時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

障壁の彼方に見えるものは

2008年10月14日 | 移民政策を追って

Source: The Economist, October 4-10th, 2008.

2008年アメリカ・メキシコ国境

 グローバル金融危機の拡大は、多くの重要問題への関心を薄れさせ、後方へ追いやっている。アメリカ大統領選挙も1ヶ月後に迫ったが、オバマ、マッケイン両候補の論戦は、お互いの欠点を見つけ出し、攻撃する、次元の低いものになっている。終盤戦にもかかわらず、重要な政策課題についての議論は前面に出てこない。

 他方、現実はそれと無関係に進行している。そのひとつが、このブログでテーマのひとつとしてきた移民問題である。定点観測の意味で、最近の動きを整理しておこう。
 
 アメリカ・メキシコ国境の物理的障壁は、ブログで再三記事としてきたように、ブッシュ政権の下で次第に強化されてきた。しかし、そうした障壁の高まりは、かえって不法越境者の存在をクローズアップすることになっている。壁が存在感を強めるほど、それを越えようとする越境者の姿がはっきり見えてくる。

 アメリカ政府は、今年末までに全長2000マイル(3200キロ)の国境に、670マイル(750キロ)の障壁フェンスを構築することになっている。その実態は、レポートされている内容によると、半分近くは野うさぎ以上の大きな動物などの出入を阻止できる程度のものであり、残りは人は通れるが車の通行は阻止できるものだという。障壁はフェンスばかりでなく、人員面でも強化されつつあり、ボーダーパトロールも1996年の約6000人から来年には18000人へと増員されることになっている。新技術を活用した熱センサー、カメラなどを装備した無人の監視塔も増えた。税関などの機能を持つ正規の出入国地点では、ゲートでのチェックも厳しくなっている。障壁の建設は予定より遅れ、予算もすでに超過している状況だが、これがボーダーだといえる程度にまで整備されてきた。障壁は明らかに高まっているのだ。
 
 きわめて最近まで、両国国境障壁の半分はほとんど存在しないような状況だった。言い換えると、みわたすかぎりの砂漠のような状況であり、不毛の土地が広がっているにすぎなかった。そこに時代の経過とともに、最初は石を積み重ねたような保塁のようなものから、コンクリートでの障壁構築、そしてワイヤーによるフェンスと変化してきた。しかし、いずれにしても、越境を志す者には越えられないものではなかった。
 
 1990年代初期までは、不法越境者はまず拠点として、メキシコ側の都市ティフアナ Tijuana か、フアレスJuarez を目指した。そして、夜になるのを待って、フェンスの穴を探し、アメリカ側のサンディエゴ San Diego かエルパソ
El Pasoへと走りこんだ。当時は、ボーダーパトロールも人手不足で対応が十分できなかった。

 1993年からカリフォルニア、テキサスなどで越境者が多い地点に、フェンスが構築されるようになった。こうしたフェンスが出来れば、不法越境者を減少させると考えられた。1994-2000年にかけては、この想定は正しいように見えた。カリフォルニア州南部サンディエゴ近辺の越境者拘束は3分の2近くに減少した。しかし、越境を志す者はあきらめることなく、警戒の薄い地域、具体的には日差しの強い、毒蛇の多い中央部の砂漠地帯に移動、集中した。
 
 1990年代後半には越境者の死亡者も増加した。1990年代には125人程度だったが、2000年以降、1000人を超えた。ちなみに、ベルリンの壁を越えようとした際に射殺などで命を失った者は、28年の歴史で300人以下だった。砂漠に水のボトルなどを配置するNPOなどが活動するようになったのは、こうした状況を反映したものだ。

