時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

トランプ大統領選出の明暗(1)

2017年01月22日 | アメリカ政治経済トピックス

 

J.D. Vance, Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis, New York: Harper, 2016, cover

トランプの強い支持層となった貧しい白人労働者階級 Hillbilly *の生い立ちからその盛衰を、自らの個人的体験から哀愁込めて描いたベストセラー。
著者のJ.D.Vanceはアパラチア・ヒルビリーの家系を継ぎ、オハイオ州の地方都市ミドルタウンの極貧の家庭に生まれ育ち、貧しくほとんどどん底状態にまで低落し、家庭崩壊した環境から努力して這い上がり、オハイオ州立大学、海兵隊、大学復帰後、名門イエール大学ロースクールを卒業、弁護士となり、シリコンバレーのIT企業のプリンシパルまで上り着いた。その生い立ちから今日までが感動的に描かれ、極貧の状態に落ち込み、社会的上向の道をほとんど閉ざされた白人労働者階級実態を赤裸々に伝える。  

アメリカ南部アパラチア山脈南部山地の出身者。低所得層が比較的多いこともあって、「プアーホワイト」とほぼ同義語で使われてきた。しばしば侮蔑的ニュアンスを帯びているため、近年では「ポリティカル・コレクトネス」political correctness(PC) として、「人種差別、性差別などのあらゆる面で自尊心を傷つけると解釈されかねない言葉は使用を控えるという社会的運動」の対象語になることもある。しかし、本書は著者自身が自著の表紙タイトルに使用している。歴史的にも特別の概念として使用されてきただけに、言い換えることはかなり難しい。日本人にはなかなか分かりにくい概念。


予想を次々と裏切りながら、ついに大統領の座にたどり着いたドナルド・トランプ氏。彼の当選を支えたのはアパラチアン山麓の「プアーホワイト」と言われてきた白人貧困層 poor white につながる中西部「ラスト・ベルト」rust belt の衰退工業地帯に働く白人低所得層労働者と言われることが多い。彼らは一体いかなる人たちなのか。その実態は必ずしもよく理解されていない。実はアメリカにおいても、人によって「プアーホワイト」のイメージは異なり、これまで正しく理解されてきたとは言い難い。その背景には、人種や居住地、教育レベルなどに関わる複雑な歴史的、政治的要因があった。トランプ当選後のアメリカの受け取り方を伝える番組「ザ・リアル・ヴォイス」2016年1月22日NHKBS1)*を見ながら考えた。

白人貧困層 poor white とは
 アメリカでは「貧困」poor は長らく「黒人」black と結びつけて考えられてきた。貧しいが故に福祉 welfare を享受していると想定されるようになった黒人、そうした環境を作り出している貧困の実態は、半ば固定化されたイメージを形成してきた。貧困を生み出す原因として、しばしば理由なく怠惰や無教育とも結びつけられてきた。このごろでは African Americans 「アフリカ系アメリカ人」と呼ばれることもある黒人だが、都市のスラム街の社会的病弊と結びつけられることも多かった。

 しかし、現実には「貧困な白人」poor whiteの方が、「貧しい黒人」を数の点でも上回っていた。アメリカでは長らく先に新大陸に来た者ほど社会階層でも上位につく可能性が高いと想定されてきた(トーテムポール)。アングロサクソン、ホワイト(白人)、次いでイタリアなど南欧、ルーマニア、ポーランドなど東欧からの移民、そしてかなり後になってアジア系、ヒスパニック系(中南米諸国)が位置するとされてきた。しかし、アメリカの先住民族(通称アメリカ・インディアン)と黒人(奴隷として連れてこられた人たちの末裔)はしばしば社会階層の最底辺に位置づけられてきた。こうした階層イメージは、公民権法の成立などによって多少の改善を見た後でも、根強く人々の心底深く残っていた。

