田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

KOREAN NIGHT in SAPPORO

2016-01-26 22:33:02 | ステージ & エンターテイメント
 韓国の若者か?日本の若者か?見ている私には分からない。ステージ上でK-POPのダンスが弾けた! そして第2部はさまざまな韓国文化の公演が繰り広げられた。日本と韓国の友好を願って韓国人留学生が開催したという。 

 1月23日(土)夜、北大韓国人留学生会が主催する「コリアン・ナイト・イン・サッポロ」が東区民センターで開催されることを知って、出かけてみることにした。
 今年で3回目の開催だというコリアンナイトの会場の東区民センターは、なんとなく熱気むんむんという感じだった。

          

 午後6時、今どきの韓国の若者、といった感じの北大留学生二人のたどたどしい日本語の司会で第1部の「K-POPカバーダンスコンテスト」が始まった。

          
          ※ たどたどしい日本語での司会ぶりが好ましかった。

 これがいささか私の度肝を抜いた。出場のほとんどは女性が占めていたのだが、そのダンスが私のようなシニアから見ると、いかにも扇情的に見えるのだ。腰をくねらせ、全身をくねらせ…。
 そういえば、一時日本の芸能界を席巻していた韓国の女性グループのダンスがそのようなものだったと記憶している。そのダンスをしているグループは、一部に韓国の女性も加わっているようだったが、ほとんどは日本の女性のようだった。

          

          
 
 私の座った席が拙かった。私は比較的前の方に席が取れたのだが、私のすぐ後ろに3~4人の日本の若い女性が座った。この女性たちが、自分の知り合いが登場すると、とんでもない矯正を発するのだ。私の耳のすぐそばで、耳をつんざくような声を発し続けた。
 これにはマイッタ。せっかく楽しんでいる(?)のに、注意を促すのも大人げない。私はひたすら耐え続けたのだった。
 こうして、女性8組、男性2組のダンスが披露された。私からみると、女性より、男性のグループのキレの良いダンスの方が好ましく映ったが、コンテストの成績は女性組が上位を占めた。

          

 ダンスで驚かされた後は、2部の「韓国文化公演」だった。こちらは伝統の韓国文化の紹介ということで、さまざまな演目が披露された。それは、①扇の舞、②テコンドー演武、③コッドゥガクシ、④サムルノリ公演、⑤ミュージックダンスドラマ、といったものだった。
 「扇の舞」は、韓国の伝統文化の代表的なものである。大きく色鮮やかな扇を使って舞台を華やかに彩った。この演目の特徴は、韓国人だけではなく、北大に留学する中国、ハンガリー、ベトナム、インドネシアの若者が一緒になって舞ったところに意義があった。

          

          

 「テコンドー演武」は、お馴染みの韓国武道のテコンドーの演武である。北大の中のサークルである「テコンドー部」の学生が演じたものだった。(中に日本人がいたかどうかは不明)

          

 「コッドゥガクシ」は、もともとは人形劇だったものが、現在は演劇のようになったものということだが、二人の小さな子が音楽に合わせて可愛い演劇と云うよりは、お遊戯を披露してくれた。

          

 「サムルノリ」は、これも韓国の伝統的な文化の一つで、太鼓など数種類の打楽器を操るものである。音楽的にはかなり違いがあるが、ちょうど日本の和太鼓の演奏との共通性があるように思えた。

          

 「ミュージックダンスドラマ」は、韓国文化と云うよりは、韓国人留学生がフィルムと実際の舞台を融合させ、そこにダンスも織り込むという実験的な試みをしてみたものを披露したようである。

 開催の趣旨は、冒頭で韓国人留学生会の会長が挨拶で述べたり、司会者の二人が時おり触れていたように、こうした機会を通して日本と韓国の隣国同士が理解を深め合い、友好の絆を深めていくことだ、と語っていた。
 私もそのことには大賛成である。

