ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
『ヨブとその妻』部分(上半分)
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今年の夏の異常な暑さにとりまぎれて、このブログでは中途半端のままに放置されているシリーズが2,3ある。そのひとつは『ヨブ記』の解釈をめぐるデューラーやラ・トゥールの位置づけである。これまでの話と少し重複するが、おさらいしながら続けてみたい。
『ヨブ記』におけるヨブとその妻の世俗の評価は、17世紀になってもかなり固定したイメージであったようだ。要約すれば、ヨブの妻は、ヨブが財産や家族に恵まれ、豊かな暮らしをし、家族も健やかにあった時には良き妻であったが、ヨブが神の手先のような専横な振る舞いをするサタンの横暴、非道な策略によって、すべての財産を奪われ、子供たちも失い、家庭も破壊されてしまうと、冷酷無情に夫を嘲罵する悪しき妻に変貌してしまったというストーリーである。
広がってしまった世俗的理解
中世以降、世の中に広まっていたこうした一般的理解に従って、多くの画家たちも、ヨブをひたすら神への信仰を失うことなく、いかなる苦難にも耐え忍ぶという忍耐の権化のようなイメージで描いた。持てるもののすべてを失い、炎天下で堆肥や塵芥溜まり(ラ・トゥールの場合は(塵芥桶)の上に座り、ひどい皮膚病に苛まれながらも、土器のかけらでわが身をかきむしって苦痛に耐えているという姿だ。他方、ヨブの妻については、苦痛に苦しむ夫ヨブをいたわり、励ましてもよいはずなのだが、夫の神への疑心のまったくない信仰の姿にあきれたのか、嘲罵の言葉を投げかけるまでになる。
世俗の世界の話に置き換えてしまえば、ヨブの妻の対応も理解できないではない。設定さえ変えれば現代でもあり得る話ではある。ヨブの妻はそれまでの幸せな妻としての座を失い、ひたすら神への信仰に心身を捧げてゆくヨブのあり方に愛想がつき、切れてしまう。世俗の妻であったならば、さもありなんと思われる。かくして良妻賢母のイメージはたちまちにして悪妻へと反転、転落してしまう。『ヨブ記』では主役はやはり信仰篤いヨブであり、妻は脇役の位置にある。そのため、妻はヨブを引き立てるような役割を負わされてしまった。画家や後世の美術史家たちの関心は、ヨブにひきつけられてしまった。
ヨブの妻はその後しばしば年老いた女の姿で描かれることになる。しかし、『ヨブ記』には、ヨブがサタンに打ち克ち、神の信頼を確保し、かつての幸せな生活を取り戻した後における妻のことにはなにも記されていない。ヨブのもとを去ったとも描かれていない。聖書の話だから、すべて仮想の組み立てである。
ラ・トゥールの新しい試み
ここで、ラ・トゥールの『ヨブとその妻』を画題としたと思われる作品について、立ち戻ってみる。この作品に最初に接した時に、作品の与える不思議な美しさに感動させられた。
デューラーをやや別とすれば、従来の画家たちによる『ヨブとその妻』を題材とした作品とラ・トゥールの大きな違いは、次の点にあるように思える。(1)ヨブと妻との対話の構図の形成、(2)妻の容姿が大変美しく描かれ、醜い年老いた女性のイメージではまったくない。少なくもヨブと対等する位置が与えられている。一見すると聖職に携わっているような雰囲気さえ見る者に感じさせること、そうだとすれば、(3)妻の社会的役割はなんであるのか、ラ・トゥールは『ヨブ記』の伝統的解釈にいかなる革新を導いたのかなどの諸点に関心が集中する。
第一のヨブと妻の対話の構図については、この主題を絵画化した16-17世紀の作品のほとんどは、肥料桶や堆肥などの上で、皮膚病とたたかいながら、神の真意を深く考えているヨブの姿(多くは下を向いて考えている)に対して、妻とおぼしき年老いたあまり美しいとはいえない女性が、厳しい形相で対している構図である。そこに見られるのは神から苛酷な試練を課せられた夫ヨブに、口汚く罵り、あざけるような表情である。
これに対して、ラ・トゥールの作品では、神へひたすらの信仰心を抱いて苦闘している夫と、その様子を憂い、真意を確かめに来た妻という対話の構図が初めて採用されている。
従来の画家の作品では、ヨブは炎天下の堆肥などの上で皮膚病に苦しみながら、下を向いて、じっと耐えているポーズが多い。他方、妻はすっかり切れてしまって、夫を嘲笑するみにくさが前面に出た姿で描かれてきた。
さらに、16-17世紀の絵画では、ヨブに計り知れない苦難を与えているサタン(悪魔)のような奇怪な存在もしばしば大きく描かれている。デューラーの作品にも、よく見ないと気づかないほど小さな姿ではあるが、サタンとみられる怪しげなものが背景に描き込まれている。しかし、デューラーの場合は、妻が炎天下のヨブに桶で水をかけてやっている構図であり、ヨブを嘲るような表情ではない。妻の衣装もルネサンス風の美しいものだ。ヨブとその妻をめぐるストーリーの受け取り方は、時代が経過しても地域や画家の受け取り方次第で大きな差異がある。ラ・トゥールと同時代のジャック・ステラはヨブを嘲笑する妻という従来の解釈をそのまま受けとっている。16-17世紀の画家たちはほとんどがヨブの妻を年老いた美しくない女性として描いている。
デューラーとラ・トゥールの間には、およそ1世紀近い時空の経過がある。ラ・トゥールがデューラーの作品(祭壇画)を見る機会があったか否かについては、確たる証拠はなにもない。しかし、デューラーという偉大な画家についての情報は、カラヴァッジョについての情報同様に、ラ・トゥールが生きたロレーヌの地にも届いていた可能性は高い。ヨブとその妻を題材としたデューラーの作品には、前回記したように,右側にヨブを慰める楽師たち(そのひとりはデューラー自身の像といわれる)が描かれていた。この作品にはひたすら苦難に耐えるヨブを慰めようとする画家の心情がこめられているように思われる。炎天下のヨブに水をかけてやる妻にも、嘲笑や愚弄の色はない。背景に描かれている悪魔のごとき存在も、次第に小さくなっている。ヨブの忍耐と信仰の篤さが、勝利を収めようとしていることを暗示していると考えられないか。
デューラーからほぼ1世紀を経て、ラ・トゥールは同じ主題を取り上げた。ラ・トゥールはいわば17世紀ヨーロッパ画壇にひとつの革新をもたらしていた。この画家は決して安易に時流に流されなかった。同じ主題であっても、深く考えていた。長い因習にとらわれていた人々には、その点が読み抜けなかった。そのこともあって、この美しい作品は、長い間画題が定まらず、『天使によって虜囚の身から救い出させた聖ペテロ』といった誤った評価すら与えられてきた。
ラ・トゥールのこの作品を理解するには、描かれた新しいヨブの妻のイメージについてさらに踏み込む必要があるだろう。そのためには、ヨブと彼の妻が置かれた社会的位置と役割について、バランスのとれた理解が求められる。
続く