田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

初学び 北大博物館セミナー

2016-01-10 20:07:58 | 大学公開講座
 今年の初学びは、9日(土)に開講した北大総合博物館が主催する「土曜市民セミナー」だった。難解な話に懸命に耳を傾けたのだが、理解度は果たして?? 

               

 昨年の7月から毎月1度、土曜日に開講している「土曜市民セミナー」も今回で第7回目となった。7回目の今回は「日本海は進化のゆりかご ~海藻と貝形虫~」と題して、北大博物館講師の阿部剛史氏が講師を務めた。

 阿部氏の専門は「海藻系統分類学」だという。この学問は「海洋天然物化学」に通ずるものだそうだ。
 そもそも「天然物化学」とは、生物が産生する物質(天然物と呼ばれる)を扱う有機化学の一分野で、天然物の単離、構造決定、合成を扱うことだという。
 ちなみに、昨年ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智北里大学特別栄誉教授は、この分野で新しい微生物(アベルメクチン)を発見し、それから抗寄生虫薬を開発したことがノーベル賞受賞に繋がったと講師の阿部氏は解説してくれた。

          
          ※ 講義をする阿部剛史講師です。

 阿部氏の研究する「海藻系統分類学」というのは、天然物化学の中でも「海洋天然物化学」の分野に属する研究だと説明された。
 ただ、阿部氏の場合はあくまで種を分類することが主たる研究で、それらの物質から新たな化合物などを創り出すということには興味を抱いてはいないようだった。

 さて、ここからが私にはいま一つ理解度が深まらなかった点であるが、つまり阿部氏が研究対象エリアとする日本海がなぜ進化のゆりかごなのか、といういわば主題についてである。
 私が理解した範囲で記せば、氏の研究対象としている海藻の「ウラゾソ」は日本海各地に生息しているという。しかし、地域によってその形状などに違いがあり一見別種のようであるという。しかし、遺伝子を調べてみると同じ物である場合があるそうだ。これは、地球が氷河期を繰り返す中で、小さな海域に閉じ込められて独自の進化をして別種のように見えるものがあるという。この場合は、種としては別種としては取り扱わず、品種の違いとして分類するそうだ。

            
            ※ 阿部氏が研究対象とする海藻の一種ウラゾソです。

 つまり、阿部氏が本講座で言いたかったことを、私なりにかなり大胆に解釈すると、日本海のような海域において幾度かの氷河期を経ることによって、海域によって海が閉ざされ同じ種でも独自の進化をしていることが判明している、と言いたかったのではないかと私は解釈した。
 そのことは貝形虫(カイミジンコと称される動物プランクトンの一種)についても同じことが言えるとした。

 さあ、これで阿部氏の言いたかったことの何分の一をレポートできたのだろうか?まったく自信はない。素養に乏しい私には毎回が頭の体操である。

 今回、徒歩で往復し、講義時間も含めて4時間を要して、道民カレッジの〈教養〉コース1単位をいただいてきた。私にとって貴重な1単位である。
 今年の初学びであったが、今年もこうして難解な講座、そうでない講座、さまざまであるが、機会ある度に受講し“雑学”の幅を広げたいと思っている。

冬の豊平川河畔を遡る 20

2016-01-09 23:10:26 | 冬の豊平川河岸遡行スノーシュートレッキング

定山渓自然の村 ⇒ 豊平峡ダム 

 定山渓自然の村を後にした私はいよいよ豊平峡の奥深くに踏み入った。V字峡の谷はいよいよ深く、はるか下方に眺めるだけだった。そしていよいよ豊平峡ダムに近づいた…。 

 「定山渓自然の村」はかなり大きな敷地に広がっていた。敷地の外側を歩いたのだが、次々といろいろな施設が散在しているようだった。

          
          ※ 定山渓自然の村には、こうした施設がいたるとこに建てられていました。

 一つ私が肝心なことをレポートしていないことに気付いた。私が豊平川沿いを歩いたのは、ずーっと右岸を歩いていたのである。つまり、私は絶えず右手に豊平渓谷を見ながら歩いていたのだ。(豊平川全体で見ると、河口からずっと私は左岸を歩いた上流を目ざしていたが、河岸の状況から藤野の白川橋あたりから右岸の切り替えている)
 したがって、私は豊平川を絶えず右手に見ながら歩いたということである。

          
          ※ 自然の村近くの右手に見えた豊平川の流れです。もう川と認めるのが難しくなっていますね。

 自然の村を後にしてどれくらい経ったころだったろうか?左手から豊平川に流れ込む谷が現れ前進を阻まれた。しかたなく、左手上方に上がり谷を乗り越えるポイントを探そうと思った。
 上の方へ上がっていくと、そこに雪は被っているけれど道路状のところが現れた。半信半疑にそこを進むうちに「ここは豊平峡ダムの建設の際の作業道路ではなかったのか!」との思いに至った。
 実際、その道路状の平らな部分はその後も続いた。
 しかし、豊平峡谷も奥深く踏み入ったこともあって、積雪が一段と多くなっていた。私のスノーシューは踏み出すごとに私の膝頭近くまで埋めるようになった。

 困難なラッセルに私の前進は20歩と続かず、休み休みの前進となった。
 そんな前進を続けているときだった。何かがピカッと光った。一瞬たじろいだが、落ち着いて見ると、それはクマなどが通過したときに自動記録する観察装置のようだった。おそらく研究用のものと思われるが、私はクマと間違えられたのだろうか?

