時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

高学歴社会の断面:台湾に見る光と影

2005年11月05日 | 会議の合間に
広大な台湾大学キャンパス

「超学歴社会」の台湾


  10月末から再び台北へ出張する。1ヶ月に2度同じ国へ行くことは、過去には何度かあったが、最近では珍しい。前回と同様、今回も国際会議(国際労働法・社会保障法会議)での報告のためだが、立て続けに英語・中国語だけの会議が続くと、かなり疲れる。しかし、この国は幸いなことに日本語が堪能な人も多く、ほっとすることも多い。朝から夕方まで会議の後は、さまざまにもてなしてくれる。その暖かい歓待ぶりには感謝の言葉もない。しかし、翌日の準備などもあり、夜11時過ぎに、ホテルに戻るとブログを書く余裕もなくなってしまう。

  会議の合間のティータイムや宴会の折に、この国について色々なことを教えてもらう。そのひとつに、初対面の人と交換する名刺のことがある。前から気づいていたことだが、台湾や韓国では名刺に自分が卒業した大学、大学院、学位、肩書きなどを記しているいる人が非常に多い。中には過去の職位や兼職、名誉職など、表裏にわたって白地の部分がなくなるほど記載している人もある。これだけ自己顕示しないといけないのだろうかという思いがする。他方、日本でも政治家などに、「--議員」という肩書きと氏名だけを特大の活字で記載している人が多い。事務所の住所さえ記されていない。これも別の意味での強い自己顕示の表れである。

「高学歴病」のもたらすもの
  この点を隣に座った台湾の友人に話したところ、彼は競争が激しい社会での生存競争の一面という解釈を示してくれた。台湾はいまや世界一の超学歴社会であり、国民中学から高級中学及び高級職業学校等への進学率は約95%、高級中学から大学(含専科学校)への進学率は約70%に達しているとのこと。

  結果は歓迎すべきことばかりではない。就職市場は大学卒業者で溢れかえり、大学院、それも外国の大学などの学位がないと、就職試験の時も優位に立てないと、「高学歴病」の弊害を冗談まじりに話してくれた。うんざりするほど自己顕示しないと、目だたないのだ。

  かなり以前に閣僚を経験したある友人から、台湾の閣僚は、世界一の高学歴だという話を聞いたことがあった。そこで閣僚名簿を見てみるとほとんどが国立台湾大学を始めとする有名な大学卒、かなりの閣僚が修士・博士号の保持者ばかりであるのに驚いたことがある。現与党の民進党内閣でも陳水扁総統を始め、高学歴、弁護士などの資格保持者が圧倒的に多い。台湾では博士号がないと、大臣にはなれないと冗談もある。

高い進学率の先に見えてくるもの
  進学率が高まり、ほとんどの若者が大学へ行く時代になっても、有名大学を目指す動きは変わらないようである。以前より少し減ったような印象もあるが、街中には中高生を対象とした「補習班」と呼ばれる塾の看板が目立つ。このままではタクシー運転手に応募するにも大卒の学歴が必要になるかもと、冗談のようで現実味を帯びた話になる。

  さらに、学歴の高さだけでは差がつかなくなり、男だとハンサム、女だと美人でないと目だないという風潮が生まれているとのこと。個人の真の実力ではなく、学歴、容貌など形式的な面で人間を判別することに向かっていることが話題となる。 こうした社会的風潮を意識して、台湾でも入試制度の改革や大学の特色を生み出す努力が行われている。そして、受験生が自らの責任で理想の大学を選択できるようにと新たな方向設定が始まった。しかし、人間の評価ということの難しさを改めて感じさせられる。

  話題はたまたま台湾の変化についてであったが、日本も無縁ではない。名刺の表記から始まった話題が教育制度、人間の評価ととめどなく広がってしまった。
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