時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

新年おめでとうございます

2024年12月31日 | 午後のティールーム

新年おめでとうございます。

2025年元旦

世界は今年も波乱と緊張に満ちた1年となるでしょう。
時空をさまよい、小さくも輝く石を求めたい。

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メリークリスマス SEASON'S GREETINGS

2024年12月24日 | 午後のティールーム

東京駅北口前夜景
Photo YK

2024年も残り少なくなった。クリスマスイブも平日であり、あまり特別な日という感じはしない。盛り場の電飾だけが華やかだが、寒々とした思いが募る。

振り返ると、今年1年、ウクライナでもガザでも戦火は消えることがなかった。ノーベル平和賞は日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)に授与されたが、言葉にならない空虚な思いが頭をよぎる。心から手を挙げて喜びたいが、過ぎ去った年月の重さが押しとどめてしまう。新年早々に戦火は消えるだろうか。人類は進歩しているといえるのだろうか。

Geroges de La Tour(1593-1652)
Le nouveau-ne/The Newborn
Musee des Beau-Arts de Rennes, France
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
『生誕』


筆者の目の前には、今もこの作品のポスターが掛かっている。17世紀、人々は何を思い、今日を過ごしたのだろうか。



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あなたは10歳児を上回れる? 〜進歩とは(2)〜

2024年12月19日 | 午後のティールーム

いつの頃からか電車などに乗ると、反対側の座席に座っている乗客のほとんどが「スマホ」を覗き込んでいる光景に出会うことが日常になった。かつて多かった新聞を開いて読んでいる人を見ることはきわめて稀になった。今では読書している人すら少ない。電車に駆け込んで来て座席に座ったとたんに、ポケットやバッグからスマホを取り出し見入っている。私にはとても異様な光景に見えるのだが、多くの人はそう思っていないようだ。

10人がけの座席に座っている乗客のほぼ全員が、スマホに見入っているという光景も珍しくない。スマホ嫌いで古い機種を緊急用に置いてあるだけの筆者には、人々がスマホに魂を奪われているように見える時がある。横断歩道で「歩きスマホの人」に衝突されたり、足を踏まれたことも何度かある。「ケータイ」(携帯)という言葉も近頃はあまり使われなくなった。現代人にとって、「スマホ」はもはや身体の一部になっているかのようだ。スマホをどこかに置き忘れ、半狂乱になった人に出会ったこともある。

OECD調査では
最近、この問題に関する小さな記事を目にした。人々を対象とした成人スキル調査で、成人の5人に1人が、小学生レベルの数学と読み書き能力テストで、10歳の子供たちと差がない結果が示されたという。

計数能力では過去10年間に平均点が上昇した国がいくつかあったが、下落した国もほぼ同数あったとの結果が示された。成人がかつてないほど、大学などで高度な教育資格を取得しているにも関わらず、読み書き能力では点数が上昇するよりも下落する国の方がはるかに多くなっているとの結果も示された。

Adult skills in literacy and numeracy declining or stagnating in most OECD countries,
the second OECD Survey of Adult Skills 10th 0ctober 2024
この調査では個人の成長、経済的成功、社会貢献のための重要なスキルである読み書き能力、計算能力、適応型問題解決能力に焦点が当てられた。

この結果は、日本でも短く報じられたが、幸いなことに日本はフィンランドに次ぎ、オランダ、ノルウエイ、スエーデンなどに並び、上位の国にランクされた。しかし、細部についてみると、いずれの国も今後の社会、経済的変化に対応するには多くの改善すべき点があることが指摘された。


こうした調査結果の原因解明はかなり難しく、時間を要する。人口構成の変化も関係するかもしれない。新しい移民は受け入れ国での言語習得に苦労するかもしれない。他方、現地生まれの人々は外から持ち込まれる変化に対応できていない。人は高齢化に伴い、新しい変化への対応力が鈍っているかもしれない。