          
          ※ 北大韓国人留学生会の代表の挨拶です。

 私の横で舞台に投影するパワーポイントを操作する学生がいた。彼の手が空いたときに話しかけた。北大に留学する韓国人の数はなんと150人にのぼるという。ほとんどの学生は韓国の大学に籍をおいて留学しているケースだが、中には、彼のように北大に直接入学した学生もいるという。彼は4年生でこの春卒業し、韓国の大学院に入学するという。私は別れ際に、彼に次のように話しかけた。
 「専門は何か伺っていませんが、日本で学んだことを誇りに思って、韓国へ戻ったら、どうか韓国と日本の友好のために活躍してください」と…。
 彼はニッコリと頷いてくれた。彼と私は強く握手をして別れた。

札幌ジュニア・ジャズ・スクール コンサート

2016-01-25 21:27:41 | ステージ & エンターテイメント
 ドコモ北海道ビルのホール内に札幌ジュニア・ジャズ・スクールのビッグバンドの音が響き渡った。1月23日(土)午後、近くのドコモ北海道ビルでコンサートがあると知って駆け付けてみた。 

          
          ※ 札幌ジュニア・ジャズ・スクールの小学生の管楽器部門です。

 札幌ジュニア・ジャズ・スクールとは、HPで次のように紹介している。
 「『札幌・ジュニア・ジャズスクール』は、札幌市南区に位置する札幌芸術の森を会場に、全国でも珍しい小中学生を対象とする1期1年のジャズスクールです。
 このスクールの目的は、やらされる音楽ではなく、自ら楽しむことのできる音楽環境を提供すること、ジャズを通して参加する子供達の自己表現力や協調性を高めてもらうことにあります。また、道内屈指の野外ジャズフェスティバル「サッポロ・シティ・ジャズ」との連動により特色ある地域音楽文化の醸成を目指しています。
 1年間のスクールでは、小学生クラスによるビッグバンド編成の「SJF JUNIOR JAZZ ORCHESTRA」と中学生による「Club SJF」という2つのジャズバンドを編成し、毎月5回程度の定期スクールを重ねながら、道内各所で行われる音楽イベントに出演し演奏を行います。また、この小中学生のジャズへの取り組みを他地域に普及させるための地域交流クリニックや音楽を通した社会貢献活動を体感してもらうための社会福祉演奏会等の活動を行っていきます。」

 歴史は今季が16期ということなので、設立から16年が経過しているようだ。

          
          ※ こちらはドラムスやギパーカッション、ギター、ピアノなどの部門です。

           札幌ジュニア・ジャズ・スクールの場合、つなぎの服がユニフォームのようです。

 コンサートは、小学生のバンドと、中学生で構成するバンドの二つのバンドの演奏があった。
 HPの紹介にもあるように、毎月5回程度しか集まることができない、というハンディを背負いながら、小学生のバンドでもしっかりと音が出ていた。ただ、彼らには少し辛口となるが、室内で音が反響して粗さが目立たないという点を差し引かねばなるまい。
 実は2年ほど前、SAPPORO CITY JAZZのパークジャズライブにおいて彼らの先輩の音を聴いたことがある。戸外での演奏だったことで、やや粗さが気になったことがあった。
 それでも今回の演奏では、本格的な曲を次から次へと披露してくれた。曲をメモしようとしたのだが、司会者の英語の発音がいま一つ分からずメモすることができなかったのは残念である。

          
          ※ 中学生の管楽器部門ですが、サックスは見事に女性ばかりでした。

 途中、スクールが用意したジャズに合せた体操やクイズを楽しんだ後、中学生クラスのコンサートに移った。中学生の場合は、「Club SJF」と称していることからも、おそらく小学生クラスから再び活動を望む者で構成されているのだと思われる。
 中学生になると、一人ひとりの音がしっかりしてくる。人数的には小学生クラスより少ないのだが、音自体はすっかり洗練され、ジャズらしい音を楽しませてくれた。
 中学生くらいになると、将来のプレイヤーを目ざす人もいると思われる。事実、私は過去にあるライブハウスで札幌ジュニア・ジャズ・スクール出身者だという方のジャズを聴いたことがある。

