時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

トリーアのマルクス像は何を考えているのだろうか

2018年05月13日 | 午後のティールーム

 

ポルタネグラの内庭 

やや旧聞になるが、去る5月5日、ドイツ連邦共和国西部ラインラント=プファルツ州のトーリアで、カール・マルクスの銅像の除幕式が行われた。除幕式には欧州委員会のジャン=クロード・ユンケル委員長やドイツ社会民主党のアンドレア・ナーレス党首などが出席した。銅像は5.5メートルもあり、寄贈者は中国政府であった。

この町には世界的思想家、哲学者、革命家のカール・マルクスの生家Karl-Marx-Haus があり、今は小さな博物館になっている。しかし、ここは主として観光の場に過ぎず、マルクスの生家を尋ねても、落ち着いて彼の生涯や思想について考えたり、広い思考基盤が得られる場ではなかった。今は中国人観光客の「赤いツーリズム」が押し寄せる場所だ。1966年に始まる文化大革命によって、世界史などの歴史教育をかなり削減されてきた多くの現代中国人にとっては、この地が誇る古代ローマの遺跡よりもはるかに親しめる場所なのだろう。

それにしてもマルクスの銅像を中国政府が寄贈した意図はなんなのだろう。中華人民共和国は依然マルクス=レーニンの政治思想の忠実な追随者とでもいうのだろうか。過去はともかく現代中国は新たな皇帝ともいうべき習近平国家主席が支配する一大帝国だ。トーリアを「一帯一路」のショーウインドウの一つとするつもりでもないだろうが、やや出すぎた思いがする。「赤いツーリズム」の増加は、日本で起きた「爆買い現象」を想起させ、地元経済には寄与するだろうが、違和感も少なからずある。

この地は、筆者も日独交流の仕事などで2度ほど訪れたが、何と言ってもこの町のアトラクションはポルタネグラに象徴される古代ローマ時代からの圧倒的な遺跡群だ。世界遺産に登録されている。

最近、短い旅の途上で、マルクス晩年の旅についての好著を読んだ。マルクスがトーリアにいたのは、生まれてから青年時代だけであった。それからのマルクスの広範な活動は、パリ、ロンドン、などへ移行してる。個人的にはマルクス像はロンドン、カジノ資本主義の関連でモンテカルロあるいはヴェヴェイ(オードリ・ヘプバーンやチャップリンが最い後を迎えた所)などが設置するにふさわしいと思う。ちなみにマルクスのお墓はロンドン郊外ハイゲート墓地にある。

 Hans Jurgen Krysmanski, DIE LETZTE REISE DES KARL MARX (ハンス・ユルゲン・クリマンスキー著、猪俣和夫訳『マルクス最後の旅』太田出版、2016年)
カール・マルクスが晩年の1982年から1983年までロンドンからパリ、マルセイユ、アルジェ、カンヌ、モンテカルロ、アルジャントゥイエ、レマン湖畔ヴェヴェイ、ワイト島ヴェントナーを経て、ロンドンの自宅で逝去するまでの旅におけるマルクスの思索を追ったユニークな作品だ。翻訳書だが、大変丁寧な翻訳と構成で好感を抱いたが、翻訳者の猪俣和夫氏は新調社校閲部におられた本づくりのプロフェッショナルであった。この作品には筆者も訪れた地が多数含まれ、極めて興味深かった。映像化のための素材集めから始まったと言われる本書は、一瞬、
あの『パンディモニアム 』を思い起こさせたほどだ。

閑話休題。

トリーアといえば、やはりポルタ・ニグラ Porta Nigra 『黒い門』であることはいうまでもない。古代ローマ時代の建築物群でユネスコ世界遺産に登録されている。当初、186-200年頃にローマ市壁の北門として建造されたが、その後の歴史でさまざまに改変された。今日では城門跡としてトーリアを象徴する観光スポットになっている。最初訪れた時は、その異様な黒さに圧倒されたが、2千年近い時の流れの生み出したものに次第に深く引き寄せられていった。



公衆浴場跡


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