字を忘れたり、本を読まなくなったという現象も指摘されている。ネットフリックス、ビデオゲーム、SNSなどが、脳の活力を奪っていると考える人もいる。さらには、こうした変化に対応する教育・訓練システムが追いついていないとの指摘もある。

今回の調査では16-65歳を成人の対象としているが、実際の成人層はこれより遥かに高齢の層を包含しており、現実と調査の間でも大きなギャップが生じてしまっている。社会制度、教育制度も現実の変化に合わせて変革が必要だ。高齢化の進展は各国が対応できないほどの大きな変化を生んでいる。

このOECDテストでは、対象となった成人の収入、健康状態、人生への満足度、他人への信頼関係、政治への参加なども影響していると考えられている。

時代に追いつけない成人教育
更に、大きな困難は成人の教育システム自体が旧態依然で変化に対応できていなかったり、機能していないことだ。多くの国では、移民やハンディキャップを負った人々が抱える問題を認識してはいても、政府がそのために支出する予算も少なく、対象者も参加への意欲が低下しているとの問題が指摘されている。

学位の意味も薄れつつあり、大学卒業生の中でも、子供が恥ずかしくなるような計算力や読み書き能力の成績を出している者がいるとの結果が提示されている。

ある時期、本ブログ筆者も、こうした変化に応えるために大学の教育システムを改革したいと、かなりの時間を費やしたこともあったが、満足できる成果は得られなかった。システムを企画する側と求める側の意図がうまく合わないところもある。

今回のOECDの調査が意味するものは、その解明にも時間を要する。しかし、その結果は今後の人類のあり方にも関わる。戦争、紛争、天災など、多くの危機に直面する世界は、愚かな戦争に終止符を打ち、人類の進歩のために真になすべきことに尽力すべきだろう。教育はそのための柱となる。

始めるは遅きにしかず
身近な所に目を移そう。筆者の近くでも、90歳を超えて、小中学生の算数教室に通い、プールや体操などで、知力、体力の維持に努めている方がいることを知った。その意味や背景を知った子供たちが、大きな尊敬の念で見ていることは間違いない。彼女は70歳代からこうした努力を個人として続けてこられた。さらに、生活に困窮する人たちのために月に1度、バザーを開くなどで社会貢献にも尽力されている。

改革の手がかりは、足下にもあるのだ。政府が十分に対応できないならば、個人が努力する以外に、眼前に広がる危機に立ち向かうすべ、方策はない。AIの変化も目を見張るばかりの速度で進んでいる。生成AIのいくつかの成果は、実際に使ってみて圧倒される。しかし、その結果がどれだけ正しいものか、判定は困難なことが多い。技術の変化に翻弄されないうちに、人間が技術を制御できるシステムの確立も必要と実感する。しかし、今や頸木が外れたような急速な技術の進歩に人間は対応できるだろうか。疑問は尽きない。


REFERENCES
“Can you read as well as a ten-year-old?”   The Economist 14th-20th 2024

Adult skills in literacy and numeracy declining or stagnating in most OECD countries the second OECD Survey of Adult Skills 10th 0ctober 2024

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パリでウエイターとなる

2024年12月05日 | 書棚の片隅から


A waiter in Patis
Edward Chisholm, A Waiter in Paris: Adventures in the Dark Heart of the City, London:Monoray, 2022, cover

現代の世界を見渡して、パリほど華やかさや活気で溢れた都市は少ない。世界中から観光客ばかりでなく、この都市で働きたいとやってくる人たちも多い。

今回は、エドワード・チザム Edward・Chisholmなるイギリス人の若者が、ロンドンで就職できず、将来が見通せないままに、失意の身でパリのレストランでウエイターとして働くことを目指し、信じがたい環境の下で働き、記した体験記を紹介したい。本書は2022年に刊行以来、大きな注目を集め、ルポルタージュ文学の傑作とされたジョージ・オーウエル『パリ・ロンドン放浪記』(原著1933年、岩波文庫、1989年)に匹敵する現代版とも言われ、ベストセラーとなった。

waitingの語源(本書巻頭)
waiting noun
 BrE/weiting/
      1. the factor of staying where you are
         or delaying doing something until 
        somebody/something comes or 
            something happens
       2. the fact of working as a waiter or waitress
 