          
          ※ ヒグマの観察装置かと思われる自動の撮影装置が私を捉えてピカッと光りました。

 私が歩いていた作業用道路(?)は現在使われていないのだろう。途中に倒木が往く手を遮っているところが何ヵ所かあった。しかし、それも私の前進を阻めるほどのものではなかった。最終盤に現れた倒木とは違って…。

          
          ※ こうした倒木がいたるところで私の前進を困難としました。それでもこれは後半のに比べれば…。

 困難なラッセルを続けること1時間20分。周囲に相応しくない表示板が現れた。そのには「定山渓自然の村」と「ダムサイト園地」への案内板だった。私の読みどおり、作業用に利用された道路が遊歩道のような役割をしているようだった。(ただし、現在は崩落などの危険もあり通行禁止の措置がとられているとか…)

          
          ※ 私はここから右手の谷に降りて行ったのですが…。案内板から雪の深さを想像してください。

 ここで私は一瞬迷った。というのも案内板どおりに進むと、豊平峡ダムの上部にでることになる。しかし、私が目的としたところはダムの下部から見上げてみたいとものだった。その案内板のところから下のほうへ行けそうなところが見えたのだ。
 一瞬迷ったが、ダムを目前にして最終目的地を変えるわけにはいかない。私は旧遊歩道を外れ、ダム下部を目ざしてラッセルを続けた。

          
          ※ 林間から微かに豊平峡ダムの本体が見えます。私が最初に認めることができたものです。

 木の間からダムの姿も確認できるようになってきた。大きな躯体である。私の目線のはるか上にダムの上部が見える。
 分岐点から30分も進んだろうか。前にトンネル状の物が見えた。トンネル状の物の横は切り立った崖である。ところがトンネルとなっているところには柵が巡らされており、「この先へ行くことは禁ずる」という旨の表示があった。
 管理者の指示を無視するほどの“若さ”も“無謀さ”も持ち合わせてはいなかった。残念ながら指示には従わざるを得ない。私は来たところを分岐点まで引き返した。

          
          ※ 左手にトンネルの穴、右手は絶壁です。そしてトンネルの穴の中には…。

          
          ※ トンネルの穴の中には柵があって、そこには無情な注意書きが…。

          
          ※ その地点から谷あいを流れる豊平川の最後の流れの様子です。

 ダムの最も下部から見上げたいという思いは叶わなかったのだから、あとはダム園地を目ざして旧遊歩道のラッセルを続けるだけだった。ところがこれが…。
 ダム園地を目ざしてのラッセルは、困難を極めた。上りに加えて、ますます深くなった雪、疲労した私の身体のために2~3歩進んでは一呼吸入れるほどにスピード落ちた。幸い時計はまだ13時30分を回ったあたりで時間的な焦りがなかった。

          
          ※ 旧遊歩道に戻り、この日最も豊平峡ダムが見えた地点からの一枚です。

 そしてこの日最大のピンチが訪れた!
 なあ~んと、遊歩道を覆い尽くすように大木が倒れていたのだ。おそらくエゾ松ではと思われるのだが、枝が密生していて潜り抜けることはできそうもなかった。そして迂回しようにも左手は崖が切り立ち、右手は鋭く崖が切り落ちている。
 高さ3メートルになろうかという倒木を乗り越えるしかない。しかし、私の見方では雪を被って大きく見えるが、それらのほとんどは松の枝と思われた。そんなところで足を踏み外したら…、そう思うと足が震えた。
 おそる、おそる…。手足を使い、慎重に、慎重に…。時間も相当にかかったのではないか。なんとかクリアすることができた。
 ※ 痛恨のミスです。どれだけ困難な倒木だったか、写真に収めるのを忘れました。どう乗り越えるか、そのことだけで必死だったのですね。
          

          
          ※ 旧遊歩道の途中にあったトンネルですが、ここももちろん通過しました。

 その後も深雪ラッセルは続いた。谷を大きく迂回するような旧遊歩道はなかなか前に進んでくれない。
 分岐のところからラッセルすること50分、14時20分に旧遊歩道が繋がる冷水トンネルの入口に着いた。
 そこからダムの上部のところまでは500m程度だったが、私にはもう目的を達成したとの思いがあったので、そこからダムへは向かわず、スノーシューを脱いだ。
 そこからは約6キロの道路を、車を駐車した定山渓の駐車帯まで歩いて引き返したのだった。駐車場に着いたとき、時計は15時35分を指していた。

          
          ※ 冷水トンネルの袂、今日のスノーシートレッキングを終了しました。

          
          ※ かなり長く追われた冷水トンネル内です。

 こうして私の長い長い「冬の豊平川河畔を遡る」旅は終結を迎えたのだが、特に今年に入って取り組んだ定山渓大橋から豊平峡ダムに至るルートは私の想像をはるかに超える困難なものとなった。№18に「私は豊平川峡谷を甘く見ていたようだ」と記したが、まさにその通りだった。
 私のスノーシューに取り組む趣旨はもっともっと楽しいもの、と考えている。ただ、今回は一度取り組み始めたものを途中で投げ出したくはない、という思いが私は最終ゴール地点まで導いてくれた。