          
          ※ こちらは中学生のパーカッションなどの部門です。中学生のユニフォームは黒色でした。

 毎年、受講生が交代するということで、指導者も大変なことだろう。16年間もこのような活動が継続されてきたことは関係者の知られざるご苦労があったものと想像される。
 札幌の文化創造の一翼を担われているという誇りを抱きながら、これからも継続されていくことを望みたいと思った札幌ジュニア・ジャズ・スクール コンサートだった。(なんだかすっかり老成したかのような結論ですなぁ…)

冬の石狩川河岸を遡る 8 後編

2016-01-24 19:16:11 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

月形大橋 ~ 札比内  トレッキング月日 ’16/01/22

 河岸トレッキングの場合、河岸近くに生えている灌木や草木類がやっかいである。真っ直ぐに進むことはできず、間を縫ってジグザグに進まねばならない。さらにやっかいなのが「樋門」の存在である。この「樋門」が現れると、私は大きく回り道を強いられるのだ…。 

 河岸をトレッキングする場合、石狩川の場合はおおよそのところが灌木などに覆われている。その中を河岸から離れないようにしながら、灌木の中を縫うように進んでいく。
 私が通れるようなところを探しながらジグザグに進むので、当然歩く距離は長くなる。

          
          ※ あるところで私のトレースを写してた。灌木の中ではご覧のようにジグザグ進むことを強いられる。

 灌木以上にやっかいなのが「樋門」である。樋門とは、一般的な言葉では「水門」と言った方が、通りが良いかもしれない。樋門は堤防の外の水田や畑地の余分な水を石狩川に排水するための調整門である。
 この樋門があると、そこには通水路があり、そこの流れはけっこうあるために渡ることはできない。そのため私は大きく堤防上まで迂回して進まねばならないのだ。中には、通水路の途中に橋状のものが架けられている場合もある。その場合はラッキーなのだが…。

          
          ※ 石狩川に関わらず、どこの川でも見られる〔樋門〕である。

          
          ※ 樋門のあるところでは、このような通水路があり、迂回を余儀なくされる。

 文字面だけだと分かりづらいと思い、図にしてみたものを参照してほしい。

          
          ※ 下手な図を描いてみた。灌木の間を縫い、樋門を迂回するために矢印のように進まねばならない。
          
 そうしたトレッキングの中でも、雪の季節ならではの光景が私を和ませる。木の枝と雪が創り出す面白い造形を何枚か撮ってみた。

          
          
          

          

 そうしたトレッキングを続けていたが、やはり新雪に埋まりながらのトレッキングが影響してきたのだろうか、左の大腿部の内側に痛みが出てきた。
 現在地を確認すると、どうやらJRの豊ヶ岡駅の延長線上あたりまで到達していることが分かった。この時12時30分。スタートした須部都川の河口から3時間半を経過し、直線距離にして約5キロにこれだけの時間を要したことになる。
 大腿部の痛みは心配するほどではなかったが、昼食休憩をとることにした。

          
          ※ 遠くに独立峰が見えた。〔ピンネシリ〕ではないかと思われるが、どうだろうか?

 昼食とは云っても熱い湯を持参したので、それで作ったスープとパンを流し込むだけだったが、適度な休憩にはなった。この時点でこの日のゴールは次の駅の札比内になりそうと予想した。(ライブレポ 4)

          
          ※ 午後から再び雪が降る天候となった。樹間から石狩川が見える。
  
 昼食を終えて、トレッキングを再開した頃から天気が崩れ出し、再び雪模様となってきた。石狩川の対岸がぼんやりと霞んで見える。
 そこを良く見てみると、対岸の付近が一部氷に覆われていた。どうやら流れが緩やかになるところでは水面が凍るようだ。つまり、私が見ていた石狩川の水面は凍るか、凍らないかの境目の水温のようである。
 事実、それからしばらく行くと、今度は対岸ではなく、こちら側の岸が凍っているところがあった。

          
          ※ 雪模様の中、対岸が霞んで見えるようになってきました。

          
          ※ 良く見ると、対岸が白く凍っていました。流れが緩やかになっているからか?

