すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

自分に出来る糸

2014年03月29日 | 読書
 「2014読了」34冊目 ★★★★

 『遺体 震災,津波の果てに』(石井光太 新潮文庫)


 単行本はあの年の11月に出ていた。
 書店で見かけた記憶はあるが,重く感じたのだろうか,手に取ることはなかった。

 三年目のこの春,新刊文庫として置かれていたので買ってみた。
 著者の書いた小説の紹介文を読んだこともきっかけとなった。


 買ってはみたものの積極的にページを開く気にならず,読みだしてからも,夕食前(風呂読書が多いので)には少し抵抗があった。

 四日ほどで読了となった。正直何度も落涙しそうになり,できるだけ想像しないように努めなければならない,という変な感情にとらわれた。
 映画は見たい気もするが,見ることはできないだろうな,と思う。

 あの3月11日以降の数日,そして2ヶ月ほどの間に,被災地から離れていた私達はいったい何を想像していたのだろう。
 特に遺体に関する情報は,発信されていただろうが,目や耳を少し背けていたことは認めざるを得ない。

 この本に書かれてある遺体に関する描写は綿密であるるが,当然ながら,その現実の何百分の一,何万分の一も伝えきれていないのだと思う。
 しかしその差に立ちすくんでいないで,行動できる人こそ,こうした優れたルポをつくり上げられる。

 民生委員の千葉さんを初め遺体と向き合った多くの人たちの視点で構成していく手法は,斬新だったし,映像的でもあるように感じた。
 気後れしながら読み進めた自分も惹きこまれていった。


 この「物語」は,これ以上ない悲惨な状況のなかで,自分に出来ることを糸を手繰り寄せるように進める,またその糸を他方にも伸ばしていった人たちを描いた。

 千葉さんは古希を越えた方だが,取り上げられた方々の年齢に自分と同年代の方が多いことに気づいた。
 それまでのキャリアを通して身につけた技能を発揮しているが,行動を支えるのは精神力や胆力と呼べるものかもしれない。
 何気ない会話の数々から,強く感じられる


 今,仮に何かの厄災に見舞われたときに,自分たちの年代こそ中心になるのだと覚悟を改めて教えられた気がする。