爽秋の1日、思い立って北に向かって旅をする。素晴らしい快晴に恵まれ、残り少なくなった人生の旅を楽しんだ。
旅のスナップショットから、いくつかお見せしよう。直ちにどこであるか分かった方は、特別かもしれない。この施設の開設は2020年7月12日であったが、コロナ禍で大きな影響を受けたようだ。筆者は以前にも2度ほど訪れたことがある地だが、あたりの光景は一変していた。
旅のスナップショットから、いくつかお見せしよう。直ちにどこであるか分かった方は、特別かもしれない。この施設の開設は2020年7月12日であったが、コロナ禍で大きな影響を受けたようだ。筆者は以前にも2度ほど訪れたことがある地だが、あたりの光景は一変していた。
場所は北海道白老郡白老町。ウポポイ*と呼ばれる場所である。
この新しい施設が生まれる以前の白老を訪れた時の印象は、寂寞とした雰囲気が漂っていたが、明るい観光拠点になっていた。アイヌの貴重な文化遺産の継承という意味では、今後の拠点となりうるだろう。しかし、何か大切なものが失われたという思いが残った。
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*ウポポイは、北海道白老郡白老町にある「民族共生象徴空間」の愛称とされる。主要施設として「国立アイヌ民族博物館」、「国立民族共生公園」、「慰霊施設」を整備しており、アイヌ文化の復興・創造・発展のための拠点となるナショナルセンターとして開設された。「ウポポイ」とはアイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」を意味している。
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この新しい施設が生まれる以前の白老を訪れた時の印象は、寂寞とした雰囲気が漂っていたが、明るい観光拠点になっていた。アイヌの貴重な文化遺産の継承という意味では、今後の拠点となりうるだろう。しかし、何か大切なものが失われたという思いが残った。
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*ウポポイは、北海道白老郡白老町にある「民族共生象徴空間」の愛称とされる。主要施設として「国立アイヌ民族博物館」、「国立民族共生公園」、「慰霊施設」を整備しており、アイヌ文化の復興・創造・発展のための拠点となるナショナルセンターとして開設された。「ウポポイ」とはアイヌ語で「(おおぜいで)歌うこと」を意味している。
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館内の展示から:織物の作例
アイヌ民族は、近世には北海道全域、東北北部、樺太、千島列島という広い地域に居住、暮らしてきた。交易民として本州や北東アジアと関わり、独自の言語や文化をもった海洋民であり、日本の先住民族でもあった。しかし、世界の多くの地域で先住民が移住者などにより抑圧され、迫害を受けたり、衰退した事実はアイヌの場合も例外ではなかった。
「アイヌ」という言葉は、アイヌ語で「人間」を意味する。この言葉は民族間の接触が増えてから広く使われるようになったといわれる。
その昔この広い北海道は,私たちの先祖の自由の天地でありました。
〜知里幸恵〜*
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*知里 幸恵(ちり ゆきえ、 [1903年~ 1922]は、 北海道 登別市出身のアイヌ女性)。19年という短い生涯ではあったが、その著書『 アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ伝統文化の復権復活へ重大な転機をもたらしたことで知られる。
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*知里 幸恵(ちり ゆきえ、 [1903年~ 1922]は、 北海道 登別市出身のアイヌ女性)。19年という短い生涯ではあったが、その著書『 アイヌ神謡集』の出版が、絶滅の危機に追い込まれていたアイヌ伝統文化の復権復活へ重大な転機をもたらしたことで知られる。
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北海道の名付け親として知られる松浦武四郎の記念碑
トウレッポン:ウポポイのPRキャラクター
トウレプ(オオバコユリ)の年頃の女の子