          
          ※ しばらく行くと、今度はこちらがわの水辺が凍っていました。

 大腿部の痛みは、今度は左の大腿部の付け根の部分に痛みが出てきた。一昨年に感じた痛みと似ている痛みだった。それは埋まったスノーシューを引き上げる動きを絶えず続けることによって出る痛みだと思われた。

 そうしているうちに、この日石狩川に流れ込む流れの中で最も大きな流れだと思っていた〔中小屋川〕の流れにいたった。
 V字の谷に積もった雪が割れて、水面が見えている。「これはもう迂回するしかない」と思われた。しかし、川の場合は樋門とは違い堤防まで戻れば川を超えられるという保証はない。
 私は川をよく観察した。すると、例え川底に下りても靴が濡れる程度の深さしかないことが分かった。そして幸いなことに、河口近くのところに倒木が川を跨ぐように架かっているところを見つけた。
 私は例え倒木が折れたとしても、川底が極めて浅いとの判断から、その倒木上を渡ろうと決心した。「案ずるより産むが易し(?)」、割合簡単に倒木の上を渡りきることができた。

          
          ※ 中小屋川が石狩川に注ぐところです。私は写真真ん中あたりの倒木の上を渡りました。

 中小屋川を渡ったところから、しばらく進んだところで、またまたマップ上にはないV字形に深くえぐられた流れに遭遇した。ここはちょっと渡れそうにない。
 GPSを確認すると、札比内駅のほぼ延長線上のこところだった。この時、時計は14時50分を指していた。
 大腿部の痛みは続いていたし、時間的にもこの日の行動を打ち切るのにちょうど良い時間だった。札比内駅にいたるには、まだしばらく時間が必要だし、札比内駅発16時15分の列車に乗るには余裕をもって駅に着くことができそうだった。

 堤防を超え、一般道路に到ったのが15時10分、ここでスノーシューを脱いだ。
 ここまでスノーシューでの行動で、万歩計によると21,500歩を示していた。この日、私はスノーシューでおよそ13キロをトレッキングしたことになる。
 札比内駅にはそれから35分、15時45分に着いた。(ライブレポ 5)
 ライブレポでも書いたが、当初は隣駅の晩生内駅までと目論んでいた。とんでもない見込み違いだった。晩生内駅まで少なく見積もってもまだ5キロ以上ある。

          
          ※ 無人駅の札比内駅は暖房もなく、寒々としていました。

 石狩川の流れは、私の目から見ると何ら変わらない流れが続いている。それでもゆったりとした、そして滔々とした流れはなんとも私の心を癒してくれる。
 この滔々とした流れを横目にしながら、私のプロジェクトはまだまだ続く…。

 次回は〔札比内〕から〔浦臼〕までと考えている。この間が一つの鬼門になるかな?とも思っている。さて、どうやって攻略するか?戦略(というほどのものでもないのだが…)を練ってみたいと思う。


冬の石狩川河岸を遡る 8 前編

2016-01-23 17:01:21 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

月形大橋 ~ 札比内  トレッキング月日 ’16/01/22


 他人から見ると何の価値も感じられないプロジェクトだが、私は自ら企てたプロジェクトに酔ってしまったようだ。酔ってしまった私は「冬の石狩川河岸を遡る」というプロジェクトの3年目に足を踏み出した。 

 道なきところに踏み出せるスノーシューで何かをしてみたい。さりとて不案内な山野は危険が伴う。そう考えたときに、「そうだ河原を歩こう!」というアイデアが閃いた。冬だからこそ近づける河原を辿りながら、川を遡ろう!私の小さな冒険は豊平川の上流を目ざした。どこまで行けるのか、事前踏査をまったくしていないのだから皆目見当が付かない。何日かに分けて無理なく行けるところまではと思っているが…。
 
