映画・クジラの島の少女
初めて、DVDソフトを買った。
ニュージーランド女性監督のニキ・カーロの作品で、2002年トロント国際映画祭観客賞、2003年サンダンス映画祭観客賞、2003年ロッテルダム映画祭観客賞。76回アカデミー賞主演女優賞最年少ノミネート、ケイシャ・キャッスル=ヒューズ主演、という勲章を持つ。
この映画を見て、アボリジニの映画をプロデュースしたくなった。
映画は、ニュージーランド・マオリの伝説上の人物「パイケア」という最初にこの島にやってきたクジラにのる勇者の神話と、現代のマオリの置かれる状況とがドキュメンタリーのように描かれている。
マオリの首長の家系であり「パイケア」の直系に生まれながら、事情があって、一人生き残った少女「パイケア」と首長である祖父の葛藤と理解が主たるモチーフである。
マオリの現在について、知ることは少ないが、映画の中に描かれる彼らは、伝統を学ぶことをせず、老人たちも、鮮明な伝統の記憶を持ちながらも、それを伝承できずにいる。若者は、伝統に対して、なんの思い入れもない。少女「パイケア」の父は、重圧に負け、ヨーロッパに行ってしまって、ドイツ人の女を孕ませた。マオリのアートセンスを引き継ぎつつも現代アートを志向する父は、村で、「ワーガ」(カヌーのこと)を作り上げることができず、放置して、村を去っていた。
様々ないきさつがあって、祖父は、女である「パイケア」に望みを託すことができず、彼女を排斥して、村の少年たちに自らの後継を託すが、その望みは絶たれる。そうした中、少女は祖先のシンボルである「クジラ」を呼んでしまう。彼らは、その呼ぶ声に従って、群れごとランディングしてしまう。少女は、クジラにまたがり、彼らを海に帰すのである。
祖父は、彼女を女であるが新たな首長として認め、村に帰ってきた父とともに、「ワーガ」を完成させ、海に乗り出してゆく。マオリの復活をイメージさせるシーンでこの映画は幕を閉じる。
女性監督の目から見た、因習の男性中心主義のマオリ、しかし、生まれながら女性でありつつも未来の首長を予兆させる少女「パイケア」、それを認めたくない祖父。
この映画のマオリへの影響はどうであったのか、また、同じようなイベントを生んだのかなど、様々興味尽きない余韻を残す映画であった。
最大の影響力は、アボリジニについても、こうした映画をとりたいという思いを生んだことだった。無理かもしれないが、新たな課題を認識した気がする。
ニュージーランド女性監督のニキ・カーロの作品で、2002年トロント国際映画祭観客賞、2003年サンダンス映画祭観客賞、2003年ロッテルダム映画祭観客賞。76回アカデミー賞主演女優賞最年少ノミネート、ケイシャ・キャッスル=ヒューズ主演、という勲章を持つ。
この映画を見て、アボリジニの映画をプロデュースしたくなった。
映画は、ニュージーランド・マオリの伝説上の人物「パイケア」という最初にこの島にやってきたクジラにのる勇者の神話と、現代のマオリの置かれる状況とがドキュメンタリーのように描かれている。
マオリの首長の家系であり「パイケア」の直系に生まれながら、事情があって、一人生き残った少女「パイケア」と首長である祖父の葛藤と理解が主たるモチーフである。
マオリの現在について、知ることは少ないが、映画の中に描かれる彼らは、伝統を学ぶことをせず、老人たちも、鮮明な伝統の記憶を持ちながらも、それを伝承できずにいる。若者は、伝統に対して、なんの思い入れもない。少女「パイケア」の父は、重圧に負け、ヨーロッパに行ってしまって、ドイツ人の女を孕ませた。マオリのアートセンスを引き継ぎつつも現代アートを志向する父は、村で、「ワーガ」(カヌーのこと)を作り上げることができず、放置して、村を去っていた。
様々ないきさつがあって、祖父は、女である「パイケア」に望みを託すことができず、彼女を排斥して、村の少年たちに自らの後継を託すが、その望みは絶たれる。そうした中、少女は祖先のシンボルである「クジラ」を呼んでしまう。彼らは、その呼ぶ声に従って、群れごとランディングしてしまう。少女は、クジラにまたがり、彼らを海に帰すのである。
祖父は、彼女を女であるが新たな首長として認め、村に帰ってきた父とともに、「ワーガ」を完成させ、海に乗り出してゆく。マオリの復活をイメージさせるシーンでこの映画は幕を閉じる。
女性監督の目から見た、因習の男性中心主義のマオリ、しかし、生まれながら女性でありつつも未来の首長を予兆させる少女「パイケア」、それを認めたくない祖父。
この映画のマオリへの影響はどうであったのか、また、同じようなイベントを生んだのかなど、様々興味尽きない余韻を残す映画であった。
最大の影響力は、アボリジニについても、こうした映画をとりたいという思いを生んだことだった。無理かもしれないが、新たな課題を認識した気がする。