この前の日曜日。
あいにくの雨だったのだが、私とニータ氏は、丘珠のつどーむで開催されているという「北海道オールドカーミーティング2018」へと向かった。
旧車には厳しい「雨」ということと、同日に日高町で「北海道オールドカーフェスタ」が開催されていたせいもあってか、参加台数自体は、やや少なめ。
とはいえ、それなりに、インプレッシヴな旧車たちと出会うことができた
まずは、オーストリアの軍用車「ハフリンガー700AP」。
650cc水平対向2気筒エンジンをリヤに積む、4輪駆動車である。
年式的には、1960年代中盤あたりと、思料される。
続いては、いすゞの雄、「ベレットGT」。
この尻下がりのスタイルが、じつにカッコいい。
ニータ氏も、大いに感銘しておられた。
さらには、日産(ダットサン)の誇る名車「ブルーバード510」。
1970年に登場の、トヨタが産んだ日本初のスペシャリティーカー「セリカ」。
メルセデス・ベンツで「初めてSクラスを標榜した」と言われている「280S」は、1973年に販売開始。
「トライアンフTR7」は、1974年から1981年にかけて生産された、FR2シータースポーツ。
もともとは「セリカのセダン」という位置付けだった「カムリ」は、1980年の登場。
マークⅡ&チェイサー兄弟に、1980年に三男として加わった、「クレスタ」。
ジウジアーロデザインのボディが艶やかに美しい。
1981年発売の、いすゞらしいアートな長寿車「ピアッツア」。
クリスタルなCピラーが印象的な「7代目クラウン」は、1983年の登場。
「いつかはクラウン」のCMコピーは、この世代から、始まった。
1984年に登場の「5代目ローレル」は、「仏壇」との異名を取っていた。
この個体は、その教習車仕様である。
この鉄サビが、この個体の歴史を、物語る。
教習車ゆえに、かなり酷使されたのでしょうネ(^^:
ホンダの「初代トゥデイ」は、1985年の登場。
この個体は、1988年マイナーチェンジ後の、異形ライトモデルである。
1980年代中盤のホンダデザインは、本当に素晴らしかった。
このクルマのスタイリングは、ルノー・トゥインゴあたりに、影響を与えたと思料される。
「プアマンズ・ポルシェ」と評された「2代目RX-7」も、1985年にリリースされた。
とはいえ、ロータリーエンジンを活かしたその走りは「本物のスポーツカー」であり、玄人筋からも高く評価されていたという。
さて。アナタは、「ペルソナ」を、憶えていらっしゃるだろうか?
当時販売絶好調だった「カリーナED」を、マツダが横目で見て開発し、1988年にリリースした車である。
この個体は、ボディーカラーはもとより、メッキモールまでが新車当時の輝きだった。
かなりの稀少車である、このクルマ。
これが、この日私にとっての、「モストインプレッシヴカー」でありました
「スポーツカーに乗ろうと思う」のCMキャッチフレーズが今も頭に残る「4代目フェアレディZ」は、1989年=平成元年の登場。
ついこないだ販売されたと思っていた「ミゼットⅡ」。
だが、あらためて確認すると、なんと「1996年に販売開始」で、気が付いたら、もう22年も経ってしまっていたのだ。
ああ、あの当時。私も、君も、若かった・・・
かつて友人の尾車氏も愛していた、「アルファ155 V6」。
左ハンドル&MTで、「アルファの三角シール」をフロントフェンダーに貼った、この個体。
ひょっとして、尾車氏が実際に乗っていたクルマだったりして・・・
この「BMW650iカブリオレ」にしたって、少なく見積もっても10年以上前のクルマ。
ああ、なんと、時の流れの早いことよ・・・
さて。余談だが。
場内で、「獅子丸さん!」と私に声をかけてくれた人がいた。
それは、北海道の旧車好きなら誰もが知っていると思われる「小林さん」だった。
氏は、旧い友人に会った時のような人なつっこい笑顔で、私を迎えてくれた。
本来ならばこの日は、氏の所有する「お宝旧車カタログコレクション」を、大衆にお披露目すべき機会だったのだと思う。
だがしかし、あいにくの雨・・・
それでも彼は、我々取材班に、持参したカタログを披露しようと、カバンに手をかけた。
そして我々取材班は、「貴重なお宝が雨に濡れて台無しになってしまいますよ!」と、今回は氏の気持ちだけを、ありがたくいただいたのだった。
小林さん曰く。「6月10日に、夕張で第7回北海道ハチマルカーミーティングがあるんです。カタログまた持っていきますから、尾車さんと一緒に、是非来てください!」とのことであった。
とりあえず。「私個人はその日はOK」だけど、尾車さんは多忙かも・・・と、回答しておきました。