 5年前の2月10日、私は現在取り組んでいる「冬の石狩川河岸を遡る」の前に、「冬の豊平川河畔を遡る」のプロジェクトの初日に上記のように述べている。その思いは今もまったく変わらない。(「河畔」が「河岸」に変わったが、そこに大きな意味はない)
 一昨年から「冬の石狩川河岸を遡る」プロジェクトを行っているが、昨日(22日)現地踏査を兼ねて、今シーズン最初の石狩川河岸スノーシューに挑んだ。

 朝、桑園駅6時23分発の列車に乗り、7時35分石狩月形駅に降り立った。(ライブレポ 1)
 そこから、徒歩でしばらく行き、途中からスノーシューを履き、昨年の最終到達地点である石狩川と須部都川の合流地点を目ざした。
 心配していた雪の状態は、スノーシューで踏み込むと20cmくらい沈み込んだ。最悪のケースではないが、やはり1月の雪はまだまだ柔らかい。時間の経過によってかなり体力が消耗されるだろうと思われる状態だった。
 天気は雪。細かな雪が間断なく降っていて、見通しも良くなかった。しかし、風がないのは幸いだった。

          
  ※ 須部都川が石狩川に流れ込む合流地点です。写真手前の白く凍っているのが須部都川、向こうの凍っていないところが石狩川です。
 
          
          ※ 須部都川の流れを挟んで、向こうの白い平地が昨年到達した地点です。

 結局、月形駅からこの日のスタート地点である石狩川と須部都川の合流地点に立ったのは1時間半も経過した9時だった。合流点に至ったときには、あれだけ降っていた雪が止み、太陽さえ顔を出し始めていた。 
 1年ぶりに見た冬の石狩川の水面は凍結しておらず、ゆったりと流れていた。
 昨年到達した須部都川を挟んだ対岸の様子が懐かしかった。(ライブレポ 2)

          
          ※ 石狩川は写真のように凍らずに、静かに流れていました。

          
          ※ 一見、楽なように見るスノーシューのトレースですが、これがずーっと続くとじんわりと体力を奪うのです。

 早速、本格的にスノーシュートレッキングを開始した。
 まず目指すは、今回の区間のスタートとした〔月形大橋〕である。川幅の広い石狩川に架かる橋に小さなものはない。ほとんどすべての橋の名前が「○○大橋」となっている。
 スタートして30分、行く先に灌木などもなく、広い雪原を歩いて到達した。月形大橋の袂では大型機械が動いていて何かの工事が行われていた。傍に寄って「何の工事ですか?」と問いかけようと思ったが、真剣に仕事をされている方にとって、私のような遊び人にかまう暇はない、と思われそうだったので聞くことを止めて先に進んだ。

                
                ※ 直前まで雪が降っていたので、雪を被った木や草がとてもきれいに見えました。

          
          ※ 月形大橋の袂では大型重機が何台も動いて工事の真っ最中でした。何の工事かは、不明です。           

 すると、川べりに大きな構造物が目に入った。何かの水利施設なのではと近くへ寄ってみると「大曲揚水機場」と表示されていた。近隣の水田のために石狩川から水を揚げる施設なのだろう。

          
          ※ 「大曲揚水機場」の操作&管理棟だと思われます。

 石狩川の河岸は徐々にイタドリの枯木(草?)や灌木に覆われはじめた。そのためにところによっては河岸から離れなければならないところもあった。
 石狩川に近づくと、相変わらず石狩川は音もなく、ゆったりと静かに流れていた。