Oxford Advanced Learner’s Dictionary

ジョージ・オーウェルGeorge Orwell(1903―50)は、イートン校卒業後、インド帝国の警察官としてビルマに勤務した後、は1927年から3年にわたって自らに窮乏生活を課す。その体験をもとにパリ貧民街のさまざまな人間模様やロンドンの浮浪者の世界を描いた。人間らしさとは何かを生涯問いつづけた作家の出発にふさわしいルポルタージュ文学の傑作とされる。

労働の世界の底辺で
レストランという、人々にエンターテイメントを提供する<労働の世界>で働くことが、いかなるものかを考えてみたい。世の中に大企業などの組織で働く人たちの世界を描いたルポルタージュ・ドキュメントは多いが、レストランという表面的には華やかな働き場所に覆い隠された非人間的な実態を描いた作品はさほど多くはない。

例を挙げれば、上掲のジョージ・オーウエル『パリ・ロンドン放浪記』に加え、日本では鎌田慧『自動車絶望工場:ある季節工の日記』(講談社文庫、1974年)などが思い浮かぶ。

筆者チザムは、イギリスで高等教育(London School of Orienta and African Studies)
の過程を修了した後、ロンドンで職探しをしたが、適職に就けず困窮し、再起して自らの夢を実現しようと、2012年、パリへ赴いた。職探しをするが、良い職業に出会えない。仕方なく、イギリスから見ると、華やかさなどで、しばしばファンタジー化されていたパリの有名レストラン Le Bistrot de la Saine (仮名)に職を得る。しかし、そこはかねて思い描いた光の当たる華やかな場所とは程遠い、厳しくも冷酷で非人間的な階層社会であった。

フランスで働き暮らす際の気が狂いそうな官僚主義、例えば社会保障番号を取得することの煩瑣な手続きや、賃貸住宅に入居する場合、所有者にle dossier (家主の証言を含む賃貸履歴のフォルダー)を提示することの不合理など、パリで働くことに関わる多くの煩雑さが描かれる。

現在のパリは、もはやピカソやヘニングウエイの時代とは大きく異なったものになっている。ブールヴァルやきれいな公園はガイドブック上のものだ。この都市に住んでみると、街路や住居がゴミその他で、ひどく汚れていることにも気づく。歩道にダンボールやごみが散乱した街だ。

テーブルと椅子、さまざまな客たち
着飾った客たちがさんざめくパリのレストランのテーブルは、食器の触れ合う音、人々の話し声、ワインの香りなどで満ちたいわば表舞台、劇場である。そこは、さまざまな国から集まる、階層も異なる客たちと、ウエイター、シェフたちとの間で虚々実々の会話が交わされる舞台なのだ。

白いエプロンなど、ユニフォームを身につけたウエイターは、しばしば 20−30代の若者には憧れの職業といわれる。

しかし、チザムが割り当てられた仕事は、調理場と客席まで料理の皿を運ぶ runnerと呼ばれる文字通り最低の内容だった。ここでの労働に支払われる賃金はあまりに低いため、彼らは客からのティップが期待できるウエイターを目指し、日々、虚々実々の戦いをしている。着飾った客たちが賑やかに食事を楽しむテーブルは、ウエイターにとっても客層の嗜好に合わせ、<外交的な>会話を楽しむ場のように見えるが、内実は人間の醜さ、利己的野心など、さまざまな欲望が渦巻く場所でもある。

いかにすれば、客たちに楽しい一時を過ごしたと思わせるか。適切な話題、間の取り方など、応対の仕方にも多大な蓄積が必要となる。ティップについても、例えば、有名人は日頃、タダで欲しいものが手に入ることもあって概してケチだ。アラブ人は小銭を持っていないことが多いなど・・・・・・。

