この日立製トランジスタラジオWH-901の修理履歴です。それぞれをクリックしてください。
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前回、ラジオのダイヤル糸を取り外しました。これでチューニングダイヤル板にさえぎられて見えなかった基板の裏が見えるようになりました。その高周波増幅部や局部発信回路部を見るととても汚れていました。これでは、どのように部品が配線されているのかよく見えません。
汚れてよく見えない、基板の高周波増幅部や局部発信回路部
汚れている原因は、このラジオを作った当時または修理した時の半田付けのヤニがそのまま残っているためです。特に局部発信部はひどい汚れでした。それに、半田付けがあまり綺麗ではありません。このラジオが製造されたと思われる昭和30代は、女工さん達一人一人が半田ごてを持って半田付けしていました。いわば手作りのラジオです。女工さんたちの技量が反映されていると思います。
汚れているため、どう部品が配置されているのか分かりづらい局部発信部
私が、電機メーカーに就職した昭和50年(1975)頃にテレビ製造工場に実習に行きました。その工場には、夜間高校に通っている若い女工さん達がたくさん働いていました。彼女達は、昼間は流れ作業でテレビ基板に半田付けしてしたりネジ締め作業などをして働き、夕方になるといっせいにセーラー服に着替えて通学用のバスで夜間高校に通学していました。彼女達は、岐阜の加子母村,蛭川村または恵那などの山奥から中学卒業後に単身で寮に入り、昼間は働いて夜は勉学に励む17歳前後の娘達でした。たまたま夜間高校で先生とお話をする機会があった時、セーラー服で通学して来た彼女達が不思議そうに私を見ていたのを昨日のことのように覚えています。
100m近いベルトコンベアの両側に女工さん達数十人が並んで、次々に流れてくるテレビ基板を器用に半田付けやネジ締めをしていました。作り終わった基板などは天井のリフトにぶら下がって流れていました。その広大なテレビ製造工場は、半田付けの臭い,エアーネジ締めの音,テレビ基板や部品などを運ぶリフトやベルトコンベアーの音,女工さん達の声などで活気が満ちあふれていました。
汚れた基板を、アルコールを浸した綿棒で拭いて綺麗に
ところで、汚れた基板はアルコールを付けた綿棒で拭くと綺麗になりました。このラジオのように汚れた基板や半田は人の手が入っていることを示します。昭和30年代、どんな女工さん達がこのラジオを製造していたのか想像してみました。この古いラジオは、日本が高度成長していた良き時代の足跡ではないかと思います。
アルコールで拭いて、綺麗になった局部発信部