          
          ※ 河岸は徐々に灌木に覆われはじめました。これなどはまだ序の口といった感じです。

          
          ※ 写真ではそれほど川幅があるように見えませんね。私の目測で軽く100mを超えているように見えたのですが…。

 河岸トレッキングで一番やっかいなのが、マップにも表れない小さな流れである。ちょっとしたところに石狩川に流れる小さな流れにぶつかるのだ。その形状はV字形谷を造っている。そこに雪が被っているのだが、雪の下がどのようになっているのか把握できないので、少々危険である。ほとんどは雪の下は凍っていて渡れるのだが、慎重を期さねばならない。

          
          ※ こうしたV字形谷が私の進む前に何度も何度も現れました。

 そうした流れのところを二つ、三つ超えたところで小休止をとることにした。
 ちょうど腰を掛けられるような雪山を見つけたからだ。この時は、まだまだ疲れもなく、その上、風はなく、天気は良し、石狩川の流れを見ながらゆったりと紅茶を楽しんだ。
 この時、10時30分だった。(ライブレポ 3)

          
          ※ 天気は良く、風もなく、石狩川のゆったりた流れを眺めながらのティータイムは最高でした!


※ 続きは明日の後編に



石狩川河岸遡行 8 ライブレポ⑤

2016-01-22 16:01:36 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

札比内駅にいます。
トレッキング中に予想した通り札比内までが精いっぱいでした。
スタート前はあわよくば次の晩生内までなどと考えていましたが、とてもとても無理でした。
しかし、今日実際に現地を見て、体感して、得ることがたくさんありました。
戦略を練り直す材料をたくさん得ましたので、もう一度計画を練り直すことにします。。その上、多少なりとも(いや、おおいに)距離も稼ぐことができました。
これから列車で帰ります。


石狩川河岸遡行 8 ライブレポ④

2016-01-22 12:42:27 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

12時30分、JR豊ヶ岡駅の延長線上に達したようです。
つまり午前中かかってJR一駅分しか進めなかったことになります。
それほど深くないとはいえ、ラッセルが続いているので、左脚の太もも(大腿四頭筋?)にいたみを感じ始めています。
今日の目的地はどうやら次のJR札比内駅の延長線上あたりになるそうです。


石狩川河岸遡行 8 ライブレポ③

2016-01-22 10:25:18 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

ちょっと早目のティータイムです。というのも、川辺に腰をおろすにちょうど良いところがあったからです。
天気は最高です‼︎
太陽が顔を出し、風は無し。
石狩川を眺めなから、バウムクーヘンを頬張りながら紅茶を楽しんでいます。
石狩川はこのあたりでも川幅は100m以上ありそうです。
まだ疲れを感じるほどではありませんが、こんなに早く休みを取ろうと思うのは危険信号の予兆??
さあ、疲れを感じないうちに距離を稼がなくては!


石狩川河岸遡行 8 ライブレポ②

2016-01-22 08:48:18 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

石狩月形駅から約1時間かかって石狩川と
須部都川の合流点に着きました。
須部都川との合流点は、昨年私が到達した最終地点です。
ですから、今今年のスタート地点に立ったことになります。
雪の状態は、踏み込むと20cmくらいしずみます。膝頭くらいまで沈む最悪の状態ではないですが、厳しいスノーシュートレッキングになりそうです。
私の体力ではどこまで進めるか、今のところ見通しはたちませんが、できるだけ粘るつもりです。
石狩川は凍っておらず、ゆったりと滔々と流れています。
さあ、これから石狩川を右手に見ながら、上流目指してトレッキングの開始です。


石狩川河岸遡行 8 ライブレポ ①

2016-01-22 06:37:57 | 冬の石狩川河岸遡行スノーシュートレッキング

遠くからあれこれ思っても隔靴掻痒の感がある。
現地を直接見て、体感して、戦略を練ろうと、今朝桑園駅発6時23分の電車で石狩月形に向かっている。
実は昨日、月形町役場に問い合わせたところ「この2~3日ほとんど雪は降っていない」という情報も私を後押しした。
現地はどんな様子か?
現地からも今日はときどきレポを入れたいと思います。時間があれば覗いてみてください。