          
          ※ ウェブ上から拝借した写真です。私はこの角度から豊平峡ダムを見たいと思ったのですが…。

 今回の豊平川遡行を、私は「冬の石狩川河岸を遡る」ためのトレーニングと位置づけていたが、トレーニングどころではなかった。石狩川よりはるかに難しく、過酷だった。石狩川はこれまでの経験から、豊平川のように難しくはないと思っている。問題は距離だけである。 体力をつけるということに関して今回は多少のトレーニングにはなったかな、と思っている。
 さて、石狩川を何時にしょうか?思案中である。1月中は雪面が柔らかすぎて、スノーシューが埋まるため難しいかな?と考えているのだが…。

               
          ※ 同じくウェブ上の写真ですが、私は写真の右手に見える岩盤のところあたりまで辿り着いたと思われます。


冬の豊平川河畔を遡る 19

2016-01-08 19:10:33 | 冬の豊平川河岸遡行スノーシュートレッキング

新豊橋 ⇒ 定山渓自然の村 

 雪原にスノーシューを踏みだした私だったが、豊平川の上流は私の想像を超える険しさだった。奥に踏み入るごとに、そのV字谷は深く切れ込み、川辺へ近づこうとする私をせせら笑うかのように遠ざけるのだった…。 

 前回(1月5日)の遅出を反省した私は、今回7時30分に自宅を出発した。およそ1時間かかり定山渓市街地の外れ(中山峠側)の駐車帯に着いた。
 準備、用便を済ませ、スノーシューを着けずに「新豊橋」脇まで移動し、そこでスノーシューを着けて8時55分、雪原に踏み出した。2日前に来たときのスノーシューの跡がわずかに認められるが、その後も雪が降り続いていたことを示していた。
スノーシューを踏みだすと、軽く30cmくらいは埋まりながら進まねばならなかった。

          
          ※ 定山渓市街地の西はずれにある駐車帯です。トイレ、休憩室完備です。

          
          ※ 遠くに「新豊橋」の表示が見えます。手前に私が2日前に歩いたスノーシューの跡が薄く見えます。

 新豊橋の辺りは川辺に近づくことができないため、崖になった上部を移動していった。スタートから15分後、豊平川にかかる橋が見えた。この橋は地図上でも確認できる橋で、たまたま近くに住民がいたので、橋の名を聞くと「豊橋」だと教えてくれた。
 ということは橋としては小さくとも「新豊橋」の兄貴分ということなのだろうか?
  
          
          ※ トレッキングの始まりに、こんな斜面を転げ落ちる洗礼を受けました。

          
          ※ 「新豊橋」からそう遠く離れていないところに「豊橋」がありました。

 「豊橋」を超えてしばらくは豊平川へ鋭く切れ込んだ崖の上を歩いた。しかし、私は川辺を歩くことを今回のコンセプトとしている。どこか川辺に下りるところはないかと探しながらのスノーシュートレッキングが続いた。
 すると、一ヵ所だけ川辺へ通じるような下り口が現れた。私は迷わずそちらへ歩を進めた。

 川辺に下りた私に姿を見せた豊平川は静かに佇んでいるようだった。上流に来たという証しだろうか?川中に大きな石がゴロンゴロンと転がっていて、そこに雪が積もっている。
 そんな静かな豊平川沿いを上流に向けて歩を進めたが、間もなく私の前進を阻むように水面が現れた。状況を良く観察してみると、どうやら小さな流れが豊平川に注いでいて、そこを乗り越えていくのは危険だと感じられた。
 私は地図上で確認したときは、一ヵ所だけ豊平川に注ぐ流れがあるので、そこは迂回しなければと思っていたが、どうやら豊平川にはそれ以外にも小さな流れはいくつも存在しているようだった。

          
          ※ 川辺まで下りると、写真のような素晴らしい光景が広がっていました。


          
          ※ でも少し進むと、このようにどこに落とし穴があるか分からない危険な状況になってきました。
          

 前進を阻まれた私は崖の上部に避難しなければならない。しかし、崖が急なため避難できそうなところが簡単には見つからないのだ。あちこちと探すうちに一ヵ所だけ何とかなりそうなところを見つけた。しかし、雪が深いためにストックの助けだけではずり落ちてしまい、もんどりうって雪の中に転がった。
 窮地を脱してくれたのは、崖のような斜面にもけなげに生えている小さな木だった。私は小枝にもたれかかりながら、一歩一歩上がり続けた。高低差20mもあったろうか、私はようやくのことで崖上に出ることができた。

          
          ※ この斜面は私が上った斜面かどうか記憶がはっきりしないのですが同じような斜面をよじ登りました。

 崖の上に出ることができた私は、「もうこんな苦労はしたくない」と思いながら、崖上から豊平川が望められるところを歩き続けた。途中、2ヵ所ほど豊平川に向って谷が大きく切れ込んでいるところがあり、そこは橋の架かっている道路まで迂回した。

