時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

画家が見た17世紀ヨーロッパ階層社会(10):ジャック・カロの世界

2013年06月12日 | ジャック・カロの世界

 

ジャック・カロ
クロード・ドゥリュ Claude Deruet (1588 Nancy-1660 Nancy) と息子アンリ・ニコラの肖像画
1632年

画像拡大はクリック(以下同様)



フランスの郵便切手にも採用されたカロの作品

 ガリレオ・ガリレイの世界については、考え出すと思い浮かぶことが多く、とてもまとまらない。文学座の公演を見れば、脳細胞も刺激され、雑念も整理されてさらに新たな発想が思い浮かぶような気もしている。ひとまずこのテーマの路線へ戻ることにしよう。

 ガリレオ・ガリレイも17世紀ヨーロッパ階級社会の一員であった。彼は天文学者で大学教授ではあったが、イタリアでの社会階層での位置づけは決して高いものではなかった。優れた銅版画家のジャック・カロがトスカーナ大公の庇護の下でしか、十分な仕事ができなかったように、彼らは時代を支配していた貴族層のパトロンを後ろ盾として、物心両面の支援なしには自分の持つ能力を十分に発揮することはできなかった。自らの力だけでその才能を開花させることはきわめて困難な時代であった。

17世紀貴族の実態

 他方、イタリアでも、フランスでもあるいはイギリスでも貴族たちの多くは、自分たちが属する貴族という階級のなかでの昇進を目標にして生きていた。そのためには、自分たちの存在、そして仕事ぶりを他者に認めさせることが必要だった。いわば公的な人間ペルソナとしての社会的な誇示をしていないと、支配者が代わると、貴族の称号やそれにまつわる特権さらには社会的評価も消滅し、認められなくなることも頻繁に起きた。そのため、貴族は「貴族らしく」、衣装、礼法、言葉使い、同僚や上位の貴族層とのつきあい方などに大きな努力をしていた。ひとたび獲得した貴族的特権はそれらを行使しなければ、社会的に次第に認知されなくなり、形骸化、風化してしまう。さらに、その時代の「貴族」のイメージに合致しない人物は良かれ悪しかれ隅に追いやられてしまう。

 パン屋の息子ではあったが、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが貴族の娘と結婚し、それを契機に貴族的特権の請求をロレーヌ公に行い、それらが認められた後は、ことあるごとにその行使を行っていたのは、下級貴族として生きるために、それなりの理由があったのだ。現代社会の尺度で、それらを傲慢とか、強欲の結果と断定するのは、やや早計と思われる。ラ・トゥールのように、天賦の画才に秀でた功績で貴族となった者は、多くは一代かぎりであった。しかし、できることならば息子たちなど次の世代へも継承させたいと思うことも人の常であった。ラ・トゥールも例外ではなかったと思われる。

 近世初期のフランスなどでは、生まれた子供の大部分は成人に達することなく死んでしまった時代でもあり、貴族あるいはそれに伴う特権・地位を確保し、家系の次の世代にまで継承させることは容易なことではなかった。

 この時代における貴族に関する研究や文献はきわめて多いが、それでも貴族層の実態は不明な部分が多く残されている。いったい貴族が何人くらいいたのかも諸説あって定かではない。その種類、授与の内容も複雑多岐にわたる。

 すでにブログに記したこともあるが、祖父や曾祖父などの代で功績と忠誠を認められて、所領や家紋を授与されながらも、時代とともにいつの間にか風化し、それに気づいた孫や曾孫の世代になって、かつての地位・特権の復権、名誉回復などを求める動きは多数存在した。

 中世以来、先祖の武勲などで貴族となり、名門の誉れ高い家系では、さほどの努力をすることなく、子孫代々までその地位と特権を享受することができた。しかし、中・下層の貴族たちは、彼らの特権がどこに由来するのか、きわめて不確実であり、しばしば一代かぎりでもあった。

 ブログに登場するジョルジュ・ド・ラ・トゥールの家系についても、母方には貴族の血筋があったかもしれないという研究もある。また、常連の読者の方は、ご存知の通り、ジョルジュの息子エティエンヌが画家としての資質や向上意欲?に欠けていたがために、親の七光りで授与された貴族の称号・地位に固執し、最終的には領主への道を選択し、画家としての家系を意図的に?消し去っていったという指摘もなされている。

貴族の条件

 トスカーナ大公にその画家としての力量を認められたジャック・カロのような宮廷画家の仕事は、貴族たちの注文に応じて、自画像・ポートレイトを作成することも重要な仕事に含められていた。その場合、画家は画像に描かれる人物の地位、知識・教養、職業などが見る者に分かるようにしなければならない。描かれる者の社会的地位が誇示されることになる。当時は、そのための決まりがすでに定着していた。情報伝達手段が限られていた時代、肖像画は描かれた者の社会的存在意義を世の中に知らしめるきわめて重要な方法だった。

