梅雨入り前、快晴のある日、東京湾上へ出る。かねて遺言書に記載されていた友人夫妻の希望により、海上での散骨の式を執り行うためである。妻はすでに数年前に世を去っていて遺骨として保管されてきた。夫はコロナ禍の初期に別の病いで死亡したが、コロナウイルスの感染予防のため遺言が実行できずにいた。今春になり、新型コロナウイルス対策としてのワクチン接種も実効性が期待できるまでになり、ようやく実行可能になった。
参加者総数30人くらい、晴海の埠頭から沖合へ向かう。空も海も青く、気温は28度近く真夏を思わせるほどだが、甲板に吹く風は爽やかで心地よい。
船はひたすら白波を立てて東京湾沖合へと向かう。散骨が許可されている地点までは一時間近くかかる。あたりの沿岸は工場や高層マンションが立錐の余地がないくらい立ち並んでいる。ガントリー・クレーンが立ち並ぶ地域もある。近くの羽田空港から発着する航空機が、はっきりと確認できるような低空で行き交う光景を見ることができる。洋上はるか遠くには、かなりの大型船が航行しているのもはっきり分かる。
一時間近く海上を航行した後、しばらく停船し、散骨の儀式が執り行われた。夫妻共に弁護士として、社会的弱者と言われる人たちの地位改善のためにその一生を捧げた生涯だった。二人共に死後の遺骨の取り扱いにはほとんど固執していなかった。海上での散骨は夫の遺言に記されていた。生前、本人も時々口にしていたことだった。
高齢化、新型コロナウイルスの感染拡大が続くこの頃では、こうした葬祭の形も増えているようだ。
晴天に恵まれ、波も静かで、船は散骨の地点を旋回して帰路に着いた。広々とした海上の空気にも助けられて、参加者の雰囲気も爽やかに感じられた。
東京オリンピックの招聘・歓迎マークに出会ったが、心なしか華やかさを欠いていた。散骨の形での葬祭は、海上ばかりでなく、陸上でも構想、実施されているが、終活のひとつの形が現実味を帯びて迫ってきた。大海原に戻るのも良いかもしれないという思いが強まってきた。