          
          ※ 崖上に出た私のスノーシュートレッキングで進んだ跡です。

 そうしたことを続けているうちに、先ほどの苦労を忘れたかのように「やはり川辺に出たい」という思いが私の中に芽生えてきた。
すると、またまた一ヵ所、川辺に下りられそうなところが目に入った。どうしようかな?と思いつつ、足はそちらを向いていた。
 再び川辺まで下りることができた。しかし、今度は慎重に川辺から付かず離れずの距離をとりながら前へ進んだ。だからといって自然は許してはくれない。とうとうまた私は前進を阻まれた。
 さあ、今度はどうしよう?と思案をしていたところ、崖の上から水が流れて雪が薄くなっているところがあった。足元が水に濡れる心配があったが、ひっかかりがあるので何とかなるのではと考えのだ。その読みは正解だった。実はその部分は何の動物か分からないが動物たちもその斜面を上っているようだった。
 私は獣道を辿りながら、再度窮地を脱したのだった。
 その際に気付いたのだが、その獣道を辿ったときに強烈な獣臭が漂っていたのだ。彼らは雪の上にも自らの臭いを残しながら移動するのだろうか?        

          
          ※ 崖上の所々にこうしたテープがぶら下がっていました。遠くからはテープの先に何か説明が書か
           れてあるものと、期待したのですが単にテープに雪が纏わり付いただけののでした。

 二度の窮地に私は懲りた。それからはもう二度と川辺に下りようとは思わなかった。川は上流になるに従い、V字峡谷の様相をますます示し始めていたのだった。その深さは、私の恐怖心も加わってはいるが30~50mくらいはあったのではないか?

          
          ※ 崖上から豊平川の流れを覗いたところです。

 私は深雪のラッセル、そして二度の崖登りの格闘でかなり疲労をおぼえるようになっていた。進むスピードががくんと落ちた。スピードは落ちても、この日は早い時間にスタートしたので、時間は気にならなかった。
 崖の上の切り落ちているところには何の動物かは判然としないが、足跡がずーっと続いていて、私もその跡を辿るように歩を前へ進めた。

          
          ※ この跡は私のスノーシューの跡ではありせん。動物が通った跡です。(何でしょうね?)

 すると、遠くから人の声が聞こえてきた。
 行く先にある「定山渓自然の村」で学習している子どもたちの声だった。

          
          ※ 雪原の中に突如現れた自然の村の宿泊施設です。煙突からは煙が出ていた?

 どうやら私はこの日の行程の中間地点となる「定山渓自然の村」の端の地点に到達したようだった。
 時計を見ると11時40分、私は昼食休憩をとることにした。昼食と云っても立ったまま、ミニのカップラーメンに熱湯(ステンレスボトルにタオルを巻きつけ保温したもの)を注いだものである。
 ここで私は温かいカップラーメンを頬張り、午後の行動に備えたのだった。

(後半の様子は明日レポートします)



冬の豊平川河畔を遡る 18

2016-01-07 19:16:41 | 冬の豊平川河岸遡行スノーシュートレッキング

新豊橋 ⇒ 豊平峡ダム 

 妻は年寄りのプチ冒険と揶揄するが、私にはマジ冒険だった。崖をよじ登り、雪に隠れた小川を飛び越え、おまけに深雪である。心底疲労困憊である。私は豊平川峡谷を甘く見ていたようだ…。 

          
       ※ 豊平川から豊平峡ダム(右側)に最も近づいた一枚です。左側トンネルに「この先には行けません」という掲示があった。

 「鉄は熱いうちに打て」という例えが、私のスノーシューに当てはまるがどうか分からないが、「ゴールが直ぐ近く」という思いが、一昨日に続いて定山渓に向かわせた。
 直線距離にして約3キロ、「まあ、なんとかなるだろう」という私の甘い考えはもろくも打ち砕かれた。

 豊平峡ダムからの帰路も含めて、雪と格闘すること6時間50分。なんとか目的の豊平峡ダムの下には着くことができたけど、私は身も心も疲労困憊である。
 とても詳しいレポートを綴る気力が起きない。
 本日はこれで失礼して、明日・明後日に詳しくレポートすることにする。


冬の豊平川河畔を遡る 17

2016-01-06 16:41:15 | 冬の豊平川河岸遡行スノーシュートレッキング

二見吊橋 ⇒ 新豊橋 

 豊平川上流のイレギュラーな河岸は私をスムーズには前へ進めてくれなかった。スノーシューの醍醐味を味わえるのはほんの少しだけで、さまざまな難関が私を待ち構えていた。それでもなんとかこの日の目標地点までは到達することができた。 

 「二見吊橋」を渡ることができず、「月見橋」まで戻った私は、結局川沿いを歩く道を閉ざされ、国道230号線に出ざるを得なかった。
 国道の歩道を、スノーシューを片手に歩く姿はお世辞にも格好良いとはいえなかったが仕方がない。
 私は昨年末に下見で確認していた、定山渓温泉の最奥部にかかる「いこい橋」を目ざした。定山渓小学校を通り過ぎたところに「いこい橋」に下るルートがあるのだが、踏み跡は皆無だったが下見をしていたおかげで無事に「いこい橋」に到達することができた。

