時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

「最後の審判」:プランタンの祈願

2009年11月24日 | 絵のある部屋

Jacob de Backer(b.1555/60, Antwerpen, d.1585/90 Antwerpen)
The Last Judgement c.1580 Oil on panel, 140x105cm (center panel), 140x52cm(wings) O.-L.
Vrouwekathedraal, Antwerp


 クリストファー・プランタン、前回ブログで取り上げたアントウエルペン(今日のベルギー、アントワープ)を活動の拠点として、16世紀激動のヨーロッパを舞台に縦横に生き、名を成した一大印刷・出版業者である。貧しい農民の子から身を起こし、ある時は人違いといわれるが暴漢に襲われて、命にかかわるような大きな怪我を負ったりもした。カトリック信者であったが、一時は異端審問に付され、追求から逃れるためパリへ身を隠したこともあった。それにもかかわらず、終生アントワープを拠点として自ら目指した印刷・出版事業の拡大へ全力を尽くした。

 努力と強い精神力で、多くの苦難を切り抜け、成功した実業家であった。この16世紀の乱世を生き抜いた希有な人物が、その晩年に自分の死後や家族になにを望んでいたか。それが推測できれば、大変興味深い。気づいた点だけをメモ代わりに少し記したい。  

 プランタンの生きた時代は、ネーデルラント独立戦争の最中、聖俗双方の世界に関わる激しい戦いが続いていた。カトリック・スペインの支配下にあったアントワープで、プランタンは斬新な印刷技術の実用化に努め、単に印刷ばかりでなく、出版の世界でも瞠目する大きな成功を収めた。宗教的にはカトリック世界を背景に、「多国語対訳聖書」(ポリグロット・バイブル)を始めとして多くの書籍の印刷、販売を展開した。あのメルカトール図法の地図の販売も任せられていた。

 プランタンの強い進取の気性と行動力は、ローマ教皇庁やスペイン・フェリペ二世などの支援を取り付ける傍ら、スペイン支配から独立を志すユトレヒト同盟の仕事も引き受けるという、したたかな仕事を支えた。
そして1589年に死去するまで、アントワープで仕事を続け、印刷・出版の事業で大きな成果を残した。

 名声と成功の双方を手にした実業家が、晩年を迎えて考えたことは、アントワープの教会への宗教画の寄進だった。当時の成功した市民の間で見られたひとつの慣わしだった。カトリック教徒であったプランタンが考えた画題は、「最後の審判」The Last Judgementであった。祭壇画の制作を依頼した画家は、当時のアントワープですでに著名になっていた若手のヤーコブ・デ・バッカー Jacob de Backerだった。

 制作された作品は、プランタンの死後、教会祭壇に飾られる予定だったとみられる。3連から成る祭壇画の中心部分は、1589年のプランタンの死の前に完成していたとみられる。ただし、作品の両翼の部分は、恐らくプランタンの死後、寄進者の生前の意を体して別の画家によって追加されたのではないかと考えられている。ちなみにバッカーは大変売れっ子の画家であったようで、過労の故か30歳という若さで世を去っている。 

 作品「最後の審判」の場で、キリストは中心の雲の上に描かれている。周囲には多数の聖人が描かれているのが分かる。左の部分には、青色の服のマリアと赤色の服のヨハネ、右側には石版を持ったモーゼが描かれている。キリストの足下にはトランペットを吹く天使など、エヴァンジェリストの象徴が描かれている。さらに天国へ導かれる者と退けられる者が描かれている。 

 寄進者のプランタンは左翼パネルに描かれている人物である。傍らに描かれた子どもは夭折した息子クリストファーであり、それを示す赤い十字がつけられている。幼いキリストを背中にした聖クリストファーがその背後に位置している。

 右翼にはプランタンの妻と六人の娘、その内一人は夭折したといわれる。そして守護聖人洗礼者聖ヨハネが背後に描かれている。

 両翼の部分は後に追加されたとしても、16世紀末ヨーロッパという聖俗双方の世界が大きく揺れ動いていた時代を、自らの努力と堅忍不抜の精神で生き抜いた人物が、晩年に思い描いていたことが「最後の審判」であったことは大変興味深い。当時のアントワープを中心とするフランドル地方は、カトリック、プロテスタントの対立がきわめて厳しかった地域であった。とりわけ、ネーデルラント独立の宗教的支柱となったプロテスタント、カルヴァン派の教義は、勃興する資本主義の精神的基盤を準備したとまでいわれてきた。カトリック、プロテスタントが対立し、複雑な風土を形成していたアントワープの地で波乱多い人生を貫いた一人の実業家が最後に思ったことが、自分と家族の「最後の審判」の場への願いであったことは、多くのことを考えさせる。

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