 不法越境者がアリゾナ州で増加すると、アメリカ側の対応も硬化した。アリゾナ州民は不法移民へ公的給付を行わないという州の対応に同意した。カリフォルニアが16年前に経験したことである。アリゾナの民主党知事 ジャネット・ナポリターノは、連邦に軍隊を送るよう要請した。2007年には不法滞在者として知っていながら労働者を雇用した経営者に罰金を課する州法に署名した。マッケインは包括的移民法案の主導者だったが、最近は国境を閉じることが最初としている。世論はメキシコ側の主張を支持する形だが、問題は麻薬取引と暴力だ。

 フエリポ・カルデロン、 メキシコ大統領は麻薬取引取締りに軍隊を使う決定をした。その背景には、ティファナからマタモロスにかけて騒動が絶えず、組織犯罪が拡大している状況がある。その結果、不法越境者を案内するコヨーテに支払う費用は、かつての500ドルから2000ドル以上へと上昇している。

 こうしてみると、フェンスの構築強化は、明らかに不法移民の流れを変えている。国境での拘束人数は減少しているが、これは移民動向を測定するには不完全な尺度である。アメリカの住宅市場の崩壊で建設・造園労働者への需要が減少している。この分野は、ヒスパニック系労働者がきわめて多い。ヒスパニック系の失業は、最近では8%近くへ上昇している。他方、アメリカからメキシコへの送金は、2000年頃の10億ドル水準から一貫して増加し、最近では高原状態だが、年度ベースで60億ドル水準まで達している。

 カリフォルニア大学サンディエゴ、比較移民研究所長のW.コーネリアス*は、筆者とこの問題について共同研究をしたこともあるが、いまや移民志望者の半分以上が究極的に目的を果たしているとしている。メキシコ人は越境が危険なことが分かっていても、結果としてほとんど目的を果たすという。

 最近の不法越境者の数が減少している背景には、別の要因もある。いまや移民は 「循環」circulation ではなく、「一直線、一方通行」 linear に近くなっている。越境コストが上昇し、リスクも高まったので、家族ともども最初から帰国することを考えない移住を目ざす人が多くなった。この点は、このブログでも以前から指摘したことだが、近年ヨーロッパでいわれている「循環的」移民とは、かなり様相を異にしている。

 越境地点や手段にも変化が生まれている。2008年の前半6ヶ月についてみると、アメリカ・メキシコ貿易の約80%(価格表示)はテキサス州を経由している。特定地域へ集中している。2000年国勢調査では、アリゾナ、カリフォルニア、テキサス州のヒスパニックは4分の1から3分の1になっている。国境隣接州や郡でのヒスパニック比率は確実に高まっている。高まる国境障壁は越境者の流れを妨げているが、それにもかかわらず、南から北を目指す人の流れは絶えない。

 新大統領が決まった後、頓挫していた新移民政策の再検討がスタートすることになろう。多くの問題は相互に密接に結びついており、個別的対応では解決につながらない。検討は、NAFTA(北米自由貿易協定)の抜本的見直しまで行くことは、ほとんど確実だ。


Reference
Good neighbours make fences. The Economist October 4th 2008.

*The Center for Comparative Immigrant Studies, University of California, San Diego.

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8 コメント

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Unknown (鈴木)
2008-10-14 12:02:10
ご無沙汰しております。前にコメントを書かせていただいた者です。
選挙戦まで一ヶ月切ったわけですが、国が自国を守ろうと保守的、守りに入ると経済が低迷してくるのではないかと素人ながら思うのですが、いかがなものでしょうか?お教えいただければと思います。