          
          ※ すっぽりと雪に覆われた中に「いこい橋」はありました。

 「いこい橋」から上流にはホテルや民家などはなく、いわば自然のままの豊平川が流れている。川沿いには歩くルートが見つけられず、いわゆる崖の上の部分を歩かねばならなかった。灌木の間を縫うように歩くスノーシューは昨年、一昨年の石狩川沿いを歩く気分だった。とは言っても、平坦ではなく絶えず上り下りを強いられた。
 13時を過ぎていたので樹間で立ったまま菓子パンを温かい紅茶で流し込んだ。

          
          ※ 「いこい橋」の上流はこのような灌木の間を縫って進みました。

          
          ※ 灌木の間から見えた豊平川です。水面は凍っていました。

          
          ※ 灌木の中にはこのような歓迎(?)アーチ風のところもあり、和ませてくれました。

 途中で一ヵ所だけ川岸に下りられるところがあった。川岸まで下りてみると、流れの緩やかなところでは川の水が凍り、流れの速いところは凍らずに水の流れを見せていた。
 その流れの中で、雪の季節ならではの面白い光景に出会った。
 しばらく川沿いを進んだが、やがて川沿いを進むルートは崖で遮られ、崖上に出なければならなかった。

          
          ※ 川岸まで下りられたところですが、豊平川は手前から左側に直角に折れ曲がっていました。

          
          ※ この不思議な光景は雪の季節ならではの光景です。ちょっと幻想的ですよね。

          
          ※ この写真がこの日のベストショットではと思うのですが、どうでしょうか?

          
          ※ ここから先は川岸を進めず、止むなく崖上に上がらざるを得ませんでした。

          
          ※ 崖上へ上がろうとしてルートを探しているとき、獣たちの崖上へ上がるルートを見つけ、そこを辿りました。

 そこで目にしたのは網状の塀に囲まれた北海道電力の施設だった。何の施設なのか判別はつかなかったが、崖を背にして建てられているので、そこを巻いて進むより方法がなかった。さらに進むともう一ヵ所、やはり豊平川沿いの崖上に北電の施設があり、豊平川に近づくことはできなかった。

          
          ※ 崖上に無事上がった後の見た豊平川の流れです。

          
          ※ 行く先にこのような施設が2ヶ所あり、私はスノーシュー脱いで、道路に上がらざるを得なくなりました。

 またしても国道230号線に押し上げられ、私はスノーシューを脱がざるを得ない羽目になった。そこからは国道を歩いて「新豊橋」を目ざした。
 その間、およそ500m。豊平川を跨ぐ新豊橋は想像していたより立派なコンクリート橋だった。また、そこに見えた豊平川もかなり上流にいたっているにも関わらず、かなりの大きさの川に映った。

          
          ※ 国道に架かる「新豊橋」は想像以上に大きく立派な橋でした。
          
          
          ※ 「新豊橋」の横から上流を見たところです。次回はここがスタート地点となります。
          
 この日(1月5日)は、豊平川の距離にしてわずか 3キロ弱、そこを進むのに4時間弱を要した。この間のルートがいかに困難なルートだったかを物語っているような気がする。
 ちなみに、私の歩数計によると、進んだ距離は11.5km、歩数は15,487歩を示していた。この日は他に全く行動していないので、実質距離、歩数に近い数字である。ずいぶん往ったり来たりを繰り返していたことになる。
 それでも「冬の石狩川河岸を遡る」ためのトレーニングとしては良いトレーニングとなった。さて、豊平峡ダムまで残りおよそ3キロである。なんとか近いうちに、と思っているのだが…。


冬の豊平川河畔を遡る 16

2016-01-05 21:07:13 | 冬の豊平川河岸遡行スノーシュートレッキング

定山渓大橋 ⇒ 二見吊橋

 本日のタイトルを見て「あれっ?」と訝る向きがあるのではないだろうか?「なんでいきなり16なの?」と…。いやいや、これにはそれほど深くない訳があるのです。ということで、今日(5日)私は定山渓の温泉街を通過するのに四苦八苦したのだった。

 まず、№16について説明せねばなるまい。
 私は過去、2011~2012年にかけて、豊平川河口から定山渓まで川沿いに遡った経験がある。それで私は豊平川を遡行することは終了と考えていた。その際の投稿は下欄のそれぞれをクリックください。

 ◇冬の豊平川河畔を遡る 1
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 2
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 3 
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 4
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 5
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 6
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 7
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 8
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 9
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 10
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 11
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 12
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 13
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 14
 ◇冬の豊平川河畔を遡る 15
 ◇冬の豊平川河畔を遡る エピローグ編


 ところが昨年、NHK・TVが「豊平川を遡る」という趣旨の番組を放映したのだが、その時はタレントを河口から豊平峡ダム(定山湖)まで案内していた。そのときは「ふ~ん。そんなものか…」と思っただけだったのだが…。
 
 昨年末、定山渓の奥の迷沢山をスノーシューで攻めようとして敢え無く敗退した帰り道、スノーシューのトレーニングを兼ねて、定山渓から豊平峡ダムまで行くというものいいなぁ、というアイデアが浮かんだ。そしてその帰り道、その可能性を探るため、「定山渓大橋」と定山渓の奥に架かる「いこい橋」を偵察し、なんとかなりそうだという感触を掴んでいたのだ。
 そこで、今日は2012年の続編ということで16としたのである。

