夜8時頃帰宅したので、家にあった、乾そばをゆで、納豆・ワカメ・ネギ・黄身を、冷や盛りにのせて、薄目のたれを流し入れ。いただいた。ほかに、つけておいた、新生姜とミョウガの甘酢漬け、らっきょう、山椒の水煮、ちりめんじゃこを魚に、ビールと赤ワイン。
モード・バーロウ&トニー・クラーク、2003、「水」戦争の世紀、集英社新書。
世界人口の増加とともに、石油などの化石燃料の枯渇も去りながら、水資源の枯渇も緊急の課題である。水道水は、1リットルが数円だが、一方、いわゆるミネラルウォーターは、300円近くの価格で販売されている。ガソリンは、現在のところ、105円から110円くらいのものか。水が、これほどの価格の差がありながらも、人々の意識では、どのくらい深刻な問題と受け止められているのか。
本書では、水資源が資本主義経済の渦中に巻き込まれていって、豊かなものが水資源を独占し、貧しいものがそれを得ることができなくなると言う状況を世界の事例を挙げて、告発している。水ビジネスは、現在、もはや石油ビジネスと並ぶもしくはそれ以上に「儲かるビジネス」なのである。
人間、いや、生物は、水なしにはその生命を維持することはできない。ガソリンは、生活のレベルや移動の欲求のために、必要量が異なるのだが、水は全くそれとは異なる。それだけではなく、生命にとって、無害な水でなければならないのである。本書は、そうした問題にかかわり、告発する。
日本は、山に降った水がすぐに急流をかけ下り、海に注ぐが、海に注ぐと、無塩化のプロセスを必要としてしまうので、それまでに、十分に水を使い尽くさねばならない。かつて、様々な装置産業がない時代にあっても田畑を耕すための水利は、まさに、農民の死活問題であったが、現代においては、それ以上に、人類自体の死活問題である。
この本を読んで、何度も、背筋の寒くなる思いをした。
2004-06-27 22:13:34 |
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