大学インターネット講座学習会

2016-01-21 21:35:30 | 講演・講義・フォーラム等
 駄文なら毎日ブログに投稿しているようにそれなりには書けるのかもしれないが、いざ正式の文章を綴るとなると躊躇してしまう自分がいる。レポートを書くキッカケを掴もうと、講座学習会に参加してみた。 

 道民カレッジには、道内大学の教官がインターネットを通して講義する講座があり、受講者は受けた講座に対してレポートを提出しなければならない。
 これまで数年間、私は自宅で講座を視聴し、レポートを書いて提出していた。
ところが今年はどうしてもそこに向おうとしない自分がいた。私自身の劣化かな?と少々心配もしているのだが…。

 道民カレッジ本部では、私のような人のために「大学インターネット講座学習会」を4回にわたって開催している。そこで何とかキッカケを掴みたいと思い参加することにした。
 19日(火)その第1回目の学習会が開催された。同じように考える人が随分いるようである。会場は満杯の盛況だった。

 学習会は道民カレッジ本部の職員が論文作成の基本的なことについて講義した。
 その後、第1回目の講座である北海道情報大学の藤原孝幸准教授が講ずる「北の電力線を守る~ロボットを使った画像技術の試み」を視聴した。
 「さあ、それじゃ書き始めるぞ!」と思ったのだが、学習会は小休憩を挟んで第2回目の講座の視聴に移った。私は小休憩の間に若干だが書き始めたのだが…。
 結局、2時間の学習会では2本の大学講座を視聴するだけでほとんどの時間が取られてしまい、私たちがレポートを作成する時間はほとんど確保されていなかった。
 ちょっとアテが外れた思いをしたが、この時間構成だと仕方がないか?

  それでも帰宅後、書き始めの続きを作成することにした。満足な出来ではないが、納得することにしようか?駄文を紹介することにする。


              北の電力線を守る 
         ~ロボットを使った画像技術の試み~

 社会インフラの経年劣化については、トンネルや橋のことがクローズアップされる場合が多かったが、電線にもそのことが問題となっていることを今回初めて知ることができた。
 考えてみれば、電気は私たちの生活にとってある意味トンネルや橋以上に密接に関わっていることであり、迂闊であった。
 北海道の場合、その気象的な特性である強風や積雪のために、経年劣化の問題と共に、メンテナンスに関しても難しい問題を抱えていることを今回の講座で知ることができた。
 そのため北海道の電力会社では、独自の創意工夫によって問題解決を図っているという。
 強風に関しては「ねじれ防止ダンパ」、積雪の被害を防ぐ工夫に関しては「難着雪リング」や「相間スペーサ」などを装着するという工夫をしていることを知ることができた。
 さらに、経年劣化の問題に対して、これまでは技術者の目視による検査が主であったが、この方法には送電を中断したり、高所作業の危険性があったり、と問題が多々あった。そこで現在北海道仕様の「電線検査ロボット」の開発が進んでいるということだ。
 このロボットはカメラが3台搭載されており、全方向から電線の損傷・劣化を把握できるようになっている。ただし、空中にある電線を画像に収めるために風の揺れや、電線に取り付けた雪氷対策の器具を乗り超える際に振動が起きるなど、画像が必ずしも鮮明では
ないという問題が起こるらしい。 
 そこで採り入れられたのが、講師の専門でもある「画像処理システム」である。講義では画像処理の技術的な方法についても触れられたが、そこの理解は私には十分ではなかった。
 「電線検査ロボット」については、まだ開発段階であり、実用化にはもう少し時間がかかるようだが、一日も早い実用化が望まれる。
 電気が現代社会にとっては非常に大切な社会インフラであることから、安全な電力供給のために、そして停電を生じさせないために、関係者が非常な努力をされていることを知った今回の講義は私にとって大変意義ある講座となった。



 それにしても、残り7本のレポートがある。
 いつになったら完成するのやら…。