          
          ※ 今回のスタート地点となった「定山渓大橋」とその下に架かる人道橋です。

          
          ※ 同じくスタート地点から豊平川上流の温泉街を写したものです。

 朝、出遅れてしまったのはまずかった。
 スタート地点、つまり2012年のときの終点となった「定山渓大橋」のところに着いたのが10時30分だった。用意を整え、行動を開始したのは10時45分、すでに昼近かった。
 定山渓の温泉街は、「定山渓大橋」と「月見吊橋」の間約500mに主なホテルが林立するいわば中心街といってもよい地域である。私はこの間を、ぜひとも川沿いを歩いてみたいと思った。天気は雪が降ったり止んだり、はっきりしない天気だった。
 「定山渓大橋」から川沿いに歩こうとすると、ちょっと行っただけで行き止まりになってしまった。ホテルの湯揚げポンプ小屋らしきところ先は崖になっていて進めないのだ。
 しかたなく戻って、崖状の上を歩くことにした。しかし、そこも困難が伴った。何せ各ホテルが豊平川を望むギリギリのところに建物を建てているのだ。私は土止めを施してあるところを慎重に横切るように進んだ。

          
          ※ 川沿いをあきらめ崖の上に出てから豊平川を望んだところです。

          
          ※ この斜面を横切るときはこの日一番緊張した瞬間でした。

          
          ※ 写真のように土止めをした個所が何か所もありました。

 そこを無事に越えると、再び川岸に導かれた。「今度は川沿いを進めるかもしれない」と思う間もなく、またまた崖と水面に遮られてしまった。残念だったが、私はスノーシューを脱いで、道路に出るより他に選択肢はなかった。
 道路に出ると、直ぐに「月見橋」に至る道路に導かれた。「月見橋」の袂には「定山源泉公園」という公園が川沿いに造成されている。私はそこから「月見橋」をくぐり上流へ行けるのでは、と目論みを立てたのだが川沿いに歩けるようなとこは見当たらなかった。

          
          ※ 川沿いに出ることができ、間近に真駒内川を見たところです。

          
          ※ この箇所から前へ進むことはできませでした。

 そこで、以前に定山渓ウォーキングコースとして紹介され、私も実際に歩いた「月見橋」から「二見吊橋」を経由して「いこい橋」に至る森林浴コースを辿ることにした。
 かつて知ったる森林浴コースは冬も歩いている人がいるようで、スノーシューは必要なくツボ足で歩くことができた。
 ところが!「二見吊橋」のところまで来ると、「橋の補修工事のため、この先通行禁止」となっているではないか!手の施しようがない。私は来た道約500mをとぼとぼと引き返すのだった。

          
          ※ 雪の中で目立ちませんが、白いテントに包まれた「二見吊橋」が見えるでしょうか?

          
          ※ 無情な掲示が行く先を閉ざされてしまいました。

 イレギュラーなこの日のコースに私は一日中苦しめられることになった。
 結局、私は「月見橋」まで戻ったのだから、スタートからわずか500m進むのに1時間半くらいかかってしまったことになる。
 この後もなかなか手ごわいコースだったが、明日レポートすることにする。



今年の年賀状

2016-01-04 16:01:58 | その他
 三が日が過ぎて今年の年賀状でもあるまいが、ネタが尽きた。本来なら、今日から活動開始と思っていたのだが、なんとなく一日グズグズしてしまった。そこで苦し紛れのお題でお茶を濁すことにする。 

 今年というより、新年のために昨年末に制作した年賀状についての制作裏噺である。

 私には年賀状に対する一つの拘りがあった。それは日ごろ疎遠になっている方々に対して、年賀状を通してささやかでも近況を伝えたい、という思いがあった。だから、もう二十数年来、年賀状には前年の私及び家族の状況を僅かでも記した年賀状を作成してきた。

 昨年末、「さて、今年は?」と思案した。
 そのようなときに接したニュースが「今年の漢字」だった。
 今年の漢字(つまり昨年の漢字)は『安』だった。この字を見て、私の中にビビッとくるものがあった。これまで継続してきた我が家の近況からは少し離れるけれど、時には私、あるいは私と同世代の方々が生きてきた過去を振り返り、これからを想うこともいいのでは、との思いから今年のような年賀状になった。
 これ以上のコメントは不要であろう。私の今年の年賀状を紹介します。
                                    
          
     ※ 悲しいかな、制作した原稿の取り込み方が分からず、写真にしてから取り込んだため鮮明な賀状を再現できなかった。

 文面が読みづらいと思うので、転写することにします。
 なお、背景の字は絵馬の制作にも用いた京都・清水寺の森清範(せいはん)貫主(かんす)が揮毫したものを取り込んだものです。

 安らかな日々が続きますように…

  昨年の漢字は「安」という字でした。「安」にはいろいろな意味があると報じられていましたが、私たちは「安らか」を連想しました。
 私たちは昨年、健康にも特に問題がなく、安らかに一年を過ごすことができ、ささやかながらも幸せを感じながら一年を過ごすことができました。(ただし、二人とも少し太り気味が気になっていますが…)
 昨年末、山田洋二監督・脚本の「母と暮らせば」を観る機会がありました。映画を観ながら、私たちは生まれてこのかた戦争という悲惨なことを体験せずに、ここまで安らかに生きてこられたことに大きな幸せを感じています。
 ささやかながらも、思ったことができて、思ったことが話せるのは、安らかな世の中があってこそ、との思いを強くします。そうした世の中がこれからもずーっと続くようにと誰もが願っているはずです。
 私たちがそうであったように、私たちに続く子や孫の世代にも、安らかな世がこれからも続くことを願って止みません。