 本ブログの筆者は大学院生であった1960年代、東部ニューイングランドから南部への産業移転(特に木綿繊維工業)を調査・研究していた。当時は、J・F・ケネディが暗殺(1963/11/22)された後を継承したリンドン・ジョンソン大統領が「偉大な社会」(Great Society)と題した政策を掲げ、民権の確立と貧困の撲滅を目指す「貧困への戦い」と名付けられたリベラルな政策を展開しつつあった。他方、ケネディ政権から受け継いだヴェトナム戦争への軍事介入・拡大で、国内に激しい反戦運動の展開と世論の分裂をもたらしていた。

'poor white'の淵源
 当時のアメリカで最貧困地域とされていたのは主として東部のアパラチア山脈のおよそ2600キロメートルに及ぶ山麓地帯であり、そこに住む極貧層の白人だった。アパラチア山脈についてはブログで記したこともあるが、北はカナダから南はアラバマ州まで続く山脈である。この地域の住人は長らく他地域から孤立、歪曲されたイメージや作り話で、しばしば固定化した実態として眺められてきた。彼らはpoor whiteと俗称されるとともに、しばしば hillbilly (貧乏人;蔑称)と呼ばれて蔑まれてきた。石炭など、豊富な天然資源に恵まれた地域であったが、現実には、「カンパニータウン」と言われる地域の会社が、住民の生活を実質的に管理する他地域からも隔離されたような貧困地域だった。住民は貧困に苦しみ、アメリカン・ドリームからは遠く隔絶された停滞そのものともいうべき地域であった。1960年代から1970代にかけて多くの社会学的調査が行われ、これらのステレオタイプ化したイメージはかなり払拭されてはいた。

 ヒルビリー(貧乏人)と俗称された彼らは、レッドネック(無学な労働者)、ホワイト・ラッシュ(白いゴミ)などとも呼ばれていた。その後、政府の政策的後押しなどもあって、数少ない志のある若者などは北に向かい、五大湖周辺のオハイオ、ペンシルヴァニアなどの工業州へ向かった。そしてかなり長い年月をかけて鉄鋼、自動車、製紙業など、当時のアメリカを支えていた製造業などで仕事の機会を見出してきた。しかし、そこまでたどり着けた者は数少なかったし、貧困の罠から脱却できた者は数少なかった。ベストセラー『ヒルビリー・エレジー』の著者ヴァンスのように、極貧で家庭も崩壊した中から、大きな個人的努力と偶然のように出会った様々な支援者などの励ましもあって、「アメリカン・ドリーム」を体現できた者の成功事例は、極めて稀であり、それだけに大きな注目を集めたとも言える。地域の他の人々に同じようなキャリアを期待することは無理だろう。

貧困の罠から脱却できない人
 さらに、彼らが確保したと思われた安定した雇用の機会は、その後グローバル化した競争に敗退した企業が密集する「錆びたベルト」rust belt と称される衰退地域へと変化する過程で、劣悪な雇用機会しか存在しない新たな貧困地帯へと変わっていった。「貧しい白人」の住む地域はこうして中西部へ拡大し、新たな問題を生み出してきた。

 かつてのデトロイトに象徴される自動車産業は、今日においても地域再生の鍵を握っている。電気自動車、ナノテクノロジー、情報技術などの関連産業が活性化し、新しいタイプの雇用機会を創出することができれば、再び輝いた産業地域へと復活しうる素地は残されている。

 トランプが大統領選で強調したのは、こうした地域へ保護主義という強引な手法で流出した産業を引き戻し、仕事を創出させることであった。トランプはそれを古いタイプの労働者に分かりやすい、間の説明を省いた表現で示したのだ。労働者たちはその直裁な表現に幻惑され、トランプを支持した。しかし、具体的な政策がほとんど示されていない。新産業の誘致、労働者の再教育、労働条件の改善など、地域再生には多くの時間を要する極めて困難な課題が残されている。この道はかつてアメリカ資本主義が歩んだ道への復活を目指したものであろう。トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」などの歯切れの良い発言に幻惑されている間は、いっとき生気が戻ったかに見えるかもしれない。しかし、その先には新たな深い闇が待ち受けている。

続く


2024年7月21日、Hillbilly及びpolitical correctnessについての部分追記。

 


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