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「千」と粒々の決意

2014年03月30日 | 雑記帳
 「千の風になって」の「千」には,数そのものと同時に「数が多い」という意味がある。もとになっている英語の詞中にある「thousand」も同様に「非常に多数の」が含まれている。「百」も「万」でもいいのかもしれないが,響きとして「セン」がしっくりくるなあ,一つ一つが見える範囲なのかもしれないと思う。


 ふとそんなことを思ったのは,このブログのカテゴリー「読書」が「1000」という数字を示したから。2005年4月半ばに初めて約9年。投稿の半分近くは読書区分で書いてきた。最初は教育書などが多かったが,途中からかなり拡散し,思いつきの独白など脈絡のないままに書き連ねた。しかし,それでも1000である。


 年間読書100冊以上を意識したのは99年。途中できない年が1年あったが,あとはほぼ順調で計15年だとすると1600~1700冊程度には届いているか。たいした本を読んでいるわけではないが,その記録を日記代わりに残すことを続けられたのは,ブログという形式があったからだろう。自分にとってはいい媒体だった。


 今まで仕事上では100という数は意識してきた。例えば学級通信しかり,教科等の実践上の回数,枚数しかり,であった。しかし改めて1000という数を意識すると,それは単年度でできることではなく,3年,5年そして10年というスパンが必要になる。それは計画的・継続的・意図的であって達成できるのかもしれない。


 もちろん,私の読書ブログなどは計画的とは言い難い。また意図的という面も教育書中心の頃とは微妙に変化している。ただ書き残すという意図はまだ健在のようだ。どこへ向かっているのかはっきり示せ!と訊ねられば,少し尻込みしてしまうが,おずおずとまた明日も書くに違いないと,粒々の決意が残っている。