  安らかな日々があるから、幸せを感ずることができる
  安らかな日々があるから、明日の夢を見ることができる


 今年も、そしてこれからも、あなた様にとっても、私たちにとっても安らかな日々が続きますように願い新年のご挨拶とします。



初詣 at 北海道神宮

2016-01-03 17:17:24 | 神社参拝・御朱印収集関連

 まるでラグビーの五郎丸選手がゴールキックをねらうときのように、ここ数年の私の初詣はルーティーンを繰り返すようにまったく一定したものになっている。今日もそのルーティーンにしたがって、妻と一緒に初詣に出かけ、安らかな一年を祈願してきた。 

 数年前に元旦の初詣に出かけ、あまりにも人出が多いことに辟易し、4年前から初詣は1月3日と私の中で定めた。
 それに倣い本年も本日1月3日、箱根駅伝の青山学院大のゴールを確認した後、北海道神宮に歩いて向かった。(歩いて向かうのも恒例となっている)

          
          ※ 円山小学校の横に立つ第一鳥居です。並ぶ車は初詣客の車だと思われます。

 歩いて約20分、第一鳥居、第二鳥居をくぐり、表参道を通り本殿前の手水舎に着く。ここで手・口を清めた後、本殿に向かう。
 けっこうな人出ではあるものの、大混雑というほどではない。
 まずは拝殿前でお賽銭を投げ入れた後、作法に従い二礼二拍手一礼で拝礼を済ませたが、その際祈願したことはあらゆるコト・モノが安らかであること願った。

          
          ※ 第二鳥居とそれに続く表茶道です。

          
          ※ 本殿前にある手水舎(ちょうずや)です。

          
          ※ 本殿前の門のところに掲げられた巨大な注連縄です。

          
          ※ 本殿の前に設けられた拝殿で順番を待つ参拝客です。

 続いて、拝殿の横でお神酒をいただき、そして干支である「神楽焼」を購入することを恒例としている。当然今年は「申」の焼物を購入した。
 小さな焼物だが、これで4つの干支の動物が集まった。購入を始めた4年前、ぜひとも十二支が揃うまでは自らの足で初詣を続けると誓ったのだが、そのためにはあと8年、ぜひとも続けねばならない。(続くだろうか?)

          
          ※ ここでお神酒をいただき、隣で神楽焼を購入するのが私のルーティーンです。

          
          ※ 今年の干支「申」の神楽焼の置物です。

 そして、これまた恒例のお御籤である。
 私のお札は「吉」だった。私は神事のことについては全くといっていいほど疎い。「吉」と出たので、大吉、中吉、小吉の次くらいだろうと思っていた。ところが帰宅して調べてみると、どうやら大吉に続いて縁起の良い札のようなのだ。「そんなに良くなくても…」というのが正直の気持ちだが、まあ今年は良縁なのだろうと受け止めておこうと思う。

 次に、これは今年だけになるような気がするのだが、昨年の博物館ワークショップで作成した絵馬を奉納してきた。絵馬の裏には「安」の字にちなみ、「安らかな日々があるから、幸せを感ずることができる 安らかな日々があるから、明日の夢を見ることができる」と記した。

          
          ※ 合格祈願が多い絵馬の中で、私の「安」の文字が目立ちますね。

 以上が神社における私のルーティーンなのだが、私の場合は神社を後にしてから、もう一つのルーティーンがある。
 それは甘味である「ぜんざい」を食することである。このことに特に意味はないのだが、なぜか毎年続けている。
 北海道神宮の近くにある甘味処「巧」はきっと千客万来で混雑しているのではと予想しながら訪れたが、幸い直ぐに着席することができた。
 私は「栗ぜんざい」、妻は「白玉ぜんざい」をそれぞれ注文し、新年の甘味を味わった。

          
          ※ 甘味処「巧」のエントランスです。民家をリノベーションしたもの?

          
          ※ 甘味処「巧」の店内の様子です。

          
          ※ 私が味わった「くりぜんざい」です。美味しかったです。

 こうして私の初詣は、例年のように滞りなく終えた。
 さあ、明日からはいよいよ2016年の活動の始まりである。
 どのような一年になるのだろうか? ワクワクドキドキである。

          
          ※ これまでに収集した4体の神楽焼の干支です。


‘16 一年の計

2016-01-02 22:49:15 | その他

 2016年をスタートするにあたり、昨年同様に今年も一年の計を立ててみようと思った。明日をも知れない(?)この歳になって一年の計もないのかもしれないが、それでもおおまかな見通しを持つことは悪いことではあるまい…。 

