栄・富士屋で軽く夕食。スタバで時間をつぶして、「ブルー・ノート」でセカンドステージの「マーカス・ミラー」のステージを見に行った。堪能した。ライブは違う。サックスのカーク・ウェイラムとの楽器のタッピングの掛け合いは最高のノリだった。最後、DVDを買って、サインをしてもらった。本当はあたらしいアルバムの「シルバー・レイン」にサインをもらいたかったが、明日から店に並ぶとか・・・。サインしてもらうとき、マーカスに、毎回、タッピングの掛け合いをするのか聞いたら、即興だったそうな。ほら、みんな身体を叩くだろ、あんな風・・・。そうだろうな。ノリが違った。
名古屋ブルーノート(これは、トップページだから、すぐに変わってしまうだろうが、とりあえず)
豚ヒレ肉の黒酢ソース(焼き肉用に切った豚三枚肉と白ネギの青い部分を一緒にショウガとともにゆでる。にたたったところで、ヒレ肉のブロックを入れる。ヒレ肉の表面から少し火が入ったところで(10分程度)鍋からあげ、アルミホイルで包んでおく。ゆで汁をふたつにわける。ひとつは、黒酢ソース。もう一つは、コーンスープ。黒酢、中国醤油、ナンプラー、濃い口醤油、水飴で味を調え、片栗粉でとろみをつける。ヒレ肉を一センチほどの厚みに切り分ける。この段階では、芯までまで火が通っていない。弱火にした黒酢ソースに入れて味を絡ませると同時に火を入れる。青梗菜を軸の部分と葉の部分に分けて、茹で上がり時間を考えてゆでておく。皿にゆでた青梗菜、三枚肉、ヒレ肉をのせ、黒酢ソースを回しかけ、白ネギのみじん切りをのせて供す)
コーンスープ(豚肉のゆで汁に、フードプロセッサーで砕いたホールコーンを入れ、火を入れる。塩胡椒で味を調える。溶き卵と片栗粉を溶きあわせ、注ぎ入れてかき回す)
家からほんの100メートルばかりに、「今池ホルモン」がある。主人によると開店して四ヶ月。
カウンターが6席ほどと、あとはテーブル席が5ほどあるこじんまりとした店。塩系から始めたらどうかとのアドバイスに従って、塩トンチャン、塩小袋、塩ネギ豚タン、せせり塩ニンニクと塩で攻めてみた。大根サラダと組み合わせ、あとは、生、焼酎芋、仕上げは、水代わりに「ほっぴー」。
うまかった。髪の毛と着ているものが臭くなるのは、これはしょうがない。「近所にこんな店発見!」なのだが、ノリに第一報を記されている。
パプリカ風味のチキン(ガーリック薄切りと赤唐辛子をオリーブオイルで炒める。タマネギ薄切りを炒める。チキンを皮から炒める。各色のパプリカを一口大に切り炒める。ホールトマト、赤ワイン、水炊きスープのパックを加え、ローリエ、ブーケガルニを加えて、煮詰める。塩胡椒で味を調える。仕上げ前に、マッシュループを入れる)
ブロッコリーとパスタ(パスタのゆで汁にブロッコリーを小切りにしたものを入れ、パスタとともにゆでる)
豚三枚肉の味噌煮(夕べのみぞれ鍋の残りを使った。まず、豚三枚肉を食べやすい大きさに切る。約40分ほど水煮する。最初アクが出たところで、ゆで汁を捨て、新たに、水と日本酒を入れて煮る。みぞれ鍋の残りの野菜をとったあと、茹で上がった三枚肉を入れ煮る。信州味噌を溶き入れる。15分ばかり煮込む。味噌の味が少々ついて、美味しい。ハリショウガを散らして食す)
がんもどきの煮物
小松菜の胡麻よごし
スーパーで買ってきたちらし寿司(今日はおひな様)
立花隆、2004、『思索紀行:ぼくはこんな旅をしてきた』、書籍情報社
立花隆の著作は、全部ではないにしろかなり読んできている。それぞれの時代に、ビビッドな話題と問題提起をおこなってきている著者の著作群は出版されて、まだインクの匂いのするうちに読む方がよいと思う。彼はジャーナリストであるから。しかし、かといって、時間を経て読むことももちろん悪くはない。
ジャーナリストとしての著者は、著書だけではなく、様々なマスコミ媒体を通して、読者へ語り続けるわけであるが、そうしたなかに、本書にあつめられた紀行文をみると、これらの旅が彼の思索のプロセスにとって、非常に重要な役割をしている。取材旅行でもあったであろうから、当然といえば当然ではある。
本書は、著者の学生時代の始めての旅以来、80年代までの著者の紀行の一部で、序論で述べられているように、これからも出版されるようだ(予告されている)。重要なことは、著者の紀行は、本書が「思索紀行」と名付けられているように、あまたある著作の行間を埋めるものとして、非常に興味深いものと思われる。
私は、本書の中でも「パレスチナ報告」(9章から12章)に注目したい。すなわち、「9月11日」事件によりイスラム原理主義的テロリズムがクローズアップされたのであるが、著者は、すでに「テルアビブ事件」において、国際テロリズムの連帯を指摘している。もちろん、当時は新左翼系テロリズム(日本やドイツの赤軍など)の国際連帯であったのだが、文化帝国主義あるいは経済のグローバリズムの裏返しとしての「テロリズムのグローバリズム」もまた、この1960-70年代を皓歯とするのである。
アメリカの政策決定が、いわゆるネオコンによってなされており、彼らのルーツはむしろ新左翼系の思想である。その意味で、グローバル化するテロリズムの連帯と「民主主義」をグローバル化しようとするネオコンは、まさに、一卵性双生児なのである。
以上のことは、ここで再論するまでもなく、世上旧知のことと思われるが、立花はすでに1972年1974年において、このことを予見したかの記述をしている。恐るべし。
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2005-03-03 12:07:59 |
読書 |
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豚のみぞれ鍋(カブを摺り下ろす。昆布ダシとあわせる。入れる野菜としては、適当だが、白菜、白ネギ、舞茸。三枚肉薄切り、しゃぶしゃぶ肉)
今夜は慰労会ということで、名駅の「アンナン・ブルー」で会食。
ベトナム料理は美味しい。しかし、日本で食べるものとオーストラリアで食べるものは別物なのだが・・・。日本のそれは、香りも辛さもほどほどになっている。