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まずは垣根を直して (old-dreamer)
2008-10-14 21:32:10
鈴木さん
難しいご質問ですね。
グローバル経済の時代、国民国家と移民とのせめぎあいは厳しくなってきました。門戸の開け方は、どの程度にすべきか。まずは穴だらけの垣根を補修して、国境の秩序を回復したいというのが、現政権の考えることでしょう。現時点では保守・制限色が目立ちますが、新政権になると、不法滞在者の問題を含め、新しい移民政策への議論が始まることと思います。その際、労働力移動を含め、新たな視点からNAFTAの見直しが行われるでしょう。可能性は少なくなってきましたが、マッケインが大統領に選ばれると、保守色は明らかに強まりそうです
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見えない壁を大切に (arz2bee)
2008-10-15 22:50:13
 言葉を壁というのは少し抵抗がありますが、現実に入り込んでいる人たちがスペイン語のコミュニティを作ってしまっているのは大きな問題と思います。英語をmustにしないと国が中から壊れていってしまいます。Uniteする最も大きな力,よりどころは言葉のように思います。以前ブッシュ大統領がちょっとスペイン語が話せるからと言ってスパニッシュ票目当てにスペイン語で演説するのを見て奇異な感じを受けました。そういう意味からはアフリカンアメリカンは本当のアメリカンに思えます。
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old-dreamer (old-dreamer)
2008-10-16 10:36:44
変わる移民と言語

arz2bee さん

移民と言語の関係は、宗教と並び、大変難しいですね。アメリカ、カリフォルニア州などでもヒスパニック系が少なかった頃は、公教育も英語で通していました。ところが不法入国者を含め、ヒスパニック系が増えると、「数は力」となり、スペイン語導入を要求するようになります。国境隣接州では、ヒスパニック系の方が比率が高い地域も増えました。ヒスパニック系は大統領選挙でもキャスティング・ボートを握っています。日本でも、日本語があまり通用しない地域コミュニティも生まれています。日本語が習得できず、不就学になるブラジル日系人児童も増えました。少なくも、定住化が予想される者には、一定水準の日本語能力を条件とすべきでしょう。アメリカ、EUなどが導入している条件です。
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悪いことばかりじゃないかもしれません (鈴木)
2008-10-21 03:32:22
その国の言語に敬を払うのはもちろんの事ですが、悪いことばかりではないことは確かだと思います。
例えば、言語は何カ国の言葉を話せても損はないというのは持論ですが、子守がメキシコ人だったりするとその家の子供は英語とスペイン語のバイリンガルになった話はよく聞きました。

横から失礼いたしました。
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Unknown (old-dreamer)
2008-10-21 15:51:56
鈴木さん
言語は文化の柱、あるいは伝達の手段のような役割を担っていますね。異文化交流の時代、関係国の人々がお互いの言語を理解できることは大変重要なことと思います。とりわけ移民は受け入れ国の言語を積極的に学ぶ努力が必要とされます。さもないと、受け入れ国に「飛び地」が出来てしまい、同化の大きな妨げになってしまいますから。現実の場では問題山積ですが、「言語」はこれまで以上に移民(受け入れ)政策の重要な支柱になりつつあるように思います。
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Unknown (鈴木)
2008-10-22 04:27:29
何度も失礼します。全くおっしゃるとおりだと思います。ただ移民としては、母国語も大事にしていきたいというのも本音のようです。他国へ移住すると嫌でも自分のアイデンティティを考える時が来るからです。
またいくらコミュニティを作ってもその国に住んでいるわけだから、その国の言語に触れずに生きていくのは困難であり、その国の言語を積極的に学べば確実に生活は向上するわけで、アメリカなどパブリックでも教会などでも無料で英語の授業を行っているようです。
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プラスもマイナスも (old-dreamer)
2008-10-22 10:31:42
鈴木さん
移民が母国語を大事にしていきたいというのは、自分に最も近い言葉である以上当然ですね。その習得・維持の場は個々の家庭となるでしょう。
移民や海外出稼ぎを考える人たちは、一般に進取の気性に富んだ人たちが多いので、出稼ぎ先の言語や文化に同化しようと努力します。問題は親たちが働いている間、就学の機会がない、あるいは授業についていけず脱落してしまう児童などの存在です。日本でも外国人の集住地域などでは、市役所、NPOなどが公教育を補充する役割を果たしている例があります。いずれにせよ、長い目で見る必要がありますね。

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