時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

『ガリレイの生涯』(文学座)を観て

2013年06月17日 | 午後のティールーム



ガリレオ・ガリレイの墓
Source: The Galireo Project



 
列島に熱波が襲来していた一日、文学座『ガリレイの生涯』(ベルトルト・ブレヒト)を観た。演劇や文学とはまったく異なる分野で生きてきたのだが、いつの間にか過ぎた長い人生の幕間に、かなり多くのブレヒト劇や作品に出会ってきた。結果として、時にブレヒト研究者が見なかったものまで見てしまった。


 その源を考えてみると、ブレヒトを専門とされた先生に偶然師事したこと、両親の影響、ドイツやイギリスのブレヒト好きな友人たちなど、いくつかの要因が重なり合っている。ガリレオ・ガリレイと同時代のロレーヌの画家の世界(ガリレオとラ・トゥールはまったくの同時代人)、ブレヒトのアメリカ亡命に関わる資料などなど、予想外に多くの断片がいつの間にか私の周囲や脳細胞に堆積してしまっていた。興味に惹かれて自分の専門とはおよそかけ離れた資料まで手にしていた結果でもある。あるブレヒト専門家とブレヒトの周辺文献について雑談をしていて、その本、私に貸してくれませんかと頼まれ、一寸驚いたこともあった。

 文学座公演の幕間に、ブレヒト研究者が少なくなってしまってという劇団の方のお話があった。そういえばそうだなあと思う。演劇が専門ではないので正確には分からないが、思い起こすと、日本では千田是也、岩淵達治、栗山民也、串田和美、松本修などの演出家の方々による舞台をその時々の興味にまかせて観てきた。しかし、それほど多いわけではない。今回も岩淵達治氏の訳による上演と聞いて、久しぶりに観てみようかと思い立ったのだが、残念にも氏は上演を目前にお亡くなりになった。ただ、ご冥福をお祈りするばかりである。

 文学座がブレヒトの『ガリレイの生涯』を上演するのは今回が初めてと聞いたが、舞台装置もシンプルで全体が見やすく、俳優さんたちも生き生きとして大変素晴らしかった。多少生硬な台詞も次第にこなれて行くだろう。演劇の題名だけを聞くと、なにか堅苦しく、惹かれないかもしれないが、とりわけ若い世代の人たちにぜひ観て欲しい作品と思う。

 このブログを訪れてくださっている方にはある程度伝わっているかもしれないが、この作品はきわめて大きな広がりを持っている。主人公ガリレオ・ガリレイが生きた17世紀は「危機の時代」として知られてきた。最近の研究では危機の範囲は単にヨーロッパにとどまらず、地球規模のものであった。ガリレオ・ガリレイの舞台はイタリアであったが、瞬く間に問題は広くヨーロッパに拡大した。そしてグローバルな次元へと。  

 ベルトルト・ブレヒトが生きた時代は、世界大戦という人類を破滅に導きかねない危機の時代だった。管理人もそのある部分を体験共有した世代だ。今でもどういうわけか時々目に浮かぶのは、ベルリンのカフェで外国人の私に、頼みもしなかったのに、わざわざベルリンの置かれた現状、そして彼の個人的事情までも訴えるように話してくれた隣席のドイツ人の若者の姿だ。その話は彼の置かれた状況自体がきわめて切迫していたことを感じさせた。私自身も20代と若かったのだが、彼は内にこもってどうにもならなくなった心の苦しみを外国人である私に話すことで、少しでも重荷から離れたいと思ったのだろう。後になって、そうとしか考えられないきわめて異様な体験だった。

 そして、別の時、西ベルリンの展望台から壁越しに見た東ベルリンの荒涼とした光景。監視塔にいる東ドイツの守備兵があくびをするのまで見えた。壁のそばにはそれを越えようとして射殺された人々への花輪が並んでいた。

 そして、現代が地球規模のさまざまな危機的状況にあることは、ここで述べるまでもない。このほぼ4世紀を貫いて波状的にわき上がる危機の根源への注視と探索は、この時代を生きる人々、とりわけ若い世代にはどうしても訴えておきたいことだ。現代の日本では、こういうと直ちに3.11に議論が向かってしまうことはいたしかたないが、危機の根源はそれだけではない。この意味では『ガリレイの生涯』のシナリオで異端審問の場が全体として比重が小さかったのが惜しまれた。ガリレオの運命を決めた生涯最大の転機でもあり、とりわけ日本人には多少分かりがたい部分であるからだ。現代世界においても、さまざまな異端審問がうごめいていると私は考えている。

 実はガリレオ・ガリレイについては、思い浮かぶことが多すぎる。熱暑が去って、頭が冷えてから少しずつ書いてみたいこともある。


イタリアとロレーヌ地方、天文学者と画家と、場所、職業は異なるが、ガリオ・ガリレイ(1564-1642)、ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1652)、ジャック・カロ(1592-1635)は、まったくの同時代人であった。とりわけ、ブログにも記したが、ガリレオ・ガリレイとジャック・カロは、トスカーナ大公の庇護の下に活動していた時期があり、お互いに知っていた可能性はきわめて高い。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 画家が見た17世紀ヨーロッパ... | トップ | 記憶の底から高まる時代の緊張 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

午後のティールーム」カテゴリの最新記事