 カロが描いた肖像画は、実際には自画像を含み15枚程度と以外に少ない。その中には、ロレーヌ公シャルルII世、メディチ家コジモII世なども含まれる。

 こうした時代環境であったから、「貴族はどうあるべきか」という話題は大きな注目を集めた。そのための条件を記した下記のガイドブック、カスティリオーネの『宮廷人必携』(Castiglione's The Book of the Courtier) は当時いわば国際的ベストセラーとなった。今日読んでもなかなか興味深い本だが、とりわけ貴族たるものは「優雅さ」(grase, grazia)、「(貴族であることを意識させない)無関心さ」(nonchalance, sprezzatura) があげられていることが興味深い。社会の指導者の人格、力量などが話題にされることが多い現代にもつながる記述も多く、時代を超えて人間社会の機微の複雑さを思わせる。

  さらに一挙手一投足、日常の振る舞い、習慣、装いなども必要な条件であった。自らの相対的な立場を認識していない者は、ひどく軽蔑された。貴族もそれぞれのたっている状況を認識して身なりなども整えることが要求されていた。

 画家のClaude Deruet, Jacques Callotなどは貴族に任じられ、一般の貴族よりはランクが上であったが、
 長い家系上の血統を保持する「(真に純粋な)貴族」とは遇せられなかった。文筆に優れた人々、学者、画家などの芸術家に授与された貴族のタイトルであった(彼らは、Letters of Noblementを贈られてはいる。しかし、”正統貴族”との間にはさまざまな壁があった)しかし、この時代においても評価の重点が置かれたのは、遠い祖先たちの成果ではなく、その時代に生きる貴族自身の徳と行動とされていたことは、興味深い。

 クロード・ドゥリュの場合は、ロレーヌ公から貴族の称号を授与された後、ほぼ10年後には、gentilhomme (紳士・貴族)という稀な称号も得て、階層中における地位を高めている。やや後年になるが、モリエールの『町人貴族』 Le Bourgeois Getilhomme のコメディ・バレ(1670年初演)で取り上げられているのは、貴族(gentilhomme)になんとかなりたい愚かな金持ちの商人(bourgeois)を取り上げている。当時の貴族のイメージ、他方金銭的には裕福だがなにか欠けているとされるブルジョワのイメージが興味深く描かれている。


 この問題は深入りするときりがない。ひとまず棚上げにする。

 さて、上掲の画像は、カロが恐らく1632年の記念すべき年に友人の姿を描いたものである。描かれた人物ドゥリュにとっては、得意絶頂の時と思われる。カロは当時のマナーに従って、ドゥリュ家に授与された家紋も適切な場所にしかるべく描きこんでいる。ロレーヌ公ばかりでなく、フランス王ルイXIII世も、ドゥリュ
に1645年に貴族の称号を授与している。人物の背景にはナンシーの市街、とりわけドゥリュの当時著名であった豪邸も描かれている。ルイXIII世がナンシー入りした時、宮殿よりもドゥリュの邸宅に滞在することを望んだほどの豪華な邸宅だ。そして、得意満面の父親の傍らに、息子アンリ・ニコラは小さなマスケット銃と銃架を持って描き込まれている。恐らく、そうしてほしいとのドゥリュの希望の反映であろう。

 ドゥリュはその画業生活を通して、カロのように社会の貧民層を描くことはなかった。生涯を通して、豪華絢爛たる宮廷などにかかわる社会的上層の有様しか取り上げていない。その生き方は、当時の宮廷社会の上層部にはおそらく好まれたのだろう。カロのように社会の下層部に位置する貧民層に目を受けることはなかった。しかし、カロはこうした社会観の異なる友人にも画家として適切な敬意を払って友人の晴れ姿をしっかりと残している。

 




ジャック・カロ自画像

 

 名門貴族のように、所領などの財産が十分ではない貴族・ブルジョワにとっては、裕福な家から妻を娶ることも、この時代しばしばみられた処世術であった。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールが貴族の妻と結婚したように、ジャック・カロも1623年ナンシーの富裕な家で、貴族層とつながりもあったクッティンガー家から妻カトリーヌを娶った。
 
 イタリアではすでに十分認められた銅販画家であったが、トスカーナ公の死後、故郷ナンシーへ戻ったカロにしばらく大きな仕事は来なかった。しかし、この結婚を契機に、カロの画業は急速に上昇・発展への道をたどった。17世紀、内助の功といえようか。

 




ジャック・カロ
妻カトリーヌと子供肖像

 

 

 

続く

 

 

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