          
          ※ お正月飾りの定番であるお供えである。小さいものだが、お正月を演出してくれる。

 1月2日のこの日は、なぁ~んにもしないで、テレビの前でのスポーツ観戦に終始した。
 まず、箱根駅伝第一日(往路)である。連覇を狙う青山学院の独壇場だった。ここしばらくは青山学院時代が続きそうな予感の走りだった。 
 続いて、大学ラグビー選手権準決勝二試合。東海大 vs 明治大は東海大が、大東文化大 vs 帝京大は帝京大が勝利したが、帝京大の強さが際立っていた。帝京大の7連覇は確実なのではないか?
 さらに、高校サッカーで北海道代表・札幌大谷高が一回戦を突破し、二回戦に進み、中京大中京高と対戦したが0対3と力の差を見せつけられた一戦となった。

 ところで、本日掲載の写真であるが、妻が部屋の中に多少ともお正月らしい雰囲気にと、デコレーションしたものを掲載することにした。(写真の下に若干のコメントも載せた)

               
               ※ お正月を表す、お神酒の徳利、南天の花、盃をあしらったタペストリーです。

 さて、一年の計であるが、昨年末に「私的に○○を振り返る」シリーズを綴ったが、やはり一年の計もそれに沿って立ててみようと思う。
 誰かの話を聴いたり、講座を受講したりすることは、ある種受け身の行動である。つまり、どこかが企画し、誰かが実施することに対して私自身が受講の可否を判断する行為である。したがって、量的に、あるいは質的に今年はこれくらい、という計りを立てることは難しい。
 この分野については、できるだけ情報収集を密にして、有益と思われる講演会、講座を今年も積極的に受講しようと思う。
               
 次に“山”であるが、昨年までに一応ガイドブックに掲載された「札幌・小樽近郊」の16座を終えることができた。(奥手稲山を除き)そこで今年は、少し足を延ばして支笏湖周辺、羊蹄・ニセコ周辺まで足を伸ばしてみようと思っている。
 これまでとは違いやや遠くなるが、昨年車中泊という手法を手に入れたので、遠いところは前日に登山口まで行き、車中泊をして日の出とともに登るという手段を取り入れたいと思う。といっても私の場合、目標は5座くらいだろうか?プラス羊蹄山のリベンジができれば十分かな?と考えている。

               
          ※ 妻が毎年もっとも力を入れるお正月の生花。今年は大王松と千両の紅い実と葉だそうです。

 続いて“歩き”の方だが、こちらは今月末にも最初の行動を考えている「冬の石狩川を遡る」シリーズを昨年、一昨年続いて挑もうと考えている。今年の目標は最低でも6日間を要して深川市までは到達したいと思っているのだが…。
 “歩き”で今年の大きな目標は「熊野古道」フットパスである。今のところ熊野古道でも最もポピュラーな小辺路コースを3~4日かけて巡りたいと計画している。時期としては3~4月頃が適当なのではと心づもりをしている。
 その他では大きな目標は見当たらないのだが、道内のフットパスコースをできるだけ歩くことができたらと思っている。

          

 スポーツイベントの観戦は、できればまた高校野球観戦に憧れるのだが、こちらは連日観戦のスケジュールを取ることができないので断念しなければならない。今年は登山、フットパスに注力することからも、あるいは激減する分野かもしれない。

 “ステージ”と“映画”であるが、これも現時点では「分からない」というのが正直なところである。どちらも魅力ある分野なので、「できるだけ楽しみたい」としか今は云えないところである。

           
          ※ 年末に私が制作した絵馬も居間の一隅に飾りました。明日、北海道神宮に持っていきます。 

 続いて“旅”だが、前述の熊野古道の際にプラスして伊勢神宮はぜひ一度参拝したいと考えている。
 “旅”については、あれこれと憧れはたくさんある。しかし、いまここで公表できる段階ではない。昨年以上にあちこちと行ってみたいのだが、後述するボランティアとの関係でスケジュール的には厳しいのが現実である。

 そのボランティアだが、「近美を愛するブリリアの会」の活動は、会員の高齢化が進行しているが、今のところこれまでどおり7年目の活動を継続していきたいと思っている。
 問題は、全道組織の団体の事務局の仕事である。この仕事は全てのスケジュールに優先して組まねばならないことなので頭が痛い。公の行事や会議は別として、個人として処理する仕事はできるだけ効率的に処理しながら、趣味的なことにも精力を傾けたい、考えている年の始めである。

          
          ※ こちらはお正月飾りとはいえませんが、新年を表すカレンダーです。

 以上、雑駁ではあるが一応「1年の計」を立ててみた。このことに拘束されるつもりはないが、私自身の一つの目標として今年のスタートを切りたい。


田中陽希 ゴーーーーーール!!!

2016-01-01 17:44:01 | スポーツ & スポーツ観戦
 日本二百名山ひと筆書き完全人力踏破「グレートトラバース 2」に挑戦中だったプロアドベンチャーレーサーの田中陽希さんが、無事にゴールの佐多岬に到着したとのニュースを入手した!(詳しいことは現時点ではまだ不明だが、事務局発のフェイスブックからの情報なので間違いない)
 昨年5月25日に北海道宗谷岬をスタート以来、年を跨ぎ9ヶ月(実質は7ヶ月余り)を要して到達した快挙である。
 いずれまた、彼のことを取り上げてみたい。
 とりあえずはゴールしたとのニュースに接したことだけを、この欄でも記録しておきたかった。