Q:一般にフランス人はほどほどにしか払わないが、最も高いティップを払う客層はどこの国から来た人か(Q1)。ヨーロッパの客の中で、少しのティップしかくれないのは?(Q2) 外貨の交換レートを間違え、時に高いティップを払っているのは?(Q3)。[答:  Q1. 日本人、ブラジル人、Q2, フランス人、オランダ人、Q3. アメリカ人]

その日暮しの日々
反面、料理を作るキッチンはさまざまな食材、調理の匂いに溢れ、コック長を頂点として幾重にもなる階層で構成される働き手がざわめく場所であった

レストランの裏側に当たる調理場は、別の世界だ。想像とはおよそ異なる厳しい労働環境で、賃金は最低であり、家賃や高い生活費と不安が常に重なり合い、日々再計算しながら働いているような状況だった。厳しさに耐えかね、仕事を辞める人も多い傍ら、チザムは過酷な重圧に耐えながらも、パリのサービス業の一端で当初の目的を成し遂げようとする。

夢を叶えたいとパリでやっと辿り着いた賃金は、月額税込みで€1086.12だった。1日14時間のシフト、週6日勤務だった。職場での食べ物といえば古くなったロールパンかディナーの残り物。彼のわずかな慰めは、タバコだけだった。

テーブルでは顧客からの屈辱、とりわけ何度でも突き返してくるセレブの客、嫌なら辞めろとばかり、ひどい対応をする使用者、騙しあい信用できない同僚など、想像し難い日々が続く。一見、綺麗に整頓、セットされたレストランのように見えても、内実は恐ろしく汚れたキッチン、掃除したことのないようなカーペットなど、全てに耐えねばならなかった。

ウエイターとして過ごした間に、チザムは得難い教訓も得る。フランス固有のエティケット、人々の個性の相違、世界でも有数の生活費が高い都市て生き抜くさまざまな術を学ぶ。

我が物顔に振る舞う客たち、横暴な雇い主, 信用できない同僚・・・・・。実際、彼の周りのウエイターと言ったらナルシスト、麻薬の売り手、滞在許可証を持っていない移民、元外国人部隊兵士、脱走兵などまで混じっていた。30歳代の若者たちが多く働く場所ではあるが、人生について展望を持たない者には出口の見えない地下の底にいるような感じさえ与える。しかし、そこでも人生で得難い友情を感じた同僚もいた。

本書は、読者としてチザムの経験した苦難に、憐憫の情を共有させることとは別として、ただ若く高等教育を受けていても、それだけでは現代の厳しい世界を生き抜いてゆくことは非常に難しいことを示唆している。

パリのレストラン・ウエイターのような世界がどの程度存在し、執拗に存続しているのか、その仕組みは分からないことが多い。しかし、20ー30代の若者にとって、秩序のようなものがなく、希望を抱かせないような仕事の雰囲気が良く伝わってくる。ともすれば、数字ばかりに目を奪われる労働経済の分析では、到底分からない現実がそこにある。

チザムは、結局7年近くパリに住み、ウエイター、バーの下働き、美術館の警備など、さまざまな劣悪、低賃金、そして働き続ける意義を感じさせないような仕事で働いた。それらが無益な経験ばかりであったわけではない。他では到底得難いものも学んだ。そして、今はイギリスに戻り、文筆業として生きる道を模索し始めたようだ。

本書の成功で、彼はその一歩を踏み出したといえる。

パリという現代資本主義社会の只中にある大都市で、30代の若者が将来のキャリアを模索しながら、レストランという「食物連鎖の末端」と言われる場で働くということが、いかなることを意味するか、多くの暗闇と僅かな光がそこにある。


A waiter in Paris
Edward Chisholm, A Waiter in Paris: Adventures in the Dark Heart of the City, London:Monoray, 2022, pp.370

Contents
INTRODUCTION
AMUSE-BOUCHE
L’APERITIF
LA SOUPE
L’ANTREE
LE PLAT PRINCIPAL
LE FROMAGE
LE DESSERT
LE DIGESTIF
ACKNOWLEDGEMENTS
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