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できる限り中立であろうとする

2014年03月27日 | 雑記帳
 異動が決まり、机上や書棚の整理をしていて見つけた「きょうこう」という冊子を開いてみた(これだから仕事が進まない・苦)。

 安彦忠彦氏(名古屋大名誉教授)が、こんなタイトルで寄稿されていた。


 あらためて「教育の中立性」の重要性を確認する


 わずか1ページの論考ではあるが、ちょっと考えさせられる。

 最初に、こうある。


 教員一人一人は「教育の中立性」を真剣に考えているか


 難しい問題である。
 正直に言えば、教育の中立性など土台無理ではないか、という思いが強い。

 「教育委員会制度」の変革が目前に迫っている。
 今後確実に行政(首長)による関与が強くなることは明らかだし、従来であってもかなり影響をうけてきたことは否めないだろう。

 だから「絵に描いた餅」と言うことは容易い。

 だから、美辞麗句ではなく現実に即すべきだという考えも容易い。

 しかし、戦争をくぐり抜けて、教育の根本をとらえ直しながら現在があると考えたときに、安彦氏の次の言葉の意味は噛みしめなければならない。


 確かに完全に中立ではないとしても、「できる限り中立であろうとすること」自体は知恵として大切である。


 どこで、何に中立であるべきかが問われてくる。

 私たちの行動の基盤となるのは、言うまでもなく法である。安彦氏もこの文章の終盤にこう書いている。

 学校の教員は公的な法律等の規定のもとで教育を行っていることを明確に認識すべきである。


 従って、その規定とはどの範囲に及ぶものか、また本当にそれは規定なのかという吟味が、私たちに必要になるのではないか。

 現場が硬直してくると、教育に関する優先度決定が鈍ってくるように思う。

 「中立性」は優先度の高いものであることは、いつも声を大にしておかねばならない。