺した噺で会場を笑いに包んだ。枝光師匠の場合は古典落語を演ずる際のまくらの部分でも大いに笑わせてくれるが、日頃から人々の様子をよく観察していることがうかがえた。

 そして今回のゲストである月亭方正である。彼はご存じの方も多いと思うが、テレビ芸人で売り出した山崎邦正である。彼は2008年頃から落語家を志し、現在は住まいも大阪に移し、本格的に落語活動に打ち込み、芸名も正式に月亭方正を名乗っているという。
 私は彼がまた本格的に落語に取り組む前の5年ほど前に彼の落語を聴いたことがあった。その際に、滑舌の良さを感じて落語家としての将来性のようなものを感じていた。
 今回の「手水廻し」は、確か5年ほど前と同じ演目ではなかったかと記憶する。「ちょうず」の独特の発音が記憶に残っていたからだ。おそらく、彼にとっては十八番の一つなのかもしれない。今回もその「ちょうず」の発音に大いに笑わされた。

               

 トリはもちろん枝光師匠だったが、お正月ということもあり小倉百人一首ネタの「千早振る」を演じてくれた。いつも指摘する彼の発音は気になるところはあったが、いつもほどには感じず笑わせてもらった。

           

 今年は枝光師匠が活動の拠点を北海道に移してから25周年だそうだ。彼が北海道に落語(特に上方落語)の文化を定着させた功績は大きいものがあると思う。
 問題は彼に続く落語家が現れないことだ。彼も今年57歳になるようである。後継になるような方が育っているのだろうか?せっかく根付きつつある北海道の落語文化の灯を絶やさないようにしてもらいたいものである。